第6話 いいだろ、これ


 振り返ると、そこにはVRゴーグルを被った管理人さんがいた。

 ぼくは思わずぷっと笑ってしまった。


「いいだろ、これ」

 なんか口をもの凄く自慢げに歪めている。ゴーグルを被っていても、満面の笑みだということが分かった。


「それ、ネットゲーム用のゴーグルですよね」


「そう。最新式で解像度とヘッド・トラッキングのレスポンスが最高なんだぞ」


 ミニ四輪は子供用のおもちゃなので、優秀なゴーグルがなくても遊べるように出来ている。


 そもそもおもちゃサイズのマシンに搭載するのだから、VRカメラ自体がそれほど高性能ではないのだ。つまり、ミニ四輪用の安いゴーグルで事足りる。


 だのに、管理人さんはもの凄い高性能ゴーグルを買ってきてしまったのだ。

 これならどんなデスゲームでも生き残れちゃうってくらいすごいVRゴーグルだった。


 ぼくがそれを説明してあげると、管理人さんはちょっと残念そうに口をすぼめたけれど、すぐに気を取り直して、「まあ、ゲームするときにも使えるから、これでいいよ」と大きなゴーグルを顔にはめたまま笑った。


 そのあと自虐的に付け加える。

「ま、ゲーム機はもってないけどな」



「でさ、これ、どうやればデンドーのミニ四輪とつながるの?」

「ああ、それは……」


 ぼくはスマホのアプリで管理人さんのゴーグルとぼくのミニ四輪のカメラを接続してあげた。


「おおー」

 管理人さんが嬉しそうな声をあげる。

「じゃあ、デンドー。すこし走ってみてよ」

「はい」


 ぼくは少し元気なく答えた。今でもあまりうまく走れていないから。

 アクセル・トリガーを引き、発進。


 直線で加速し、コーナーへ。海賊公園のサイクリング・コースはそんなに大きくないので、すぐにコーナーだ。


 ぼくは思いっきり減速し、それでもぎりぎりの速度で旋回に入る。今回は無理せず突入したので、安定したコーナリングができた。


「ほお!」

 管理人さんが感心したような声を上げた。

「見事にできてるじゃないか、デンドー」


「え?」

 ぼくは半信半疑で答える。


「綺麗に曲がれているじゃないかよ」


「ええ。でも、止まらないからかなり手前からブレーキかけて、それでなんとか安全速度まで落として曲がってるから……」


「うん、それでいい」

 管理人さんの楽しそうな声。

「直線で速度が出ていて、減速に時間がかかるときどうするか? 正解は、かなり手前からブレーキをかける。いいか、ブレーキングってのは、強くブレーキ掛ければ素早く止まるってもんでもない。ブレーキは止まるための装置じゃないんだ。あれは減速させるための装置さ。だから、大きな減速が必要なときは、それだけ手前からブレーキをかける。頭でそれが分かっていても、その体感は難しい。それを知るには、効かないブレーキで練習するのが一番さ」


「はあ……」

 ぼくは分かったような分からないような、そんな不思議な気持ちだった。ぼくはそのまま、エリーゼを走らせる。


 直線で全開。コーナー手前で、距離を目測して早めのブレーキング。


「いいか。レースのときのブレーキングは、どこで始めるかがポイントだ。それが分かったようだから、つぎのステップに行くか。ブレーキの設定を5にして、こんどは効きのいいブレーキで、タイヤがロックする限界を知る特訓だ」


「え、今度は5にするんですか?」


「そう。このタニヤ製ブレーキは高性能だ。おそらく5でも効きが良いはず、いや良すぎるはずだ。だが、効きの良いブレーキはもろ刃の剣だぜ。タイヤがロックしやすい。タイヤがロックして一度滑り出すと、マシンは本っ当に止まらない。逆に、加速してんじゃないか?ってくらい止まらないもんだ。そこで、効きのいいブレーキで、その力を全部つかわず、タイヤがロックするぎりぎりのブレーキングを練習する。さっそく明日からだな」


「はい。……あの?」

「ん?」

「ぼく、今より速くなれるでしょうか?」

「速く走るための、ブレーキングの練習だ。都大会、出るんだろ?」

「ええ」


「だったら、優勝狙おうぜ。せっかく出るんだからさ」

「え、でも」


「お父さんに似てるな」

 管理人さんが笑い声をあげた。


「お父さんですか? ぼくの? 管理人さんはぼくのお父さんを知っているの?」


「ああ」管理人さんはちょっと懐かしそうに声を上ずらせる。「むかしレースをやってたころは、ライバルだったな。ま、しゅうに勝てたことはなかったけど」


「へえ」

 ぼくはちょっと驚いた。


 死んだぼくのお父さんがレースをやってたことは知っている。だけど、お母さんからはその話を詳しく聞いたことはない。


 あんまり話したくないのもあるみたいだけれど、それよりも、どうもお母さんはレースのことが全然わからないのだと最近になって気づいた。


 S時のシケインが迫る。

 ブレーキング。そこからの軽やかな旋回。


「お父さんは、どんなレースしてたの?」

「あれ? 知らないのか」

 管理人さんは、ちょっと驚いた声をあげる。

「F1だよ」


「エフワンっっっっっっ!」

 ぼくはさすがに、マシンを止めた。


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