第5話 ネロ それはロキ市長の弟君

 ネロはロキのご要望通りに一度帰宅をすることにした。

 今の時期は日が高い。六時を過ぎていてもまだ空は明るかった。

 ネロは一般人と同じように、石畳を走る路面電車が来るのを停車場で待ち、道路に埋め込まれた線路を見つめた。

 この線路は科学技術によって作られた。カンカンと鐘を鳴らして近づいてくる赤い車体が動いているのは、電気の力。科学の力だ。

 一般人は魔法力が働いていると信じて疑わないだろう。

 もちろん、魔法力も関与している。電気も魔力も法力も、自然界に存在する力だ。

 その自然の力を、技術にって使えるようにしたものが科学である。

 魔力がなくとも魔術が使えるように、法力がなくとも法術が使えるように、自然界に存在する、魔力とも法力とも違う様々な力を使えるようにした。

 それによってカンバリアは非常に豊かに発展したといえるのだ。

 到着した路面電車は満員だった。

 ネロは外のタラップに立ち乗りし、比較的ゆっくり走行する電車の揺れを楽しんだ。


 実家、リンミー家は市の中心部にある。

 高級住宅街とされる区域に少し広めの森があり、その森がリンミー家の敷地だ。

 森の中にはいくつかの池と、昔からある小さな神殿と、離れとして使う青い三角屋根の小さな建物と、馬を遊ばせる馬場と小屋などがある。他にも、子供の頃に探検して遊んだ古い遺跡のようなものもあるが、その正体は謎だ。 

 そしてきちんと手入れをされた広い花園。その向こうに、ちょっとした城がある。それが住まいである。

 家に入る前に、花園の中の薬草園に立ち寄った。ネロが植物を栽培する場所だ。

 学生時代に趣味で始めたものだが、魔法師になってからは一気に数が増え、種類も観賞用の草花から薬草や毒草へと変わった。そして現在、その一画はいまやネロしか立ち入らない魔の国と称されていた。

 なんと不名誉な称号だろう。

 酷い。

 別に下手に採って食べたりしなければ害もないのに。 

 とても美しい植物園だ。手塩にかけて育てているのだ。ネロとしては、ぜひ一度見てほしい楽園なのだった。

 めぼしい薬草を摘んだあと、植物たちに水と栄養剤を与えた。今回の出張は何日かかかるか分からない。その間に枯れてしまっては困る。以前、一週間ばかりの出張から帰ってきたら、やっと株分けに成功した植物が全滅していたことがある。あの悲劇、もう二度と起こしはしない。

 家に入るとすぐに執事がやってきた。

「お帰りなさいませ、ネロ様。今日はお早いのですね」

「いや、定時より遅くなってるけど」

「ロキ様もお忙しいようですから、魔法師団も大変なのかと思いまして」

「ああ。魔法師団も忙しい。色んな所に飛ばされてくたくただよ。また出張になった。多分、長くかかる任務」

「それは珍しい。ネロ様は仕事が早いのが売りですのに」

「え? そうなのか? 初耳だな」

「そうではないのですか?」

「まあ公務員だしな。時間厳守だ。あ、そうだ、ロキに呼び出されているんだ。お前になにか荷物を頼んだんだって? それを持って来いとか、……」

 言いながらネロは執事に仕事の荷物を渡し、その足で研究室という名の納戸に入った。

 自分の部屋を魔窟に変えたらメイド長が激怒して、日の当たらないじめじめした納戸をあてがわれたのだ。

 ちょっと扱いがひどい気がするが、そこならばどんなに改造しても誰も怒らなかったので、今や莫大な資金を投入して、魔法師団の研究室も真っ青な設備になっている。

 光に弱い植物の育成も行っている。 

 納戸に籠ってすぐ、ドアをノックされた。

 執事だった。

「なに?」

「ネロ様。ロキ様の元へ行かれるのですよね」

「うん。行くよ?」

「ではなぜ研究室へお入りに?」

「え?」

 なんでそんなことを聞かれたのかネロには理解できなかった。

「……。……、はあ。そうですね。失礼いたしました。お二人は双子であられましたね」

「え? なんだ? なんの話だ?」

「ロキ様がネロ様に魔法薬を煎じて欲しいと、そう伝言するよう承っておりました」

「なにそれ初耳」

「……。ではなぜ研究室にお入りに?」

「え? なぜって?」

「……まさか、そのままいつものように研究を続けるおつもりでしたか?」

「え?」

「ロキ様がネロ様に魔法薬を煎じていただきたいそうですので、研究は帰ってからにしてください」

 そう言って執事は微笑む。

「いや、あいつ、簡単な魔法薬なら自分で作れる」

「ロキ様にとってネロ様が一番甘えられるんですよ」

 嘘くさい。

 いや、確かにロキはネロに甘えるだろう。

 ちょっと極秘調査に行ってくれ、と。

 魔法薬は建前だ。

「さっき採った薬草を下処理したら、それ持って市庁舎に行くよ」

「ではここで待っておりますね」

「……」

「なかなか出てきませんので」

 執事は懐中時計を取り出して言った。



 黒いローブをまとっていなければ、ネロはまったく魔法師らしくはない。

 今のネロの姿は細身なパンツ姿に白いロングブーツ、胸元が少し開いたシャツにタイトなベストと丈の短いジャケットというものだ。

 基本、魔法師の制服は黒いローブであり、中の服装は自由だ。だが魔術を生業とする人間たちは、なぜか黒を好む。そして法術を生業をする人間は白を。

 ローブの中身で、その人間の基本属性が魔か聖かが分かる。

 ネロは、ローブの中身も派閥がない。

 そのまま腰のベルトに飾りのついた短剣を提げ、革のマントを羽織れば、『ギルドに登録中の冒険者です、けどもっぱら女の子ハンティングばっかしてるけどね』というチャラ男になれる。と、かしまし娘どもが言っていた。

 せめて貴族らしいと言ってほしいものだ。

 市庁舎に向かうのにまさか他称チャラ男の姿で行くわけにもいかず、せめて貴族らしい恰好に着替えることにした。

 納戸を出ると執事につかまりかけたが、着替えをしたいと説明すると、一度自分の部屋に戻ることを許された。

 メイドに正装を用意するよう頼んだ。

 すると薬品臭いから風呂に入ってほしいと言われた。

 軽くショックを受けながらシャワーまで浴びた。

 なんなんだ。

 シャワーを終えると、正装のみならず白いマントに金の鎖飾りまで用意されていた。

「ネロ様も、普段からそういったお召し物でいてくださればよろしいのに」

 執事が実に残念そうに言った。

 俺の扱いちょっと酷くないか。ネロの憤りは、誰にも伝わらない。


 七時過ぎ、夜が徐々に気配を強めている中、ネロは正面玄関で待機していた白塗りの車に乗り込んだ。

 これぞカンバリア科学の粋ともいえる乗り物である。

 そこにリンミー家の紋章旗がはためけば、カンバリアの誇りそのものであった。

 一般人ではとうてい手に入れることのできない技術。最先端の先をゆく存在。

 科学とはつまり、権力だった。

 その中で仮眠をとっているのは魔法師というのが、なかなかの皮肉である。


 そしてネロがカンバリアの貴族然として赴いた市庁舎は、なにやら殺伐とした空気だった。

 白い円柱が目立つ市庁舎は、かなり古い時代の建築物だ。

 夜になれば利用者もいないはずであるし、職員も大半が帰っている。なにせ親癖である。

 しかし妙に人が多かった。

 ネロのもとへすぐに案内係の男性がやってきて、挨拶もそうそうに市長執務室へ通された。

 だが、そこには誰もいない。

 机の上はきれい整頓されていたが、隅に栄養ドリンクの瓶が五つ。ゴミ箱に固形栄養補助食品の包みがいくつも放り込まれ、台車には飲みっぱなしのカップやグラスが積まれたままだ。

「……魔法薬が欲しいというのも、あながち嘘ではないのかもな」

 ネロは台車の上のカップを片付けてから、携帯型の魔道具を並べた。

 必要な栄養を補助する薬湯でも作ろうかと、ろ過水を小さな鍋に入れ、発火石をこすって熱を持たせると、

《風を》

 とささやいて、息を吹きかけた。

 発火石は緑色の光を灯した。

 それを魔道具の中に落とし、緑の火が出たのを見計らって御徳を設置して、鍋を乗せた。

 薬草を調合し、ガーゼの袋に入れて鍋に入れる。

 くつくつと沸き始めると、口の中で呪文を唱える。周りに聞こえてはならない。

 呪文には基本となる文言があるが、それをどうアレンジするかはその術者によって異なる。師匠から弟子に、親から子へ伝えられる呪文もある。

 ネロにはどちらもないので、独自に研究開発した呪文だ。誰かに盗まれては困る。

 薬湯が呪文に反応し始めた。

 そこで銀のスプーンを取り出して、くるくると混ぜる。

 銀のスプーンにもネロが魔法をかけている。一回や二回ではその効果は無くならないが、使っていくうちに少しずつ効果が薄れる。

 そして重ね掛けすればするほど効力は増すので、使わないときもネロは暇さえあれば様々な呪文を重ね掛けしていた。

 ただ、やみくも掛けては悪効果になる場合もある。重ね掛けに失敗すれば、全てを解除して最初からやり直しだ。魔道具の手入れは慎重にしなければならない。

 呪文を唱え、銀のスプーンを回し続けた。

 魔法薬が完成したかどうかの判断は、作り手の勘だ。

 あ、できたな。

 そう思ったところで、鍋を外した。

 発火石に《風よ》とささやいて火を消す。

 粗熱を取っている間、薬を詰める水晶の瓶を磨いて待った。


 瓶詰も済ませ、別の魔法薬の薬草を選んでいると、執務室のドアが開いてどやどやと人がやってきた。

「だからそれだと経済特区としての条例に反するといってるだろうが!」

「今こそ特別条例施行の時でしょうが!」

「それで市民にはなんて説明するんだ? ただ単に立ち入り禁止にするだけでは納得しないぞ!」

「市民はだいたいバカですから大丈夫ですよ!」

「バカだからダメなんだよ、やつらはそうなった理由というのを考えない。自分たちの利益だけを考えるからな! すぐに批判ばかりしやがる!」

 三人の男が相手の言葉を全部聞く前に自分の発言を叫び、二人の女がその発言を遮るためなのか、

「待って待って待って、それでは駄目に決まています!」

「単純にものを考えすぎです! まずは筋道立てましょうと言っているでしょう!」

 とキンキン声を張り上げていた。

 市民はバカだというのは施政者にとっては当たり前のことだ。

 施政者は空から地図を見ているが、市民は地面に立って自分の進む道の先を見ている。

 施政者は全体を見て物事を決めるが、市民は自分の視点から行く道を決める。

 施政者が理由があって行うことも、市民からすれば自分の見えていないところで勝手に決められた横暴だと思う。 

 そして批判。

 どちらの気持ちも状況も、そして立場もわかる。わかるが、施政者と市民というのは平行線をたどるのが運命なので、それに抗おうとするのがネロにはしんどいのだ。

 市長を目指さなくて本当に良かった。ロキはよくやる。

 部屋に入ってきた五人のうちの一人が、ロキだった。 

 自分とほとんど変わりのない姿かたちだが、着ている物もまとう空気も、施政者としての威厳を放っている。

 そして今日はちょっとささくれ立っていた。

 ロキはネロに目もくれず、分厚い資料を机に叩き付けるように置いて、すぐに他の四人と喧々諤々言い始める。

 聞いていると、それはもう見事に平行線だった。

 ロキは特別条例施行に反対している。

 その条例を出すのに、市民へしなければならない説明の材料がそろっていないからだ。

 どうやら現在、ハルリア村の周辺を一時的に立ち入り禁止にしているらしい。

 その理由があの衝撃波だが、ハルリア村周辺の状況はまだ分からず、立ち入り禁止の説明もできていない。

 それだけでも一部の市民から不審の声が上がっているのに、特別条例で立ち入り禁止特区にしたら、それこそ理由説明が早急に必要になる。

 だが国で行っている調査も難航していて、しかも今回の件は極秘扱いにせよという国から通達されているという。

 そして、いっそのこと早めにこのコーカルからも市民を退避させるべきでは? という女性の主張と、それは時期尚早だという男性。これは罵詈雑言の口喧嘩に発展した。

 聞いているだけで神経が削られてくる。

 平行線ばかりで、とうとう言葉も出尽くされてしまったのか、五人が同時に沈黙した。

 その僅かの間ができたことで、彼らの集中力が切れたのかもしれない。

「少し休憩にしよう。時間は惜しいが、冷静さも必要だ。二時間後に再び会議室で。それまで情報を精査し、各々も頭の中を整理するように。なんなら、私の兄が薬湯を煎じてくれているので、少し持っていってはどうかな?」

 突然ネロが話題にあがった。

 兄じゃねえよ、俺は弟だよ、という主張も忘れるくらいに唐突だ。 

 部屋の隅にいたネロは、ロキを含めた五人に顔を向け、小さく会釈をする。

「良ければどうぞ。疲労回復と意識回復の薬です。少し強めですので、お湯で三倍に薄めてお飲みください」

 薬は四つ分の小瓶に収まっている。

 ロキを含めて五人いるが、全員が欲しいとは言わないだろうから、大丈夫だろう。

 しかし意外にも四人全員がそれを持って行ってしまった。


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