第27話 最後の直線


 じりじりと前を行くインプレッサとの距離が詰まる。だが、そのペースはやがて落ち、そしてぴたりと止まった。


 だめだ、引き離される……。


 ずるり。エリーゼのノーズが滑った。前に引っ張られる。


 ──入った。スリップ・ストリームだ!


 見えない風のかいながぼくのマシンをつかみ、ぐいぐいと引き寄せる。

 まるで磁石に引かれるように、エリーゼが前を走るインプレッサのテールに引き寄せられる。


 よし。ぼくはアクセルを緩め、インプレッサのケツにぴたりと張りついてその位置をキープする。


 インプレッサのトラクションはもの凄い。強烈な加速で前を行く雪花のアヴェンタドールにぐいぐいと迫る。


 長い直線。ホームストレート。


 左右に大勢のギャラリーがひしめきあい、声援を送っているよ。その声がうねるような歓声となって会場に響いている。


 興奮し、拳をふりあげ、手をめいっぱい振る観客の熱気がびんびんと伝わってくる。。

 観客が左右にひしめくホームストレートをぼくらはスケールスピード400キロオーバーで駆け抜ける。


 トップは雪花のアヴェンタドール。それを追い越しそうな勢いで迫るのが2位のインブレッサ。そのケツに張りつくぼくのロータス・エリーゼ。


 最大の見せ場であり、最長の直線でもあるホームストレートだが、とはいえ永遠に続くわけではない。前方に最終コーナーが迫る。右の高速コーナー。


 雪花がアウトへラインを取る。インプレッサはフェイント・モーションの体勢づくりのため大きくインへ。


 ぼくもスリップ・ストリームを飛び出して、自分のラインで飛び込む。


 アヴェンタドールとインプレッサは、瞬間的なドリフトでいっきにマシンの方向を変えるコーナリング。

 いっぽうぼくは、綺麗な弧を描いて優雅に駆け抜ける慣性ドリフト。

 こちらの方が失速がなく、なおかつ走行距離が圧倒的に短いというメリットがある。


 ぼくの旋回スピードは、前の2台を絶対的に凌駕していた。

 曲がりにくいインプレッサが大きく遅れる。


 コーナー入口で多角形コーナリングし、長い立ち上がり距離を利した加速で一直線にコーナーを貫く雪花はまるで金色の矢だ。


 しかし、コーナーではやはり車重の軽さが強みを増す。ぼくはトップに立ちかけ、しかし、肝心のところでアクセルを緩めた。


 ここで前に出たら、……勝てない!


 ぼくは、勢い込んでフル加速してくる花火頭の雪花に、するりと道をゆずった。


 火の玉みたいに突っ込んできた雪花は、途中で気づいたろうが、もうアクセルは緩められない。ここで、緩めたら3番目のインプレッサはもちろん、そのすぐ背後に喰らいついてくるRX8にすら抜かれかねない。


 雪花は、ぼくのエリーゼをスリップ・ストリームに巻き込んだまま、最後の直線をトップで爆走する。


 雪花がトップ。ほくが2位。さらにあとに2台従えて、ぼくらは最終コーナーを立ち上がり、ラストのストレートに飛び込んだ。


「デンドー!」

 カメ先輩の叫び声。


「決めろよ」

 低くつぶやく管理人さんの祈り。


 ぼくは雪花のアヴェンタドールのケツに張りつきながら、遠くに見えるゴールラインを睨む。


 まだ距離はある。が、異様に長いわけでもないラストの直線。


 現在スケールスピード400キロ・オーバーでトップを走るのは雪花。

 だが、後方からトラクションに勝るインプレッサが徐々に追い上げてくる。

 その後方のRX8も速い。おそらくギアが高速設定なのだ。


 ぼくは雪花のスリップ・ストリームに入ったまま、ゴールまでのタイミングを測る。


 速すぎてもだめ。遅かったらもっと駄目。


 いまぼくは雪花の後ろで空気抵抗のない風のトンネルの中にいる。

 ギアは5速。アクセルは半開。

 これを全開にすれば、一瞬だけ雪花の前に出られる。

 それはほんの何秒間かの短い時間だろうけれど。


 ぼくはゴールラインを睨む。周囲の歓声がものすごいが、ふしぎと静かに感じられる。


 ゆっくり息を吸い、ぱちりと心のスイッチを入れた。

 ──今だ。


 ぼくはいっきにステアリングを切ると雪花の横に飛び出した。


 雪花がブロックに動く。が、それは予測済み。

 彼女の性格から、絶対ブロックしてくると予想していたぼくは、右に出た瞬間大きく左に動いて彼女の裏をかき、いっきに横に並んだ。


 金色のマシンとぼくのエリーゼが、サイド・バイ・サイド。

 2台が並列して、最後の直線を駆け抜ける。


 ぼくは魂のすべてをかけて、アクセル・トリガーを引いた。


 ぼくの愛車ロータス・エリーゼは小型軽量。

 よって、大型モーターは積めない。


 いっぽう雪花のマシンはフロントに大型モーターを搭載し、その加速力もトップスピードもぼくより上。

 直線では絶対に勝てない。



 だけど、あの日。

 そう夏休みに入る一週間前。カメ先輩がぼくに言ったんだ。

「エリーゼが直線で絶対勝てないわけでもないぜ。一瞬なら、勝機がある」

「え? でも……」

「モーターってのは電流で稼動する電気回路の一種だ。そして、電流が流れると回路の温度は上がる。電気抵抗ってのはさ、温度が上がれば上がるほど、それに正比例して大きくなるんだ。つまり、全開を長く続けたモーターは、電気抵抗が増してパワーが落ちる。つまり、スリップ・ストリームに入ってモーターのパワーを温存しておけば、何秒間かは小型モーターでも、大型モーターを凌駕するパワーを発揮することが出来る」



 ぼくは目いっぱいトリガーを引いて、エリーゼにフルスロットの鞭をくれた。


 行け。ぼくのエリーゼ。いまこそ、おまえの力を見せろ。


 誕生日のプレゼントでミニ四輪を買ってもらうはずだったあの日。

 デパートでは売り切れだった。

 諦めきれなかったぼくは、近所の模型屋さんでお前を見つけた。


 そのあと頑張って組み立てて、海賊公園で初めて走らせて、その速さに驚いた。

 それから毎日毎日練習して、マシンのセッティングをカメ先輩に見てら貰って、そしてサギ高レースで初めて戦った。


 あのときは失格したけれど、今はちがう。ぼくもお前も、もうあの時とはちがうんだ。


 雪花のアヴェンタドールの横に並んだ、ぼくのエリーゼは、そこからぐいぐい加速を開始した。

 たちまちのうちに金色のランボルギーニの前に出る。そして、大きく引き離し次の瞬間……。


『ゴォォォォーーーーーー!』

 実況の声が響き渡った。


 ぼくのマシンが最初にゴールラインを越え、そしてミニスカートのお姉さんが振るチェッカーフラッグを受けた。


 やった……。

 ぼくはほっとした。優勝した。やっと、やっと勝てた。


「おい、見たかカメくん!」

 興奮した声で管理人さんが叫んでいる。


「はい、見ました! もの凄いレースでした」

 カメ先輩が感動に声を震わせている。

「あの女の人、レースの白でしたよ! 透っけ透けでした。しかもあれ絶対Tバックだ」


「おい、いまの録画できてるんだよな」

「もちろんですよ! あとで解析して明度をあげましょう!」


「……あのー」

 ぼくは恐る恐る、盛り上がるカメ先輩と管理人さんの会話に割り込んだ。

「ぼく、……優勝したんですけれど」


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