第11話 スタート・ユア・エンジン


 すでにぼくの視点は、エリーゼのコックピットからのものだ。目の前に49番のマシンが止まっている。


 横幅のあるでっかいケツは、旧型のホンダNSX。ほくのエリーゼとおなじMRレイアウトだが、搭載しているモーターは大型。パワーがある。


 NSXだといっても、ミニ四輪の場合はシャシーは共通だから、特別速いわけではない。


 でも、赤いボディーにでっかく描かれたアニメキャラやフェンダーの形状。ぎりぎりまで落とされた車高が、ただ者ではない雰囲気を出している。


 なんかすっごく速そう。

 よし、この人についていこう。


 ぼくは心の中で彼をターゲットにすることに決めた。

 やがてアナウンスが入る。


『さあ、ミニ四輪レーサーのみんな、スタートの準備が整ったようだね。それではいよいよ、ミニ四輪全国大会東京都大会の本戦をスタートするぞ。スタートぅ、ユア、エンジンっ! 心のイグニッションを回せ!』


 ブーっという警告音がアプリ経由でゴーグルのイヤフォンに転送され、画面内にレッドの丸が表示される。


 赤はまだだ、の意味。


 ついでイエローの丸。緊張が高まる。


 そしてブルー! スタートだ!


 ぼくはホイラーのトリガーをジワリと引いた。その時間コンマ数秒。エリーゼのタイヤが路面を噛んでいるのを確認するや、一気にフルスロットル! トリガーを引き切った。


 ロケットスタートしたエリーゼが、目の前でタイヤを空転させて加速しているNSXのケツに喰いつく。

 アニメ画が描かれた痛車はハイパワー・モーターの力で矢のように飛び出している。


「いいセッティンクだな」

 カメ先輩の声がひびく。

「前のNSX、後輪のキャンバー角が絶妙だ。あれならコーナー途中で加速してもマシンが安定する」


「伸びもいいな。5速ミッションの低いところだけクロス・ミッションにしてる。手強いなぁ。都大会って、こんなやつらばかり出てるのかぁ?」

 管理人さんのあきれたような声。


 だが、ぼくはそれどころじゃない。このNSXについていかなければならないのだ。


 前を走るホンダのスーパーカーのケツに、こちらのノーズをぴたりと張りつけて走る。

 これは、管理人さんに教えてもらった必殺技その一『スリップ・ストリーム』!


 前を走る車の真後ろにぴったりつくことで、空気の抵抗を避けてこちらのパワーとバッテリーを温存する戦法だ。


 都大会の会場は東京ディズミーランド。どうしても直線が多い。

 ストレートの弱いぼくのエリーゼが、ハイパワーの大型車を相手に戦うための基本戦術が、このスリップ・ストリームだ。


「うわっ」

 ぼくは思わず声を出す。

「速い……」


 まだ4速。トリガー全開でもないのに、すでにエリーゼのトップスビートに達している。画面表示のスケール・スピードは時速300キロ超。


 しかも、速度があがればあがるほど、前の車に吸いつけれるように、前へ引っ張られる。これが空気の力ってやつですか!


 驚くと同時に、興奮もする。この技、使える!

「デンドー、ピット・レーンを出るぞ」


 管理人さんの警告。

 マシンはあっという間にピット・レーンを飛び出し本線へ。


 3つのレーンが合流し、横から大量のマシンが合流してくる。いま、150台のミニ四輪が、大挙してホームストレートを怒涛のように駆け抜ける。


 ぼくは最後尾。後ろにマシンはほぼいない。そして、前方には100台以上のライバル。


 コースはビッグサンダー・キャニオンの前を抜けて、ディズミー・シーの敷地内へ向かう直線。


 ただし、途中にはコーナーやS時シケインが設置されている。


 ぼくが張りついているNSXはやはり、速い!


 次々とマシンを抜いて順位をあげてゆく。そこに張りついて、おなじく順位をあげるぼく。

 だが、視界のほとんどが前を走るNSXのテールに塞がれて、前が見えない。そこは怖い。


 視界の隅、プラ板のガードレールの向こうを、レーサーに対する標識が一瞬流れた。

 描かれていたのは右コーナーを意味する矢印。この先にコーナーがある。


 ぼくは躊躇なく左に車線を変えて、NSXのスリップ・ストリームから離脱した。

 とたんに速度が落ちるのだが、構わない。どうせみんなコーナーで減速するのだから。


 前方に迫る右コーナー。

 ミニ四輪からの視点ではそれがどういう形状をしているのかは分からない。


 が、屋外に設置されたコースのコーナーはだいたい九十度の直角コーナー。

 地面にプラ板を敷いてコースを作る都合で、弧を描くようなコーナーは作りづらいのだ。


 ぼくは素早くアウトに寄る。周囲の大集団も、アウト・イン・アウトのラインを得ようと、左側の壁へ押し寄せてくる。

 なかには無理な幅寄せをしてるマシンもあった。


 ぼくは素早くアクセル・トリガーを緩めてエンジン・ブレーキならぬモーター・ブレーキで減速。


 速度を落としたぼくを、遅い奴と判定した周りのマシンが大挙して抜いてゆく。


 獲物に襲い掛かるサメの集団のように、数十台のマシンがアウトからインに突っ込んでゆく。

 何台ものマシンがラインを交錯させ、ボディーを接触させながら、走行ラインを奪いあい、ひしめき合いながらイン側の壁に殺到する。



 みながオーバースピード。そして、うち何台かがブレーキをかけた。

 それらが、絵に描いたようにスピンする。旋回中にタイヤをロックしてしまい、コントロールを失ったのだ。


 そのスピンしたマシンたちに、後続のマシンがつぎつぎと追突し、跳ね返り、他のマシンを巻き込んで多重衝突を起こす。



 やはりそうなるか。

 ぼくは驚きつつも、カメ先輩と管理人さんの先読みの深さに感心する。



 カメ先輩と管理人さんは二人して、最初のコーナーで多重衝突が起きると予測していたのだ。いや、もうこれは予言といっても過言ではないかもしれない。



「レースという緊張した場面。長い直線からのハード・ブレーキング、屋外コースというホコリの乗った路面。そして、効きすぎるブレーキ・システム。この条件下でスピンしないやつは少ない」

 カメ先輩の読みだった。



「多数のマシンが大挙して突っ込むファースト・コーナーはどうしてもクラッシュが多くなる。そこは一歩引いて、順位を下げてもいいから、安全に抜けるること。結果としてそれが自分の順位をあげることになる。人より先に行こうとするばかりがレースじゃねえ。完走できない奴に順位なんてつかないからな」

 これは管理人さんの言葉。これはぼくには耳が痛い。



 コーナー手前で大きく減速したぼくは、多重衝突してクラッシュしたりスピンしたりして絡まっている何十台ものマシンの間を縫うようにしてゆっくりと走り抜けていく。


 カウルを破損したマシンや、反対方向を向いてしまったマシンの横をすり抜け、低速ギアで大混乱の多重衝突現場を抜けたぼくは、そこから再スタート。一気に加速する。


 ギアをつぎつぎあげて、だれもいない直線を突っ走る。


 おそらくいまの多重衝突で多少は順位をあげられたはずだが、ゴーグルに表示されているランキングは81位。

 真ん中よりも、ちょい下。つまり、半分以上のマシンが先行していることになる。


 ぼくが3速から4速にあげるタイミングで、後ろから迫る影がある。


 赤いマシン。速い!


 そいつはあっという間に追いついてくると、コックピット内に吊るされたバックミラーいっぱいにそのボディーの美しさを見せつけてくる。


 アニメキャラの描かれた、楔形のホンダ車。あのNSXだ!



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る