第19話 苦手な上り坂



「上り坂? そんなものあるの?」

 ぼくの驚きの声に、カメ先輩がくすっと笑う。

「そりゃあるさ、ジェットコースターだからな。上らないと、落ちられない」


 すなわち、落ちるための上りだ。

 ということは、当たり前だけど上った分だけ、あとでいっきに落ちることになる。まったく、なんてステージだ。なんて場所を会場に選んだんだ!


 近づけばちかづくほど、その上りの長さが分かる。バッテリー、もつのか? モーターは焼き付かないのか? そして、タイヤは滑らないのか?


 そんな疑問はすぐに晴れる。


 行く手を上っている何台かのマシン。そのうちの1台がいきなりスピンして、ずるずると滑り落ちてきた。ガラス窓にとまろうとして失敗したカブトムシみたいに、無様に滑り落ちてきている。


 ──タイヤは滑るらしい。


「デンドー、勢いつけて上ってけ」

 管理人さんのアドバイス。


「はいっ!」

 ほくはフルスロットルで上り坂へ突撃する。


 上り坂の横は水路ではない。ゴンドラを上らせるためのベルトコンベヤーになっていて、いまも四人乗りのゴンドラが、ごとんごんとと上へ運ばれている。


 その横を走る幅広のコース。だが、見ている今も、つぎつぎとマシンが上から滑り落ちてくる。

 その中には、なんとインプレッサやランサーといった4WD車も多い。


 四駆でも滑り落ちるのに、ぼくのエリーゼはMRだよ。後輪だけの駆動なんだ。だったらなおさら落ちるんじゃないのか?


「デンドー、ホイルスピンには注意しろ。タイヤを空転させたら、アウトだ。あいつらの二の舞になるぞ」

「えっ」

 と思ったときには、接合部をこえて、上りに突入していた。


 思わず力が入って、トリガーを引いてしまう。VRゴーグルのなかで、回転数計タコメーターの針がぐーんとレッドゾーンに飛び込む。


 あ、そうか!


 あわててぼくはトリガーをもどす。ホイルスピンを起こしてタイヤが空転すると、グリップしなくなるのだ。


 つまり、上ろうと思ったらアクセルを開けずに、タイヤが持っている摩擦力のうちでトラクションをかけるしかない。

 それ以上の力でタイヤを回すと、逆にタイヤが滑って落ちるのだ。


 ぼくはスピード・メーターとタコメーターの反応を確認しつつ、じわりじわりとアクセルを開く。


 ぼくのすぐ横を、ものすごい勢いで上っていったのは、平べったいデザインのスーパーカー、ランボルギーニ・ウラカン。あれも4WD。


 だが、四輪から派手な水しぶきをあげていると思ったら、とつぜん後輪が滑り出し、つぎの瞬間車体がななめにスピンをしだすと、なす術もなく失速し、重力にまけてずるずると落ちて行く。

 まるで、ガラス窓にとまったカブトムシみたいに。


「あーあ。四駆といっても、タイヤが滑っちまったら手も足も出ねえのに」

 管理人さんがご愁傷様と言わんばかりの声でつぶやく。


「デンドー、もうすこし我慢しろ」

 カメ先輩が元気づけてくれる。

「上の方は乾いているはずだ。グリップが戻ったら、全開で上れるぞ」


「はい」

 ぼくはちらりと後方を確認する。ミラーに映っているのは、あのS2000。やはり上手い。ついてきている。


 だが、ぼくよりも速度が遅い。


「後ろのS2000。ついて来れないだろ」

 管理人さんがクイズをだす。

「どうしてだと思う?」


「え?」

 ぼくは考えた。車重だろうか? いや、S2000も小型シャシーの小型モーターだ。

 ぼくのエリーゼより重いということはない。ということは……。


「もしかして、FRだから?」

「そうだ、よく気づいたな」

 管理人さんの笑い声。


 ホンダのFR、S2000。シャシーはエリーゼとおなじ小型シャシーだが、モーターの取り付け位置が違う。

 S2000はフロント・モーターだが、エリーゼはミッドシップ。

 いちばん重いパーツであるモーターとバッテリーが車体の中央付近にある。

 そのため、重心位置が中央。


 対して、フロントモーターのS2000は、フロント・ボンネットを開いてバッテリー交換する都合上、重心位置が前だ。


 上り坂で重心が前にあると、荷重が前輪にかかっている。それはコーナリングでは強みとなるのだが、上り坂では後輪の摩擦力が減り、トラクションがかかりにくい。


 マシンを加速するのはモーターではない。タイヤの摩擦力だ。

 後輪のグリップ力は、重心が前に寄っているFRより、中央にあるMRの方が高い。


 そんなことを考えているうちに、ふいにエリーゼのアクセル・レスポンスが変わった。

 後輪が路面に喰いつき、ぐいぐい上り始める感覚がある。


 路面とタイヤが乾いてきて、グリップがもどってきたのだ。

 ぼくは慎重に、じわりじわりとトリガーを引いてゆく。


 エリーゼが、上りだというのに、力強く加速を開始する。

 そして、とうとう手強い上り坂を上がり切った。


 現在順位は28位。

 だが、つぎの瞬間、いきなり順位が23位にあがった。


「え?」

 ぼくは喜ぶよりも、ぞっとした。


 ライバルを追い抜いていないのに順位があがるのは、前を走るマシンが多重クラッシュをしてリタイアしたからだ。


 このさきで、なにかが起こっている。このさきにいったいなにがあるんだ……!

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