第一印象は熊だった(3)
わたしは気になってそわそわしてきた。
お茶で唇を湿らせて、気を紛らわせてみて、でもまだそわそわとするものだから、意を決して尋ねてみることにした。
「あ、あの! 田吾郎さまは、剣術がお嫌いなのですか?」
「嫌いだよ。殺生なんておっかないし」
「それなのに、どうして師範なんかに?」
「どうしてだろう。ううむ。……きっと単純に、理由があったからかなあ」
「つまり
「いいや、理由ってそういう意味じゃなくてね。こうなる迄の動機とでも言えばいいかなあ」
「動機……?」
「人の成果とは行動に
田吾郎さまは顎に手をあてて、言葉を選ぶようにしながら言う。
「やらされたこと、やりたいこと、あるいはやらなければならないこと。どれも形が違うだけで、要するにその人にとってそれが動機になるかどうかが大切でね。
そしてそれが動機になるのであれば、大小問わずそこには必ず衝動がある」
衝動。動機。行動。成果。それが田吾郎さまの価値観かしら。
わたしは自分なりに噛み砕いてから、彼に確認する。
「その衝動というのは、つまり〝やる気〟と言い換えても?」
「そうだね、うん。やる気のことだ。ごめん。そう言った方がわかりやすかったね」
「いいえ。大丈夫です。行動の根っこにある〝動機〟とは理由付け、その理由にどれだけの執念と時間をかけられるかが〝衝動〟の大きさによって決まる。つまりそういうことですよね?」
「うんうん。八野さんは理解が早くて助かるよ」
田吾郎さまは照れたように笑いながら、手元の湯飲みの表面を指でなぞる。
指はごつごつとして、太くて、大きい。もしも取っ組み合いなんてしようものなら、きっとわたしの細っこい手首なんてガッと掴んで一ひねりだ。
剣術師範というのだから、おそらく父と同じように、手のひらにたくさんの豆ができた硬い手をしているに違いない。
少し顔を上げると、田吾郎さまはわたしを見つめていた。
「こんなことを言うと、本当は失礼なのかもしれないんだけど」
「……?」
小首を傾げたわたしは愛想笑いを浮かべる。怒らないですよ。何を言われても。言ってください。どんなことでも。と、そういう顔をする。
でも言葉とは裏腹に、田吾郎さまは何でもない顔をしていた。
「たとえば僕は、八野さんをとても可愛いと思う」
「ああ、はい。いえ、ありがとうございます」
「でもそれは、けしてきみの顔かたちが他人より優れているからじゃないんだ」
「はあ。ええと、はい」
「きみが綺麗なのは、きみの
「………………、」
「……うん? 八野さん?」
「……いえ、ごめんなさい。ええとですね。なんと言いますか。わたし今すごく嬉しいです」
何だか嬉しかった。生まれて初めて、わたしのことを認めてもらえた心地がした。
今までは容姿を褒められても、嬉しいと感じたことがなかった。だって自分から何かをしたことなど、わたしには一度もなかったから。わたしはただ、母から教えられたことを間違えないよう正確に行ってきただけの、何もない女だった。
そもそもわたしという一個人は、所詮は母と父の性交によって生まれたものに過ぎない。一族の遺伝子を組み合わせて、作られたものがわたしという女なのだ。わたしの顔かたちは決して、わたしだけのものではない。
(……などと、そういうふうに考えてしまうわたしの心が、このひとには見透かされているのかしら)
花咲いたような嬉しさは、ふとした疑念から一転、恐怖に変わった。
もしかするとこのひとはとても怖いひとなのかもしれない。あるいはわたしを育てた母や父のこと、裏では詳しく知っているのかもしれない。
そう思ったのだけれど、怯えるわたしの心情などつゆ知らず、目の前の田吾郎さまはへらりと笑っている。笑うと目がなくなるその笑顔に、心ときめく自分がいる。
一抹の怯えなど、田吾郎さまの笑顔を見ただけで嘘のように消えていた。
胸の鼓動が激しく鳴る。お茶に毒でも盛られたかしら? などとあまりに白々しい疑念をして、自分自身の心をこれ以上ごまかしていられないことに気付く。
きれいになろうと思った。あるいは、なりたいと思った。
このひとからきれいに見られるよう身だしなみを整えなきゃという、もう一つ、わたしの裡に動機が生まれた瞬間だった。
八野ひつじ、十三歳。
わたしは田吾郎さまに出会ったその日、しごく真っ当に恋に落ちた。
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