無念流の剣術家 二話(1)

 上村派無念流、稽古場。

 ここでは本日より兵左衛門さまを迎えての稽古が行われていた。

 わたしは稽古場の隅に座り込み、ほつれてしまった門人の稽古着を裁縫しながら、その様子を眺める。

 門人たちは木刀を握り、型稽古に励んでいた。

 型稽古とは決められた動作を繰り返すことをいう。反復によって正しい身体の動かし方、その方法論を学ぶためのものだ。

 けれどわたしはその本質について、剣術理を肉体と一体化させるためのものである、と考えている。それは平たく言うなら、身体を作り変えるための儀式だ。


 たとえば上村派無念流の型の一つにこんなものがある。



『一

 ――甲は木刀を下段に構え、乙は木刀を正眼に構えている。乙が斬りかかった。甲が刀身で弾き返した。


 二

 ――乙はまた攻勢に出る。甲はこれを受け、受けた刀身を巻き込むように手首を返し、乙の木刀を右手側(乙にとっては左方向)へと弾いた。


 三

 ――乙はなおも攻勢に出る。手首を返して弾かれた刀を引き戻し、正面から斬り下ろしを打った。これに対して甲は身体を起こすようにして左肩を持ち上げ、下段においていた木刀を斬り上げる。


 四

 ――甲は十字に交差した刀身を滑らせて、乙の斬り下ろしを受け流す。


 五

 ――甲は振り上げた木刀を、手首を返して斬り下ろす。


 五(上同)

 ――同時、右膝を抜く。同時、左足裏を体が後方に向かうための力点とする。


 六

 ――すなわち、身を後方へと滑らせるようにした引き斬りの手法により、甲の木刀は乙の脇腹を斬る。』



 以上は、上村派無念流にて『流し』と呼ばれる型となる。

 これを指して「上村派無念流の流儀が集約されている」とは田吾郎さまの談。

 今しがたは榎太郎さんが行っていたものを眺めていたのだけれど、やはり田吾郎さまの動きに比べると、一つ一つの動作が小さいように見受けられた。


 やがて型稽古が終わり、兵左衛門さまは門人たちを集める。

 すると彼は榎太郎さんを呼んだ。前に一歩出る榎太郎さんを見て、兵左衛門さまは力強く頷いてみせる。


「おまえさんが榎太郎か。むう、聞きしに勝る精悍な面構えではないか。

 身内のようなものといえ、俺とおまえさん方は他流派だ。しかし他流試合など出来よう筈もない。そこでしばらく、打合稽古を行おうと思う。榎太郎、異論はないな?」


 奔放な物腰と有無を言わさぬ言圧。兵左衛門さまは雷雲を引きずる嵐のような殿方だ。

 彼の独特の逆らえない雰囲気を嗅ぎ取ったのだろう、榎太郎さんも言われるままに頷いている。もしも首を横に振っていたら、頭上から雷が落ちたかもしれない。


「田吾郎は滅多に打合稽古など許さんだろう?」

「はい。型稽古ばかりにございます」

「ハハハ。奴はぬるい男だからなあ。しかし俺は田吾郎ではないからな、奴の趣味など知らん。むろん加減くらいはするが……」


 わたしは裁縫の手を止めて、ほかの門人たちと同じように二人を注視した。

 榎太郎さんはまだまだ年若い身ながらに、稽古場では屈指の腕前を持つお人だった。二人はともに竹刀防具をつけ、六間の間合いをおいて相対した。


「よし。容赦は要らぬ。存分に参るがいい、上村の一番弟子とやら」


 兵左衛門さまの声が合図となった。

 ジリジリと近づいていった榎太郎さんが勢いよく踏み出す。

 竹刀が空を切る小気味よい音とともに鋭い斬り落としを打ち込んだが、兵左衛門さまはこれを軽々といなして躱す。


「剣筋は力強く打て」

「はい!」


 榎太郎さんが身を引き戻した。

 榎太郎さんの竹刀も正眼の構えに戻ろうとするが、瞬時、兵左衛門さまの竹刀がこれを一早く打ち下ろす。まるで見本のごとくに披露されたその一撃には竹刀が空を切った音もなく、衝撃があって初めて自身が打たれたことを理解した榎太郎さんの上体が大きく乱れた。この隙に兵左衛門さまは持ち上げた切っ先を榎太郎さんの水月にした。

 一瞬の静止と静寂の後、竹刀を手元に戻しながら兵左衛門さまが息を吐く。


「俺も郷に入っては郷に従うが、しかし榎太郎よ、小泉にはない。ここが小泉の稽古場ならおまえさんは水月を突かれ、血反吐を吐きながらそこに転がっているところだぞ」


 榎太郎さんは悔しそうに唇を噛み、竹刀を握る手に力を込めた。ぎゅっ、という汗ばんだ音がこちらまで聞こえてくるようだった。


 六間の間合いをおいて、二人はふたたび相対する。

 そうして打合稽古をみたび、よたびと繰り返し、やがてその数が二桁を越えても、榎太郎さんの竹刀が兵左衛門さまを掠めることはなかった。

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