第6話 ネロ それはいとも容易く決められた



「なあロキ、よっぽど疲れてんだな」

 執務室から人が出てゆき、ロキと二人きりになるとネロは言った。

「まぁな。というかネロ、なんで全部魔法薬をあげてしまったんだ。これであの四人が余計元気になってしまったら、まとまるものもまとまらない」

「持っていけと言ったのはお前だろうが」

「まさか本当に持っていくとは思わなかったんだよ。魔法薬なんてうさん臭いだろ」

「魔法薬品会社に訴えられるぞ」

「だって、手作りだぞ?」

「悪かったな、俺の手作りで」

「全部持たせることはないだろう?」

「まさか本当に貰っていくとは俺も思わなかったんでね。うさん臭いだろ」

「だろ?」

「それも俺の手作りだぞ」

「他人がよく信じられるものだよ」

「それより、頼まれてた荷物持って来たぞ」

「そりゃどうも。助かるよ。……、で、今お前が調合しているのは何だ?」

「睡眠導入効果のある疲労回復薬」

「さっきのとは違うのか」

「ああ」

「さっきのはもうないのか」

「ない」

「そうか」

 ロキはソファに体を投げ出すように寝ころんだ。

 目をつむっている。

 同じ顔だが、頬のあたりが少しこけた気がする。そういえば自分も疲れているので、同じくらい頬がこけているかもしれない。結局は同じ顔だ。

 ネロはそう考えると、自然と笑みがこぼれた。

「……少し寝るなら、その間に同じものを作るが、どうする?」

「それはありがたいね。できれば奴らのものよりも強力なものを頼みたい」

「三十分でできる。そしたら起こす」

「なあネロ。お前、ハルリア村に行ってくれないか」

「いいぜ」

「助かる」

「ちょうど、極秘な出張があったからな」

「ついでに、極秘なタリスマンも貸してやる」

「怖いな」

「凄いぜ。『魔公サヴァラン』のペンダント」

「『サヴァラン』」

「そう。サヴァラン」

「極秘といえばサヴァランだな」

「凄い怖いな」

 魔公と呼ばれる大魔術師。

 魔公サヴァラン。古代の大魔術師だ。

 魔法に関わる者にとっては神と同等の存在である。

 サヴァランの祖先にあたる。

「どこで手に入れたんだ、そんなもん」

「ここの地下金庫室でな。本物かどうかは知らん。本物だったら国宝級だ」

「そんな色んな意味で危ないもんを俺によこすのか」

「使い方も記されていないから、お前で適当に調べて使ってくれ。俺がみたところ、四大元素からの影響はほぼ受け付けない」

「優れものだな」

「ほかにも色々ありそうだが、詳しく調査する時間はなかった」

「お前、勝手に封印を解いたりしちまったんじゃないだろうな?」

「白い箱に入ってただけだから、封印も何もないだろう」

「なんで魔公の作だと分かったんだ」

「魔公の紋章が刻まれていた。だから」

「うさん臭い」

「国宝級だぞ」

「うさん臭い。いいから眠ってろ」

「……寝させてもらおう……」

 ロキのかすかな寝息が聞こえてきた。

 魔公サヴァランか。

 真偽のほどは定かではないが、その名前を出したということはロキもなにかを勘ぐっているだろう。

 まあいい。

 権力者同士、好きなように腹の探り合いをしてくれ。

 ネロはあえてなにも口を挟まず、素直に使いやすい手駒に甘んじることにした。



 目覚めたロキは、ネロの煎じた魔法薬を原液のまま一本飲み干し、シャワーを浴びて清潔な服に着替えた。

 薬が効いたのかは知らないが、身だしなみを整えたロキには疲れの陰は一切見えない。

 そしてネロに、汚れた服を実家に持って帰ってくれとか、タブレット型の栄養剤を今度持って来てくれだとか言いながら、透明な石の嵌った大きめのペンダントをさりげなく手渡ししてきた。

 透明な石のまわりを、紫色の小さな石が縁取り、さらに赤い石が隙間を埋めている。 

 その縁取りの上に銀製の鎖がつながれていて、どうやら銀の鎖部分にも強い魔法がかけられているようだった。

 手のひらに魔力を込めて持つと、透明な石の中にうっすらと光が浮かび上がる。魔公の紋章だった。

 紫色だ。

 サヴァランの瞳の色を彷彿とさせた。

「じゃあ頼んだぞ。洗濯」

「ああ。分かったよ。洗濯な」

 そう言ってネロはロキと別れた。

 市長執務室の前でだ。

 ネロは汚れた服のはいった袋を提げている。

 その場面を市役所員数名に見られた。だからこその、洗濯、という言葉であるが、これが兄弟間格差が周囲にはっきりと認識された瞬間となった。

 なんだこれ。


 実家に帰り、執事に洗濯物を押し付けた。

「ロキは元気そうだったぞ」

「それは一安心です」

「だが、タブレット型の栄養剤とかが欲しいと言っていたな」

「ではご準備しておきましょうか」

「じゃあ俺はこれから出かけるから」

 と軽く告げる。

「そうでございますか」

 執事も慣れたもので詳細を聞いては来ない。 

 いつもの鞄にいつもの魔道具を入れ、向かう土地で必要になるかもしれない道具や薬を加える。忘れてはいけないのが、着替えと石鹸。

 愛用の石鹸を持って野営に行くと、サヴァランやほかの魔法師たちにあきれられた。これだから貴族の世間知らずは、と。

 なんで石鹸ごときで白い目を向けられなければならないのか分からない。 

 ネロの荷物は多い。けれど空間魔法を用いれば、ほとんど手ぶらのように旅ができる。

 サヴァランの作る部屋には到底及ばないが、テントの中だけを自分の思うようなしつらえにすることだって可能だ。

 その取り出し方は簡単だ。

 野営地が決まったら、もともと魔法陣を書き込んでいた布でテントを張る。

 そして呪文を唱えるだけ。

 空間魔法が下手な奴だと、テントを広げたら中に詰めていた家具がぺっちゃんこになっていた、なんてこともあるが、空間魔法が得意な奴は、テントの中に強固なシェルターを持ってくることもあるらしい。

 そこまでされると、石鹸ごときでとやかく言われる筋合いはない気がする。

 頑張れば家ごと持ってこれるそうだ。

 ただそうなると建築法だとか土地法だとかに触れる。

 私有地の森に突然家を出現させられたら絶対に訴えられるし、国立公園にそんなもん取り出して植物を潰したら、始末書と減給が待っている。

 そして、もしも自分の家の敷地内でそんなことさせれら、マジで攻撃魔法ぶっ放して粉々にしてしまうかもしれない。そんくらいイラッとする。

 ネロの旅の衣服は派手ではない。危険が伴うことも多いので、防御力を重視している。魔虫に属する蜘蛛の糸、に模した人工繊維で織られた布でどれも仕立てられていた。

 マントも防御力の高い素材で、こちらは神虫の繭から作られている。人工ではない。肩から膝までの長さの物にした。ぬかるみを考えてロングブーツ。底の厚いタイプ。手袋は革製で、裏地に自分の考えた魔法の呪文を刺繍している。

 着替えはテントの中に詰め込んで空間魔法でしまった。

 布なので、たとえぺしゃんこになってしまったとしても大したダメージはないだろう。

 旅支度の最後に、ネロは杖の選定に入った。

 町や村の施設の結界修繕であれば、三十センチ前後の細い杖にする。

 腰に差しておけば邪魔にならないし、そもそも杖を使わない場合も多い。

 公式な儀式に出たり、修繕先が格式ある場所であれば、自分の身長ほどもある大きな杖に、魔宝石を嵌めこんだ美しいものを選ぶ。

 道だとか森の中のような場所での任務であれば、歩行に使うにも便利な、足の長さより少し長い程度の物。

 めったに使わないが、剣が魔法の杖を兼ねている物もある。

「さてと、……どうしようかな」

 悩んだ末、ネロは剣タイプの杖と、二十センチほどの小さな杖を選んだ。

 剣タイプは護身用にもなる。

 自称勇者たちが好んで使うのであまり好きではないが、魔力にあてられた魔物や神獣に襲われる可能性を考えれば、物理攻撃のできる剣は持っておくべきだろう。

 うっかり殺したら、サヴァランに頼んで実験材料にでもしてもらえばいい。証拠隠滅だ。

 小さな杖を普段使いにして、剣タイプは腰か背中に装備することにした。ギルドの奴らへの威嚇にもなる。

 玄関に執事が立っていた。

「じゃ、行ってくる」

「お車でお送りしましょうか?」

「いや、今は一般的な冒険者っていうだからな。郊外までは電車で向かうよ。そこからは徒歩かな」

「そうでございましたか。それにしては……」

「なんだ?」

「いえ、行ってらっしゃいませ。ネロ様。お早くお帰り下さいね」

「ああ。早く帰ってくるよ」

 こうしてネロは、執事に軽く挨拶だけを残して、全く詳細の語られなかった極秘任務へと向かった。

 ハルリア村を見てくる。

 それだけの任務。

 それだけしか知らされていない任務。

 もうすっかり夜だ。 

 気持ちいい風が吹いていた。本当に、早く帰ってこられるといい。

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