無念流の剣術家 二話(3)

 無念流の歴史とその秘奥『赤焼けの太刀』について話し終えた兵左衛門さまは、顎に手を当てながら門人を見回す。


「秘奥ゆえに具体的なことは言えんのだが、まァ、伝承をきちんと読み解けば自ずと正体も知れるというものよ」

「伝承ですか……」

「むう。ひつじよ、さては興味があるか?」


 わたしは裁縫の手を一時だけ止めて、首を横に振った。

 無念無双の剣というのなら、きっとそれは言葉通りの意味に違いない。

 ……いいえ。むしろ剣法そのものではなく、伝承それ自体が本意のような気もするけれど、こればかりは憶測の域を出られない。

 結局わたしはすぐにそう結論付けて、考え巡らせるのを中止した。


「無念無双というのなら、それは剣法の結晶かと愚考します」

「要するに?」

「わたしには考えも及びません。仮に理屈をこねて理解したとて、何の意味もなさそうです」

「なるほど。そうか。やはりおまえは鋭いな。今からでも剣を学ぶ気はないか?」

「……ええと。わたしは見ての通り軟弱者ですから、こうして稽古場の隅で裁縫をしているのが性に合っております」

「そうか。勿体ないなァ」


 兵左衛門さまは独り言のように呟きながら、また榎太郎さんたちに視線を戻した。

 わたしもちらちらと気をやりつつも、努めて裁縫に意識を戻す。


「さて、道元斎さまが元は一圓流を修めていたと話したが、これはおまえさん方にとっても身近なことだな。たとえば田吾郎や藤十郎どのも元は小泉の稽古場にて無念流を習っていた。そして俺はその当時、田吾郎の兄弟子だったよしみから、今はこうしておまえさん方の目の前に立っているわけだ」


 合縁奇縁も日ごろの行い。そう仰ったのはお義父さまだ。

 小泉の稽古場はとても怖い場所だと聞く。少なくとも田吾郎さまは、昔のことを話す時はいつも嫌そうな顔をしていた。それでも縁というものはこうしてしっかりと繋がっているのだもの、不思議だなあ。


「そしてそれは人ばかりではない。おまえさん方が日々修練する上村派無念流の剣筋にも、同じように無念流の剣筋が受け継がれているからな。ゆえにこうして、俺はおまえさん方に無念流について話し聞かせているというわけだよ」


 そこまで話して、兵左衛門さまは小さくため息をついた。


「田吾郎の奴は軽視したがるが、本来歴史とは重要なモンだ。少なくとも流派の術理を知ろうという時、良い足がかりの一つとなることは間違いないんだよ」

「……存外、兵左衛門どのは物事を理論的に考えるお方なのですね」

「ハハハ。存外と言ったか、榎太郎?」

「あっ……す、すみません! 失言でした!」


 青い顔をして謝る榎太郎さんの頭を、兵左衛門さまが冗談めかすように小突いていた。

 ひとしきり笑った後で、兵左衛門さまはわざとらしく咳払いをして、また真面目そうな顔に戻った。


「所詮はまだ一日しか稽古を共にしていないのだ。全員とは言わん。だがこの中には数人、すでに無念流と上村派無念流の違いについてそれとなく察した者もいるだろう。特に榎太郎は俺と打合稽古をしたのだから察していて当然と思うが、そのあたりどうだ?」


 榎太郎さんは神妙な顔つきをして考え込んでいる。

 わたしもわたしなりに愚考してみた。……これはあくまでも印象だけれど。

 田吾郎さまの剣法は、力強く、それでいて厳しさというものは欠片もない。対して兵左衛門さまの剣法は力強く、そこには苛烈な厳しさを伴っていた。

 ――たとえるのなら、川は川。どちらも上から下に水が流れている。ただしその速度は違っていて、水の音も違っている。

 そういう印象があった。

 だとすれば、住む魚も違うのかしら。美味しい鮎はどちらに住むかしら。

 そんなふうに考え事をしていたら、うっかり親指の爪の隙間に針を刺してしまった。


「ふぎゃっ!?」


 おかげでみっともない悲鳴を上げてしまう。かあっと熱くなった頬を隠すため、わたしは慌てて顔を伏せた。

 親指痛い。針怖い。

 今日はもう裁縫はしないとそっと決めた。

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