第4話 ネロ それは秘密の部屋での秘密の談議

 魔法力を込めた鉱石で作られた、大きな建物。

 基本は黒いが、角度によっては赤や青などの五色の艷が見える。

 放射状と言えばいいのか、扇状と言えばいいのか、正面玄関を中心に、まるで後光が射しているような形だ。

 王冠のようにも見える。

 その五色の艷を持つ黒い王冠が、カンバリア共和国魔法師団庁コーカル支部の庁舎である。

 本部は首都ヘリロトにあるが、コーカル支部はそれに匹敵する規模を誇り、また歴史も古かった。

 共和国となる前、魔法師団の前身ともいえる機関がコーカルにあったからだ。それゆえ本部には無い古代の文献や遺物がコーカル支部には豊富に残されている。

 一方で、このコーカルにはカンバリア共和国ご自慢の科学技術はさほど浸透していない。

 この世界の基本は魔法であり、科学は隠された叡智。いまだにその力を疑問視する声も多かった。

 特に魔術法術に従事している人間にとっては。つまり、魔法師団にとっては。


 そしてその魔法師団コーカル支部の、とある場所にある所長室。

 楡の木でできた分厚いドアをノックをすると、それはゆっくりと開きはじめた。

 ドアノブがあっても、それを握っても開くことはない。許されたものにだけ、この扉は自然と開き、許されざる者は拒む。

 開ききったと見らの向こうの部屋には窓はなく、明かりも少ない。

 暗闇が勝っているが、ほんのりと発光する球体がそこかしこに浮遊していて、さほど暗いという印象は受けない。

 かすかにカルダモンの香りがした。

 なにかの魔法薬を作った残り香だろうか。 

 部屋の主の姿はなかった。呼びに来た秘書官もいない。

 ドアの斜め向かい側に、緩やかな孤を描いた階段がある。幾つもの球体が、そこへと誘導するようにふわふわと動いた。

 来いということだ。 

 ネロは球体に誘われるように階段を昇った。背後で静かにドアが閉じた気配がした。

 階段を昇りきると、またもや楡の木のドアがある。

 今度はノックをせずにドアノブを握り、一呼吸おいてから開けた。

 正面には磨かれた大きなデスク。この部屋も暗いが、デスクの周りはにやはり球体が浮かんでいて、古代の魔法具のオブジェが光を柔らかく反射し、幻想的な趣があった。

 主の姿は、ここにもない。

 かわりに、デスクの横にはネロを呼びつけに来た秘書官が立っていて、ちらりとネロを見た後、無言で部屋を出て行った。

 ネロは襟足を少し掻いた。

「…………ここじゃ出来ない話しってわけか」

 ネロはそのまま秘密の言葉をつぶやいた。意味をなさない言葉だ。 

 隠し扉の鍵を開ける言葉である。

 そして踵を返し、先ほど秘書官が消え、自分が入ってくるときに使った楡の木のドアを開けた。

 ドアの先には、先ほど昇ってきた階段は無くなっている。

 代わりに、暗闇が広がっている。上も下も手前も奥も判断付かない暗黒だ。

 ネロはそのまま暗闇に足を踏み入れた。

 足の底は、床を感じない。 

 しかしネロは落下することなく、なにもない空間を歩いた。 

 数歩進めば、視線の先にぽっかりとした明かりが見えた。その明かりに向かって歩き続け、ほどなく大きな光の球体の前に着いた。自分の体が丸々入る位の大きさの、ぬくもりを感じる光だ。 

 それにそっと指をそえると、瞬時に指先に呼び鈴があたり、柔らかな光は白木の大きな扉に変わった。


 リーン。


 指先から鈴の音が響く。

「入れ」

 ドアの向こうで、呼び鈴を聞きつけた主が返事をした。

「失礼いたします」

 ネロがドアノブを握ると、ドアは空気を滑るように軽々と開き、部屋の中からカルダモンの強い香りが流れ出してきた。

 黒ずくめの男がゆったりとソファに腰を掛けている。

 足を組み、その膝に分厚い本を乗せ、背もたれに体を預けつつ文章に視線を走らせていた。

 その紫の目がネロを見ることはない。

「遅かったな、ネロ」

「申し訳ありません。サヴァラン先輩」

「お前と全く同じ顔したあの兄弟から呼び出しでもされたか?」

 なぜ知っているのだろう。ネロは意味もなく緊張した。

「まあ座れ」

 その言葉が発せられた瞬間、サヴァランの前に背の低いテーブルが現れ、続いて一人用のソファが出現した。空間魔法の中でも最上級に値する、世界創造。

 この部屋の創造主はサヴァランだ。神である。

 たった一つの部屋を作り維持するのに、いったいどれだけの魔力と法力、そして忍耐力が必要なのだろう。

 それを、呼吸をするように平然とやってのけている。もはや人間ではない。

 ソファに座ると、紫の目がやっとネロを見つめた。そして珍しく、口元に笑みらしきものを浮かべたのだ。

「ずいぶんと頑張っているようだな」

「は?」

「いや、普通ならばさっさと根を上げるような立場だが、よくぞ辞めないなと思ってな」

 これは褒められているのだろうか。辞めてほしいのだろうか。

「そう不思議そうな顔をするな。褒めてやっているんだ」

「それは、……ありがとうございます」

「私もそれで助かっている」

「それは、……ありがたきお言葉」

 うさん臭い。

 そう思ったが、顔に出ているだろうか。自分の表情が分からないのは、なんだか顔の筋肉がムズムズしているからだろう。

「お前にまた助けられたくてな。私には頼れるのはお前だけなのだ、ネロ」

「……それは、それは」


 うさん臭い。

 少し馬鹿にされたかもしれない。ネロの胸が僅かに苦しくなった。

「カンバリアの周辺で起こっている様々な事を、国政のやつらがひた隠しにしているのは、知っているな?」

 なんだそれと一瞬思ったが、ネロはとっさに答えた。

「はい。周辺国での魔人と人間の対立、ですか」

 魔王一派と人間の戦いだ。

「カンバリアは魔物と人間の共存の国だからな、余計な情報が入ってくるのを嫌がるのはわかる……。……今日の衝撃波から、魔力を検知した。お前も感じただろう?」

「はい」

「そもそも、隣国での魔王の自爆という噂は、とっくに国の隅々まで広がっているのだ。しかもそれは事実だ。今更隠してなんになる」

「……そうですね」

「今日の魔力。お前は平気そうだな」

「そういうわけでは……」

 平気であったが、謙遜したくなった。そして、厄介な依頼を回避したいという本音がそうさせた。

「魔法師の多くが倒れたらしいじゃないか。まあ、お前の部署は別の理由で死人が出そうだが」

「はは。そうですね。どうか人員の増強をお願いいたします」

「増やしてやっただろう? お前の味方になりそうな女を、三人も」

「どうもありがとうございます」

 もしかして三人だけで増強完了だと思われているのだろうか。

 今年に入って八人辞めた。

「今日の奇妙な魔力。そして隣国での魔王の奇怪な死、激化する魔人と人間の対立。この状況下で魔法師団はどう動くべきだと思う?」

「……平団員の私にはわかりかねます」

「私はこの国の平和がどうなろうと気にはならない。むしろ、魔法にたずさわる者としては、魔物と人間が対立してくれればいいとさえ思える。そうすれば、この国では禁じられている研究も思う存分できるからな」

 魔物の研究のことを言っているのだろう。

 人間にとって魔物が敵である場所では、つまり他の国では、人類防衛のために魔物を捕らえ、殺し、研究材料とすることを許されている。むしろ推奨されている。

 その毛皮や骨などを使って、魔法師が使用する魔道具も作られているのだ。

 魔術に関わるものであれば、なによりその魔道具が喉から手が出るほど欲しい。

 しかしカンバリア共和国では、魔物を使った魔道具の製造に制限がある。

 輸入さえ異を唱える人間や魔人がいて、思うようにならない。 

 そもそも、本来魔物は『モンスター』である。敵である。  

 魔物を殺し、その頂点にいる魔王を倒し、世界を人間だけのものにするのが『大正義』である。

 カンバリア共和国だけがおかしいのだ。

「だが、私は今日の魔力が、嫌いでね」

 嫌い。

「サヴァラン先輩も、お加減が悪く?」

「心配してくれるとは嬉しいね」

「話をはぐらかさないでください」

「体は平気だ。ただ嫌いなのだよ。大嫌いな音楽を聞かされたような、嫌な気分だ」

「……私も、あまり好きな魔力ではありませんでした」

「あの魔力はいただけない」

 サヴァランは鼻にしわをよせた。

「本来は国が速やかに動くべきなのだ。しかしどうも腰が重いようでね。不思議なこともあるものだ。発生地の場所も特定できている。ハルリアだ」

「ハルリア。リテリアの森にある、ハルリア村ですか」

「そうだ。つまり《悠久の壁》が目と鼻の先」

 つまり、魔王の魔力らしきものは《悠久の壁》を越えてやって来た。

 ネロは息を飲んだ。

「国が隠したい理由が、そこにあるのとしたら……?」

 サヴァランが意味ありげに笑い、視線でネロに意見を求めてくる。

「まさか……《悠久の壁》の消滅……ですか?」

「ははは。怖いことを考える男だな。さすがに私もそれは考えなかったぞ」

「いや、しかし、……では?」

「そもそも《悠久の壁》がどれだけのものだというのだ? 《悠久の壁》には魔力や法力などが存在できないが、魔力を持った生命は存在できる。魔力持った魔物、魔導士、呪術師……、それらすべて、なんの障害もなく通り抜けることができる。その壁の中では魔力は使えないだけだ。その壁を出てしまえば、問題なく魔力を使える」

「そうですね。でなければ我々はどこにも行けなくなる」

「国民の多くは、魔力は《悠久の壁》ですべて排除されると思っている。魔力を持ったものは壁には入れず、入ったとしても消滅する、と。この国の危機感の無さには呆れる」

「心に留めておきます」

「ネロ。魔法師でも、そのことを知っているものは少ない。ごく一握りの専門家だけだ」

「そうなのですか?」

 ネロは当然知っていた。市長をやっているロキは知っているのだろうかと、ふと疑問が湧いた。

「話を戻そう。いずれにしてもあの不快な魔力。あれの正体は速やかに突き止めなければならない。そうだろう?」

「はい。当然そう思います」

「国民の多くが《悠久の壁》を過信しているのは事実。もしかしたら、今回の件も壁を過信した故の対策の遅れかもしれない。だから国は動かない。……だが、国王付きの魔導士は、壁の真実を知っている。おかしいとは思わないか? 《悠久の壁》の近くで、異様な魔力が放たれた。しかし国は、……国王は、重い腰を上げない」

「つまり、国王自らが、今回の件を隠したいを思っている、と?」

 ネロの疑問にサヴァランは答えなかった。しかし、唇の端をわずかに上げた。

 サヴァランと国王は幼馴染であるが、従者の立場である一族としては、あまり良い感情を持っていないのかもしれない。

「ネロ・リンミー。お前にはおそらく市長から極秘任務が言い渡されるだろう」

「ロキが俺、……私に? 私は国家公務員であり、地方公務員ではありませんが。ロキの部下でもない」

「私が市長の立場であれば、君をおおいに利用するだろうしな」

 市長でなくてもおおいに利用されている実感がある。

「お前はそれを受けろ。断る気もないだろう?」

 いや、どうだろう。

「だが、ロキ市長へは真実だけを報告するな。どのような偽りを混ぜるかはお前に判断を任せる。言っている意味は分かるな?」

 分かる。

 ロキを騙せ。そして国王を出し抜く手伝いをしろ。

 そういうことだ。

「かしこまりました」

「そういえば、リテリア国立森林公園内にある神獣保護区だが、結界柵が壊れているそうだ。修理要請が出されている。君はやり手の魔法陣修繕係だったな。至急現場に向かい、結界柵を直してくれないか? 至急だ」

「かしこまりました」

「知っていると思うが、あそこの神獣は希少でね、他国では勇者といわれる輩の武器や防具に使われているらしい。乱獲されて、もはやカンバリアにしかいないと言われているらしいのだ。密猟者に侵入されては困るのだよ」

「まったくもって、その通りです」

「頼んだよ」

「はい」



 部屋を辞し、暗闇の中を歩き、目の前に現れた光る球体に手を触れる。

 出現した楡の木のドアを開けると、そこは大きなデスクのある暗い部屋だった。

 中に入り一度ドアを閉め、もう一度開ければ、そこには階段がある。

 ゆっくりと階段を下り、秘書官を視界の端にとらえながら、所長室を後にした。



 結界課に戻れば、そこは戦場に戻っていた。

 各部署と情報交換をし、解析をし、中には魔法陣を出たり入ったりしている魔法師もいた。

「先輩、お帰りなさい」

 ロゼが水晶盤を指で操作しながら顔を上げた。

「今回の書き換えられた結界と、もともと依頼されていた不具合の結界の違いを分析中なんですけど、ネロ先輩、この呪文の意味って分かりますか」

 ロゼの指は恐ろしく早く情報を分類している。

 共通点のある文字列が赤く光り、その太古文字を含む呪文が画面いっぱいに映し出された。

「んー、意味としては、接続詞のようだけど、……単純に言えば『変換』だな」

「今回の書き換えの意味での『変換』……では、ないですよね……さすがに。あ、すみません、ネロ先輩もやらなきゃいけない仕事がありますよね、こっちは自分で考えてみます」

 優秀な魔法師である。ネロが助言せずともすぐに解析するだろう。

 ネロは自分の机の上を見やった。水晶製の小さな石から光が発せられ、光の中に文字が浮かんでいる。

 出張命令。

 差出人はサヴァラン。

「……あー。はいはい。行きますよ。早く出発すりゃあいいんでしょう。わかってますよ」

 そう独り言を大きめに言ってかから、周りをさっと見まわす。かしまし娘たちがくすくすにやにやしている。

 テレーズ、早く髪を直せ。

 紙を一枚とりだして光にかざすと、文字が吸い込まれていった。水晶からの光が弱まったので、紙をめくって確認すると、そこには正式な出張指令が記されていた。 

 ネロはそれを不在の係長ではなく、机でまだ屍になっている課長に提出して、紋章入りローブをロッカーに放り投げこんだ。

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