第10話 スタート準備


 まっすぐにぼくの前までやってきた雪花は、ぼくの横に自分のツールボックスとホイラーをどん!と置くと、ぼくの隣の椅子にすわった。


「あんたも出るのね」

 ツールボックスを開きながら、なんか学校の先生みたいな口調で話しかけてくる。


「はい、一応」

「豊島区大会、見たわよ」

「え?」


 あの試合、見に来てたんだ。それとも動画でだろうか? いずれにしたって、だったらぼくが出ることは知ってたんじゃないか。


「苦労しているみたいね」

 ちょっと小馬鹿にしたような口調で言いつつ、雪花はツールボックスからの彼女の愛車、『電光』アヴェンダを取り出す。


 金色のランボルギーニ・アヴェンタドール。

「あんな、ブレーキ・システムなんかつけるからよ」

 ちょっと自慢げに言われた。


「あ、やっぱりブレーキつけてないんだ」

 ぼくが驚いたような声をあげると、雪花ははっとなってこちらを振り向いた。


 よく見ると、すごく可愛い顔。目も大きくて、宝石のような焦げ茶色。いま気づいたけど、雪花って可愛い。……性格は最悪だけど。


「どういう意味よ」

「あ、いや、足回りのマシン・セッティングは変えずに、試合に出るんだろうって、ぼくらは予想してたから。あと、そのマシン、FFなの?」


 その言葉を聞いた瞬間、雪花はすごい勢いで、マシンをツールボックスにもどすと、椅子をけたてて立ち上がった。


 まずい、なんかいけないこと言っちゃったかな?

 ぼくがびっくりしていると、雪花は般若のような怖い顔でぼくのことを見下ろし、低い声で言い返してきた。


「それが分かったからって、あんたはあたしに勝てないわ。いくら軽量でも、ブレーキ・システムみたいに重いパーツ付けてたら、意味がないんじゃない?」


「そんなことないよ」


 ぼくは言い返した。ブレーキ・システムをつけるという選択は、カメ先輩と管理人さんがいろいろ考えてくれた上で出した結論だった。なんかそれをバカにされたみたいで、ぼくはムッとした。


「ブレーキは重要だよ。ちゃんと使い方を分かっていれば、ブレーキングはレースでは大きな武器になるって管理人さんに言われたし、ぼくのエリーゼは前輪にしかブレーキをつけてないから、重量的にもバランス的にも理想的だってカメ先輩が……」


「自分の!」

 雪花が強い口調でぼくの言葉をさえぎる。


 思わず大声を出してしまったことに気づいた雪花は、はっとなって周囲の注目を集めていることに気づき、そこからは小さい声で続ける。


「自分のマシンのセッティングなんて、大声でいうもんじゃないわ」


「別に秘密じゃないよ」

 ぼくも口をとがらせて言い返す。

「セッティングだけで勝つつもりはないから。そのために練習してきたんだ」


「あらそう」雪花はツールボックスをつかみ上げると、「じゃあ、レースで会いましょ」と捨て台詞を残して、遠くの席へ移動していった。


「なんだありゃ」

 ぼくは腹が立って仕方ない。

 勝手にひとのとなりにやってきて、勝手に怒って去っていった。

「台風かよ、あいつ」




 しばらく待つと、係りのお兄さんがきて、「出場者のみなさんは、ピットに移動してください」と大声をあげた。


 今年の都大会の出場者は、23区と多摩地区26市から予選上位者各3名ずつ。さらに雪花のような全国大会上位者などのシード選手を含めて150名。


 小学生もいるが、中学生や高校生の方が多い。あと大人の人もかなり混じっている。みんな速そうな人ばかりだ。ツールボックスや工具などの装備も、みんなプロっぽい。


 そんなレーサーたちがぞろぞろ移動して、外に出る。まぶしい日差しの下に出るとそこは会場。


 ビッグサンダー・キャニオンの前に設置された観客席とコース。

 コースはここからスタートして、ここに返ってきてゴール。


 形式はピット・スタート。

 中央にあるバックストレートの左右に3列のピート・レーンが設置され、そこに50台ずつのピット・ポイントが決められている。


 事前にくじ引きで決められたピット・ポイントにマシンを置き、レーサーはその位置についてマシンをコントロールする。

 レース中はそこから動くことは禁止。失格になる。また部外者はピットには立ち入れない。



 ぼくは引いたクジの番号の場所にたち、足元のコースの、番号が書かれた枠のなかにエリーゼを置いた。スタートまではまだちょっと時間がある。


 ゴーグルをかぶり、ボイスチャットをオン。がりっというマイクの音をひろって、音声チャットが始動する。


「みんないる? ピットについたよ」


 ぼくの言葉に反応して、カメ先輩と管理人さんとサトシくんが返事する。


「感度良好だ」管理人さんの嬉しそうな声。


「デンドー、ピットは何番だ」カメ先輩が気にして聞いてくる。


 ピットの番号は、すなわちスタートラインだ。

 ピットは三列あるから、1から50まで、51から100まで、101から150までに分かれている。


「あー、50です」


 ぼくが正直にいうと、サトシくんが「あー」と残念な声をあげる。なぜならば、それは、最下位スタートと同じだからだ。


「いいじゃねえか」

 と楽しそうな声を上げたのは管理人さん。

「前回のサギ高レースの雪花みたいに、最後尾からスタートして、全員ぶち抜いて優勝狙えよ」


「いや、サギ高レースと都大会はレベルがちがいますよ」

 あきれたようなカメ先輩の声。

「ま、それが出来るくらいのマシンには仕上がってますけどね」


「いうねえ、カメくん」

 管理人さんはカメ先輩のことをカメくんと呼ぶ。



 レース中のボイスチャットは公式ルールで許可されている。

 ただし、VRカメラへの接続は禁止で、カメ先輩たちが見られる映像は、ぼくが見ているものと同じものに限定される。


 レーサー以外は、勝手に後ろを振り返ったりできない。

 これはレースの公平性を保つための措置だ。

 そうしないと、仲間にずっと後方監視をしてもらったりする不公平が生まれるからだ。


『ミニ四輪東京都大会出場のみなさん、まもなくレース・スタートします。マシンの電源を入れ、既定のピット・ポイントにマシンを置いてください。準備が出来たレーサーは一度ピットのイスに着席をお願いします』

 とアナウンスが流れた。


 ぼくはエリーゼの電源を入れ、ホイラーによるコントロールを確認し、マシンを既定のポジションに置く。


 VRカメラの視界をもう一度確認し、着席した。

 スタート準備完了。いつでもいける。


 ぼくの指は自然とぶるぶる震えだした。

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