第一印象は熊だった(2)

 わたしは熊に遭遇したのかと思った。

 背丈も腕も手も、むくむくとした大きな身体。口許と顎にはひげを生やし、短めの髪と合わせて精悍な印象を与えるくせに、くたびれたような目元はおっとりとしている。

 田吾郎さまはぼうっとした顔でわたしを見つめると、小さく頭を下げた。


「上村田吾郎。四十八歳。今は実家で剣術の師範をしています。よろしく」


 わたしも慌てて頭を下げる。


「よ、よろしくお願いしますっ。八野ひつじといいます。十三歳です。わたしは、ええと……」

「きみのことは、うん、親父から聞いているよ。僕の奥さんなんだって?」


 言いかけて、田吾郎さまは首を振る。


「あぁでも、まだ決定したわけじゃないんだっけ。ごめんね、わざわざこんなところまで呼び出してしまって」


 のんびりとした低い声で言いながら、田吾郎さまはへらりと笑った。


「親父が結婚しろってうるさいんだよ。まあ、この齢だとさすがにそうなるのだろうけど。でも僕の事情なんてきみには関係のないことだから、気にしなくていいんだからね」

「ええと、はあ……」

「要するに、嫌だったら出て行っちゃって構わないってこと」

「えっ……? でも細谷のおばあちゃんたちはすでに藤十郎さまからお金を頂いてしまっているので、わたしの一存で決めるなんて、みんなの迷惑になります」

「それは親父たちの商売で、お金が払われているならもうおしまい。僕ときみが頓着するようなことじゃないよ」

「は、はあ。そういうものでしょうか?」

「ああ見えて親父だってね、じつは隠居して暇だからってお金を使っているようなものなんだ。だからそんなことに、きみもあんまりこだわる必要はないんだよ」


 ああ。ああ、なんということ!

 わたしは驚天動地の衝撃を受けていた。

 剣術家と聞いていたから、もっと傲慢な人柄をしているものと考えていた。熊のような見た目だから、てっきり粗野で不躾な性格をしているものだと考えていた。

 けれど実態はどちらとも離れ、くたっとした愛嬌のある男性ではないか。

 田吾郎さまはお茶を一口含み、はあ、と一度一息ついてから口を開く。 


「ところで八野さんは、剣術に興味はある?」

「ええと、まあ、はい」

「本当に?」

「はい。本当ですよ。嘘じゃないですよ。そう見えないことは自分でも分かっていますけど」

「それなら稽古場に顔を出してみる?」

「ええと……、いえ、ごめんなさい。興味はあるのですが、剣術を教わるなと母からきつく言い聞かせられておりましたので」

「そっか。うん。僕も同感だなあ。もちろんきみがじつはやりたいっていうなら止めはしないけど、あんなものはさあ、やりたいと思う奇特なひとだけがやればいいんだ」


 田吾郎さまは眉をひそめ、座りが悪そうな声をして言う。

 もしかするとこの人は、剣術師範をしているのに剣術が憎いのかしら、嫌いなのかしら。

 あまりにも憎々しげに語るものだから、わたしは小首を傾げてしまった。


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