第25話 慣性ドリフト


 つづく下りは、左への螺旋。渦巻き二回の高速回転コースだ。


 ここで線路は二回渦巻いて、直線に入る。


 渦巻きが二回あるわけだから、とうぜん二回目のカーブはきつくなる。


 下ると同時にきつくなるから、それだけ速度がついて、下に行けばいくほど難しくなる超高難易度のゾーン。



 左にカーブし、軽くバンクしたコースは、まるで奈落の底に続いてるかのよう。

 恐ろしいことこの上ないが、躊躇なくトップのインプレッサは飛び込んでゆく。


 ぼくもマシンをインに寄せ、アクセルを開く。


 だが、速度が乗り過ぎるとアンダーステアが出てアウトにふくらむ危険がある。

 しかも、下りでスピードが乗っているから、一度タイヤが滑ったら止まらない危険がともなう。


 そんな一瞬のぼくの躊躇を見透かしたように、雪花がアウトのラインからいきなり直滑降で下っていった。

 一直線にアウト側のレールめざして突っ込んでいく。


 コントロールを失ったか?と一瞬思ったが、ちがう。


「多角形コーナリングか!」


 勢いよくアウト側の壁に突っ込んでいった雪花は、そこで見えない壁に当たったビリヤードの球みたいに跳ね返り、普通では有り得ない旋回をする。

 まるでUFОだ。かくっと曲がって、あっさりと先頭のインプレッサの前に出た。


 くっそ。ぼくも負けていられない。あの頭のおかしいドライビングをする女を、なんとしてもぶち抜く。


 ぼくは下りの旋回であるにも関わらず、アクセルを開いた。

 もうこうなったら、誤魔化しは利かない。いや、誤魔化しどころか、いっさいの手加減抜きだ。


 前をのろのろ下るインプレッサのケツにつくと、ぴたりと張りつく。


 やはり4WDは曲がりにくいらしい。ゆるゆると旋回を続けるコースに苦戦している。

 背後からはRX8も迫っていることだし、ここでいつまでもつき合ってはいられない。


「管理人さん、必殺技、使います」

「ああ、そろそろ潮時だな」


 ぼくはステアリングを保持しながら、アクセルをいっきに開いた。


 加速し、前を走るインプレッサを外からぶち抜く。


 そして、さらに前を行く雪花の金色のマシンを猛追した。


 コースは下り、ゆるい左。

 ぼくは躊躇なく5速全開。前を行く雪花のアヴェンタドールに喰らいつく。


 さすがに速い。下りでFFのトラクションとコントロール性を発揮してものすごいペースを生み出している。

 だが、さすがの雪花もこれ以上は踏めないはず。タイヤのグリップがもたなくなっているのだ。


 しかし。

 ぼくは、すっと息を吸い込むと、アクセル・トリガーにかけた人差し指に神経を集中し、さらにじわりと引いた。

 追加の加速。


 ぼくのマシンが遠心力に負けてずるずるとアウトに流れる。

 それでも構わずアクセル・オン。さらに外に流れようとするマシンをステアリング操作でコントロールする。


 タイヤがもつグリップ力を100とすると、それを超える遠心力を受けた場合マシンは外に流れ出す。

 が、その100を超えるゾーン。

 105かも知れないし、108かも知れない限界の外で、それでもマシンをコントロールできる領域が存在するのだ。


 その領域で、タイヤを滑らせながら走る走法を「慣性ドリフト」という。

 もし、使いこなせれば、これがコーナーでいちばん速い。


 ぼくはタイヤのグリップを超えた領域にエリーゼの速度域を持っていき、なおかつその限界突破の領域でマシンをコントロールする。


 ぼくのマシンが、走ると滑るとの間の、あいまいな状態でコーナリングしながら、アウトから綺麗に雪花のアヴェンタドールを抜いてゆく。


 気の強い彼女は、そうはさせまいとブロックする動きを見せるが、自分自身も限界ギリギリのゾーンでコントロールの最中。下手にアウトにマシンをふる余裕はない。


 ぼくは無理なく、あっさりと、『電光』雪花のアヴェンタドールを抜いて、ふたたびトップに立った。


 ぼくはアクセルを緩めると、ふたたびタイヤのグリップを取り戻し、そのままインべたで下り続ける。


 すぐあとを雪花のアヴェンタドールが追いかけてくるが、じりじりと引き離されている。

 おそらく、前輪のタイヤのグリップが限界なのだ。


 FF車は、コーナリング・フォースのほとんどを前輪から生み出す。


 強烈に旋回しながら、内側へマシンを引っ張るように加速させるのは、これすべて前輪の仕事。

 後輪はなにもしていない。


 そのため、前輪タイヤへかかる負担はどうしても大きくなる。

 タイヤのもっているグリップ力は同じなのに、加速する力と旋回する力を前輪タイヤのみの摩擦力で生み出そうとするのだから、おのずと限界は低い。



 一方後輪駆動のエリーゼはちがう。前輪で旋回し、加速は後輪。しかも、モーターを中央にレイアウトしたMRシャシーは、安定性が高い。


 よし。

 ぼくは心の中でしずかにつぶやいた。


 ここで引き離そう。


 決意し、アクセルを開く。限界の、さらにその向こう側へ。


 エリーゼが、滑るように踊り始める。まるで氷上を滑るワルツを舞うのように。


 なめらかに滑りながら、美しい弧を描き始める。雪花のアヴェンタが離れた。絶対いま彼女は、歯ぎしりしているに違いない。


 だが、彼女は追いつけない。

 単発のコーナーなら多角形コーナリングで距離を詰めることもできるだろうが、えんえん続くカーブでは、MRの優位性はゆるがないのだ。


 コースはさらに下る。

 見えるか見えないか程度の割合で、その曲率はきつくなる。


 いきなりぼくのタイヤが滑り始めた。大事なのは、滑り始めたことに気づくこと。

 ぼくはアクセルをゆるめず、滑り始めたマシンを滑り始めたなりにコントロールする。


 まだ行ける。もうちょっとだけ、この速度域で。


 だが、このペースでは、そろそろアクセルをゆるめる頃合いでもあった。




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