エンディング
第29話 思い出のマシンたち
俺が久しぶりに実家に戻ったのは、来季からチーム『インフィニティー』の専属ドライバーとしてGT選手権に参戦することが決まった直後だった。
それまで住んでいたアパートを引き払い、もうちょっと交通の便がいい、駐車場つきのマンションに引っ越すまでの間、ひと月ほどだが母親の住む『カーサ・オーシャン』にお世話になることにしたのだ。
高校のころまでつかっていた部屋はあのころのままで、ベッドも勉強机もそのまんま。読みかけの漫画まで、置きっぱなしだった。
そして、棚に飾られた何台ものマシンも。
ロータス・エリーゼから始まって、俺が数々のバトルで勝ち抜いてきた歴代のマシンがずらりと並んでいる。今はもう動かないかも知れないが、こいつらはどうしても捨てられない。
思い出のマシンたち。かけがえのない宝物たち。
懐かしさとともに、俺はケースから小さなマシンをひとつ取り出す。
バッテリーに充電して、グリスをさせば、またこいつらは動くのだろうか?
そんなことを考えている俺の耳に、懐かしい音が窓の外から響いてきた。
モーターで駆動する音。ギアの噛み合う独特の響き。その金属音は、そう、ミニ四輪だ。そして、子供たちの歓声。
俺はハッとなって窓の外を見下ろした。
道路の向こうにある海賊公園。いまそこで、子供たちがミニ四輪を走らせて遊んでいる。
最近またブームになっているらしい。そして、いつの時代にもガキどもは、こういったオモチャに夢中になるものだ。
今日は日曜日。あいつら、いつまであそこで走っているんだろう? 急速充電すれば、二十分でバッテリーはフルになる。ホイラーの電池は、家のどこかにあるやつを使えばいい。
俺はロータス・エリーゼのボディーにうすくかぶったホコリを、ふっと吹いた。
その三十分後。
俺はホイラーとツールボックスとVRゴーグルを手に提げて、海賊公園に乗り込んだ。
サイクリング・コースで遊んでいるガキどもから離れた位置でツールボックスを開き、中からメンテナンスを終えたロータス・エリーゼを取り出す。
なんのかんのいって、こいつがいちばんのマシンだった。
小型モーターのくせにやたら走るし、気持ちいいくらいに曲がる。
自動車整備の勉強をみっちりしたあとになってやっと分かったのだが、あのころのカメ先輩のマシン・セッティングは神がかっていた。
俺はあとからあれを再現しようとしたのだが、何度やってもできなかった。
ロータス・エリーゼ。思い出のマシン。
いま思えば俺が今レーサーとして活躍出来ているのも、こいつとの出会いが始まりかも知れない。
このミニ四輪との出会いから、俺は進路として自動車整備士を選択した。
高校を卒業し、それ専門の学校に入学。そこで出会ったおかしな奴らとつるみ、なんの因果か、学内のレースにでることになった。
その学校は、整備士の学校だったが、ドライバー科も併設しており、年に一回地方のサーキットを借りて、自分たちで整備した車によるレース大会が開かれる。
俺たち整備士科のハズレ者のチームは、倉庫のすみに眠ったいた旧車をレストアし、参戦。
だが、俺たちみたいな鼻つまみ集団のチームに入ってくれるようなドライバー科の人間はいない。
じゃあ、仕方ない、俺が走るかとなって、ハンドルを握ることになった。
そして、俺たちが整備したマシンは、なんと優勝。
その時のドライビングの腕を見込まれて、俺には卒業後ドライバーとしてのオファーがくる。
学内レースは、プロのチームの注目も集めるイベントだったからだ。
学内レースでの優勝という実績もあったが、なによりも走りは嘘をつかない。
さらに、俺が子供のころミニ四輪でブイブイ言わせていた過去も発掘され、あれよあれよという間に、レーシングドライバーにさせられてしまった。
ミニ四輪とちがって、実車には実車の難しさがある。だが、実際に乗り込んで運転するのだから、こんな楽なことはない。
マシンの状態も、路面の荒れも、タイヤの喰いつきも、すべてリアルタイムで実感できるのだ。
ゴーグルの視点だけで全てを把握していた俺にしてみれば、実車の運転はしごく簡単なことなのだ。
そんなこんなでレーサーとして走るうちに、俺の親父を知っている人に大勢会い、しばらくぶりに管理人さんとも顔を合わせ、なんの因果かいまは駆け出しのGTレーサーだ。
親父はF1に行ったようだが、俺はやはりモノコックより、ツーシーターが好きだ。
それもこれも、やはりスタートがミニ四輪だったからかもしれない。
そんな物思いにふけりつつ、わが最愛のミニ四輪、ロータス・エリーゼをコースに置く。
さあて、最近のガキどものレベルを見せてもらおうか。
ゴーグルを顔にかけ、ホイラーのトリガーに指をかける。
ああ、たまらない。このトリガーの感触。
VRゴーグルから見る低い視点。
思い切りよく、アクセル全開。ホイルスピンもなんのその。ミニ四輪のタイヤは、どんなに無理させてもバーストしない。
つぎつぎとシフト・アップしてコーナーを目指す。
軽い。そして速い! おまけにバッカみたいに良く曲がる。
乗りやすい! なにこれ。こんなのに乗ってたら、そりゃ全国大会で優勝できるわ。
ああ、カメ先輩、ミュージシャンなんかやめてうちのチームにメカニックとして来てくれないかな? でも、無理だろうなぁ。忙しそうだし。
しっかし、こんなにバランスよく仕上げられていたなんて!
コーナーに飛び込む。タイヤが滑るが、まったく安定している。アクセルをがんがん開いてもラインがぶれない。
気持ちいい。こんなに良く走るのか。
前を行くガキどものミニ四輪にあっという間に追いついた。
直線で喰らいつく。前のコーナーの脱出速度が高いからだ。コーナー手前の減速でぶち抜いた。
最近のミニ四輪は優秀な電子デバイスを搭載していて、昔のものより遥かに高性能だという。
いまぶち抜いたランボルギーニ・ディアブロも、姿は旧車だが、四輪駆動に各種コントロール機器と高機能センサーを搭載した怪物マシンだ。
だが、俺の……いやあの頃の俺たちのロータス・エリーゼには、電子デバイス頼りでは絶対に勝てない。
俺は周回遅れにしてやる勢いでフルスロットル。全開走行に移る。
高速S字。
踊るような逆ドリフト。
つぎの直角コーナー。
綺麗なラインの慣性ドリフト。
楽しい。そして、よく走る。素晴らしいマシンだ。
「ん?」
走る快感に酔いしれていた俺は、バックミラーに映った影に首を傾げた。
背後から一台、追ってくるマシンがある。
「なんだ?」
俺はバックミラーを睨んだ。
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