無念流の剣術家 四話(2)

 こうして真剣なまなざしを向けられると、何だかつい困ってしまう。

 わたしは手持無沙汰をごまかすように、自分の指を揉みながら口開いた。


「だって剣術流派を秘伝まで修めるというのは、生半なまなかな修行ではないと聞きます。時間をかければよいというものでもないのでしょうから、それは兵左衛門さまに才覚があったことの証左なのでは? と、わたしは考えます」

「ハハハ。おまえさんは田吾郎の剣を見てなお、そのように言っているのか?」

「もちろんでございます。もしかすると共に剣を磨くと、気が付けないのかもしれませんね。田吾郎さまは剣術家として大きく欠けていますから、いざ立ち合いをして勝つのはきっと兵左衛門さまのほうでしょう」


 兵左衛門さまは否定しなかった。では、その通りなのだろう。

 ただ驚いたような目つきをしながら、からからと笑ってわたしを見つめた。


「ひつじにそう言われると、なんだか勇気が湧いてくるなァ」

「わたしの言葉が何だというのですか。何の含蓄もありませんよ?」

「いいや、おまえは慧眼だぞ。おそらくその才覚も一廉ひとかどではないと確信する。もう一度訊くが、剣を学ぶつもりはないのか?」

「申し訳ありません。第一、上村派無念流は力の剣ですし、それは小泉とて同じこと。こんな細腕では真似事にしかならないでしょう」

「筋肉など、鍛えればどうとでもなるさ」

「鍛えたくないのです。母からも可憐でありなさいと厳しく申し付けられました。……近頃は、力こぶも少しだけできてきちゃいましたけど。家事とは力のいるものだなんて、わたし、知りませんでしたから」

「ハハハ。おそらくそれは家事のせいばかりではないな。何せ無念流の防具は重いからなァ、あんなものを日々運んでいれば仕方ない。……しかし、可憐であるためか。それは残念だが、含蓄があるから諦めもつく」

「含蓄ですか?」


 おうむ返しに尋ねる。すると、兵左衛門さまは悪戯っぽい顔をした。

 両手が伸びてきて、わたしの横顔をはさむ。ぐいと顔を近づけられた。


「なにせあの田吾郎を落とした顔だ。ハハハ、可憐だなァ」


 覗くようにまじまじと見つめられて、頬がかあっと熱くなる。わたしは慌てて兵左衛門さまの手を振りほどいた。


「またそうやって、助平なひと。からかわないで下さいまし!」

「いやいや、本心だぞ。けして嘘でも世辞でもない」

「そ、そうですか。ではありがとうございます。こんなもの、しょせんは父と母譲りの顔ですけれど。でも、わたしが一番出来がよいと、父と母はいつも褒めて下さいましたからね」

「ハハハ。おかしな家だなあ。出来がよいなどと工芸品でもあるまいに。しかし実際、田吾郎には勿体ない女だよおまえは」

「……そ、そんなにハッキリと言わないで下さい。これでも努力しているんです」


 そんなこと、わたしが一番理解しているのだから、わざわざ言わなくたっていいのに。


「わたしが田吾郎さまのようなひとの妻などと、見合っていないことは承知しています。もっと素敵な女性などたくさんいるでしょう。それでもわたし、好きになってしまったんですから、仕方ないではないですか」

「いや、そっちの意味ではないんだが。……まァ、訂正するのも面倒だなあ」


 肩を落としているわたしを見て、兵左衛門さまは呆れていた。なぜ?


「俺が田吾郎のような男の兄弟子など……、と考えるのと似たようなことか。なるほどなあ」


 今度は納得したように一人で頷いていた。なぜか。

 ……まあ、わたし自身の勘違いについては、今しがた察したところだった。


「唐国の故事に〝他山の石もって玉をおさむべし〟ともありますし。そういうことなんでしょうか。だといいですけれど」

「人の振り見て我が振り直せともいう。まァ、そういうことだろう。だといいんだがなァ」


 わたしたちは二人してため息をついた。

 会話をするたびに、わたしは兵左衛門さまがよく分からなくなっていく。

 そういえば女性経験について話してくれたこともあったが、その話も結局よく分からずじまいだった。わたし自身に色事の経験がないからかもしれない。でも田吾郎さまが初恋だと言ったら驚いた顔をして憐れまれたことについては、いまだに根に持っているけれど。おのれ。

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