幼子の手に抱く
鐘駒英仙
幼子の手に抱く
月が雲に隠れた、暗い夜道。早足で家路を急ぐ。最近、このあたりで通り魔がでたらしく、なるべく早く帰りたいとは思っているものの、いつもこんな時間になってしまっていた。どうか今日も何事もなく帰れますように――そう祈って公園を横切ろうとした。何の変哲もない、いつも通る小さな公園だ。その、暗がりのなかに小さな影がひとつ。おや、と思いよく目を凝らしてみれば、それは小さな子どもだった。
――どうしてこんな時間に子どもが? そんな疑問を感じつつ、子どもの方へ近寄る。子どもはボールを持っているようだった。
「どうしたんだ? こんな時間に。お父さんお母さんは?」
子どもは私の問いには答えなかったが、くるりとこちらを向き、首をかしげる仕草をした。そして、持っていたボールを私の方へ差し出す。
「はい」
楽しそうな、弾むような声。遊びたいのだろうか。
「えっと、もうこんな時間だから、もうお家に帰ったそうがいいんじゃないかな。お父さんお母さんもきっと心配してるよ。最近は特に危ないし……」
私がそう言うと、子どもは心底わからない、というような声色で言った。
「どうして危ないの?」
親はなにも言っていないのだろうか。どうしてこんな時間にひとりで外を出歩くのを許しているのか。私がどう答えるべきか迷っていると、子どもは、遊ぼうよ、とさっきの質問などとうに忘れているといった風で、私を遊びに誘った。
「遊ぼう? ぼくが鬼だよ」
「え、遊ぶなんて言ってないよ」
そう言ったものの子どもはお構いなしで、百まで数えるからね、なんて言っている。
「いーち、にーい――」
子どもはボールを足元に置いて、数を数え始めてしまった。私が子どもになにも言えないまま立ちつくしていると、雲の切れ目から月があたりを照らし始めた。
月明かりに照らされた子どもを見て、私は目を見開いた。どうして気がつかなかったのだろう。子どもは、真っ赤な血で汚れていた。その匂いも、月明かりで視認してはじめて気がついた。そして、私がボールだと思っていたものは子どもの足元で血溜まりを作っている生首だった。その、生首と目が合った。急に吐き気がこみ上げてきた。
「じゅうごー、じゅうろーく、じゅうななー、じゅうはーち――」
子どもは相変わらず、楽しそうに数を数えている。私は走った。一刻も早く、あの得体の知れない子どもから逃げたかった。幸い、家まではそう遠くない。一分ほどで家につくことができた。鍵を開け、玄関に転がりこむ。急いで鍵をかけ、階段を駆け登った。
怖い、恐い、こわい。部屋に入って、なんとか鍵をかける。そして私は、布団に入ってガタガタと震えていた。大丈夫だ。鍵もかけたし、入ってこれるはずがない。朝まで待てば、きっと……
どれくらい経っただろうか。とても静かだった。その静かさに、私はなんとか落ち着くことができた。だが、その落ち着きはすぐにかき消えてしまった。
――ギシ、ギシ。足音が聞こえた。それは、ゆっくりと、階段を登ってきているようだった。それを聞いて、冷や汗が吹き出す。まさか、そんな。玄関の鍵は、ちゃんとかけたはずだ。他の場所も出かけるときに戸締まりをしていたはず。
「こっちかなぁ、あっちかなぁ」
声が、聞こえた。楽しそうな声が。
――落ち着け。この部屋のドアはひとつしかない。窓も鍵がかかっているし、そもそもここは二階だから登れるはずがない。家の鍵はどこかひとつくらいかけ忘れていたのかもしれないけどこの部屋だけならそれは大丈夫なはずだ。大丈夫だ。入ってこられるはずがない。大丈夫だ。
「ここかなぁ」
近い。この部屋の前にいる。ああ、大丈夫だ、落ち着け、落ち着け。鍵はかかってる。鍵は、かかってる。大丈夫だ、大丈夫だ――
しかし、ドアはあっけなく開いた。まるで、はじめから鍵などかかっていないかのように。
「あっ」
足音が近づいてくる。そして、私がかぶっていた布団を勢いよくはがした。顔をあげれば、幼い顔。その顔が、にぃ、と笑った。
「みぃつけたっ」
そして、嬉しそうに、手を振り上げた。窓から月の光が差し込む。赤い。景色が赤い。
幼子の手に抱く 鐘駒英仙 @kadusa
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