無念流の剣術家 一話(2)

 兵左衛門さまはしきりに頷きながら言う。


「思えば田吾郎の奴は、昔から魚が好きでしたなァ」

「そうなのですか?」

「奴が美味そうに魚を食うのを見て、やれ鮭を喰らう熊のようだ、などと俺たちはからかったものだ。ハハハ、懐かしいなァ」


 思い出し笑いに目を細めながら、兵左衛門さまは鮎の身をほぐし、口に運んでいる。

 わたしも同じように鮎の身に箸をつけた。ふっくらと焼けた新鮮な身は、口に含むと歯を立てずともほろりと崩れた。塩加減も焼き加減もちょうど良い塩梅でほっと安堵する。


「兵左衛門さまは田吾郎さまと同じ稽古場で過ごされたのですよね」

「そうだが、所詮は五年程度だよ。奴は俺よりもずっと優れた剣客だった」


 断言する兵左衛門さまを、お義父さまが顎で指す。


「田吾郎はおまえのことを、頼りになる兄弟子だと今でもたまに口にしておるよ」

「何が頼りになるものでしょうや。俺は十年もかかったというのに、奴はその半分未満で免許皆伝を許された男だ。俺はあれほどの剣才を持つ男なぞ見たことがありませんがね」

「剣才があるには違いなかろうが、田吾郎に関してはそれよりも性格が難儀よ。小泉から帰ってきた奴は旅立つ前よりも臆病者になっておって、当時は呆れもしたものだ」

「ハハハ、藤十郎どの。嫁御の前で旦那を臆病者などと吹聴するのは如何なモンかと」


 わたしは咀嚼していたねぎ飯を慌てて飲み下してから、ふるふると首を振った。


「いいえ、わたしなど気になさらないで下さい。田吾郎さまは臆病なのではなく、人一倍優しい殿方なのだということは心より存じていますから」


 声とともに青い香りが鼻を通った。

 ねぎの清涼な風味が鮎の脂を流してくれる。

 夏にも爽やかな自然の味に、わたしは心の中で感謝した。釣られてくれてありがとう。

 お義父さまは反省したように肩を落として、わたしに向けて小さく頭を下げた。


「すまん。口が滑ったワ」

「ハハハ。これでは嫁の尻に敷かれるのも時間の問題ですなァ、しゅうとどのや」


 わたしは口の中に含んだ小松菜のおひたしをまた慌てて咀嚼して飲み下した。


「そ、そのような失礼なこと、この身が裂けてもできません」

「いやいや。ひつじのような別嬪が相手であれば、男なら誰しも本望というものよ」

「おぬしのようなだらしのない男と一緒にするな、兵左衛門」

「おっとこいつは失敬。藪蛇でしたな」


 お義父さまに睨まれて、兵左衛門さまはからからと軽薄そうに笑っていた。

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