第21話 地味な必殺技
目の前にコースがない。それは下に向かって急激なカーブを描いていた。
まさに崖の淵。
そのさきに何が待ち受けているかも分からず、ぼくは飛び込む。
下り。垂直に下るような急こう配。
そこに飛び込んだが、それでも先が見えない。目の前に青い空。マシンのフロントは、まだ空を向いている。路面がまだ見えない。
え! まだ下るの?
垂直に落ちる角度から、さらに下へ向く。
もうこの下り、真下を通り過ぎて、マイナスの角度なんじゃないかという落下角までノーズがさがり、はじめて行く手が見えた。
まさに滝つぼ。その底へむかって、奈落のように落ちるコース。
ぼくは全身の毛が逆立った。
「うわぁぁぁーー!」
思わず声が出る。
「どうしたの! ロータスくん」
状況のわかっていない隣のキャバお姉さんが心配して声をかけるが、返事ができない。
「くそっ」
一度落ち始めたら、もうブレーキもラインも関係なし。コントロールを失わないためには、まっすぐ奈落の底へとフルスロットルで突っ込むしかない。
ぶわーっと水煙がフロントガラスに吹きつけてくる。
それらは液体ワイパーによって水滴として拭い去られるが、水煙はまるで水蒸気の壁のように次から次へと吹きつけてくる。
視界が白く滅している。
空から降り注ぐ太陽の光が、きらきらと虹を生みながら、車体の周りを照らす。
バックミラーには、ぼくのマシンが水蒸気の壁に開けた穴が、綺麗な丸いトンネルを作っていた。
凄い速度。スケール・メーターの表示は500キロ・オーバー。
突然、目の前の霧が晴れた。前方にいきなり現れるコース。急激に上へ向かっている。いや、水平にもどるのだ。
「デンドー!」
「はいっ」
ぼくは息を詰めて集中した。
いま落下による加速で、マシンは超高速になっている。
このあと平地に到達したら、短い直線で急減速をかける必要がある。その、スーパー・ブレーキングに失敗すると、クラッシュ必至。
目の前に迫る壁のような路面。ばっと大きくなって視界をふさぐ。
その瞬間、じゅんとカメラが揺れ、エリーゼは車体を震わせながら、まるで急降下から急上昇へ移る戦闘機のように、ストレート・コースに復帰した。
水が張る路面。
行く手では、さっき落下したばかりの『スプラッシュ・キャニオン』のゴンドラが水を蹴立てている。その波が行く手の路面を洗っていた。
わずかな直線のあとは、左への直角コーナー。
プレーキングが間に合わなければ、壁に激突する。
が、ブレーキは、つよく掛ければすぐに止まるというものでもない。
トリガーをじわりと引いて、ブレーキの効きを確かめる。くっとフロントが沈んで、速度が落ちる。さらに、じわり。ぐぐっと沈んだフロントが浮いた! 前輪がすべった。
すかさず、ブレーキ・リリース。シフト・ダウン。アクセル・オフ。
エンジンブレーキがかかり、フロントが沈む。じわりとブレーキング。
フロンドが沈み、速度が落ちる。
シフトダウン。焦るな。シフトを落とし過ぎると、シフトロックして今度は後輪が滑るぞ。
ブレーキをさらに引く。車速が落ちているがまだまだ速い。目前まで迫る壁。ぎりぎりまでスペースを使え。まだ、距離がある。
「デンドー!」
たまらずカメ先輩が声を上げる。
ぼくは答えない。
だいじょうぶ! いける。
ブレーキをぎゅっと掛け、フロントが沈むタイミングでステアリングを切る。エリーゼがすかさず反応し、剃刀のような切れ味で旋回した。
素早く、そして一定の速度で。
濡れた路面のうえを、水を蹴立ててぼくのマシンが弧を描く。
「よし」
管理人さんの声。
路面はまだ濡れている。が、勾配のないフラットなゾーン。
ぼくはアクセルを開ける。
行く手に上り坂がある。コースは『スプラッシュ・キャニオン』を出で、ふたたび屋外へ。
スロープを越えて、太陽の下を走る。
すぐ横には『スプラッシュ・キャニオン』に並ぶ人たちの行列。みんなが走るぼくのマシンに向かって手を振ってくれる。
直角コーナーを抜けて、直線。
前を走るマシンを2台抜く。
コーナーがあれば、その脱出速度をつかってぼくの非力なマシンでも、そのあとの直線でハイパワーマシンを抜き去ることが出来る。
現在の順位は8位。
つぎのコーナー。
前を走る超速いダッジ・バイパーに追いつく。
が、このあとの直線は長い。わざと抜かない。引っ張ってもらうためにスリップ・ストリームに入る。
相手はそれを嫌がり、必死にぼくを引き離そうと全開走行するが、それは願ったりかなったり。
400キロ超の速度で走るバイパーにくっついて、ぼくはつぎの高速コーナーへ飛び込む。
バイパーは、ド派手にケツを振って、ものすごいテールスライドでコーナーを抜けていく。
まるでハリウッド映画のカーチェイスだ。
でも、ド派手な分だけ、エネルギーロスが大きい。ぼくは軽々とついて行きながら、アクセルを開ける。
「デンドー、いい機会だ。ここで一度試しておけよ」
管理人さんに言われ、ぼくは「はい」と答える。
ちょうどぼくも同じ気持ちだったから、すでにその体勢に入っていた。
ぼくはじわりとアクセルを開きながら、ぼくのお父さんから管理人さんに伝授されたという必殺技を使った。
必殺技といっても、派手なものではない。
本当に速いコーナリングに、派手さはないものらしい。
それこそ、いつ曲がったのか分からないくらいのコーナリング。
それが極意なんだそうだ。
ぼくは、ド派手な旋回をするダッジ・パイパーをアウトからすーっと追い抜いた。
おそらく相手のドライバーからしたら、まるで魔法でも見せられた気分だろう。
高速コーナーとはいえ、この曲率のコーナーを300キロ以上で旋回できるミニ四輪はないはずだから。
そして直線。立ち上がり。
大きく崩れた態勢をもどすのに手間取るバイパーを尻目に、ぼくは旋回速度そのままでなにごともなかったように立ち上がる。
どこまでがコーナリングで、どこからがストレートだか分からない立ち上がり。
これが管理人さんから伝授された必殺技の特徴だ。
行く手にはすでにピットが見えていた。
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