無念流の剣術家 一話(1)
梅雨の気配もすっかり去って、夏の暑さが増してきた頃。
庭に咲いた純白の南天が鮮やかに花開いている。
身一つで越してきたわたしの数少ない持ち物、冬物の一張羅を
それは江戸小紋の一品であり、銀色をした微かに透ける生地は目にも涼しく、よく見ると染められている大小あられ文様が可愛らしい。帯には上品な黒の生地を用い、数匹の小さな蝶が舞う柄はわたしが選んだものだった。
着付けを済ませてから、わたしは鏡と睨めっこする。
わたしは自分のくせっ毛が嫌い。だからわたしの朝は、こうして、鏡に映った栗色の髪へと、入念に、何度も、しつこいくらいに櫛をとおすことを日課にしていた。
「……うん。これでよし、と」
呟いて、櫛を戻した。
◇◇◇
夏は茄子が旬である。
油揚げ(油抜きはしない)とたっぷりの茄子を一口大に切る。これを火にかけていた煮干しだしに投入する。
塩揉みした小松菜をざくざくと刻み、こちらも鍋にまとめて入れてしまう。ただし、しなってきたら小松菜だけを取り出して、冷水で冷ましてから、これをくるみみそと砂糖、白ごまと和える。
この頃にはちょうど鍋のほうが煮立っている。そちらにもくるみみそを加え、しばらくそのままで煮込み続けた。
すぐ傍らでは、串を通されて火に炙られる川魚が、芳ばしい香りを上げ始めていた。塩がたっぷりと振りかけられた肌を、ぽつぽつと浮いた水分が伝い落ちていく。焼き上がるまでもう少し。
美味しそうに焼けていく魚を眺めているのも楽しいけれど、今は他の調理を進めなくては。
釜で炊いた飯にねぎの細切りを混ぜ込む。ねぎ飯にかけるすまし汁と薬味を用意しながら、頃合いを見て、鍋を火から外しておいた。
飯茶碗や汁椀などを用意して、お盆には一足先に和えた小松菜を盛って待つ。
塩焼きしている魚の肌を落ちる水分が無くなれば……、いつもより少し豪勢な昼餉の完成である。
――献立はねぎ飯と川魚の塩焼き、茄子のみそ汁、小松菜のおひたし。
お盆に乗せたそれらを、わたしは隠居所まで運んだ。
◇◇◇
隠居所ではお義父さまと、もう一人、男性が座っている。彼は居候の森田兵左衛門さま。
兵左衛門さまは、田吾郎さまとお義父さまともに親しく、昨日は結婚祝いに来たんだそう。遅くなって申し訳ない、と手始めに謝罪されてしまった。
わたしはお盆から茶碗をとり、三人分、それぞれの前に出す。お義父さまはそれらを一目見て、頬をほころばせてくれた。
「今日はやけに豪勢じゃあないか」
「裏の川に釣りに行ったら、大きめの鮎が釣れたのです。とき屋のおばあちゃんからちょうど新鮮なねぎを頂いたばかりでしたので、塩焼きにしたらねぎ飯と合うではないかと天啓を閃きました」
「うむ。美味いなあ。田吾郎に自慢してやろう」
「えへへ。田吾郎さまは羨ましがってくれるでしょうか」
お義父さまの向かいでは兵左衛門さまも舌鼓を打つように頷いている。ついついわたしは机の下でぐっと拳を握った。
嫁修行の成果は順調である。
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