第2話 酔っ払いでもなれるの?
トリガーを引く。ぼくの愛車ロータス・エリーゼがロケット・スタートした。
海賊公園のサイクリング・コースの上をぐいぐい加速してゆく。周囲の景色がびゅんびゅん後ろへ流れ、ぼくの視線は真正面に集中する。
コーナーだ。地上5センチのミニ四輪視点で、直角コーナーが迫ってくる。
ぼくはサイド・トリガーを引いてブレーキング。エリーゼがつんのめるように急減速する。この新しく発売されたブレーキ・システムがなかなか厄介で、ブレーキをかけると車体がバランスを崩すのだ。
「くそっ」
ぎっと歯を食いしばり、気合で減速。そのままコーナーへ突入する。
あ、ダメだ。
すぐに気づいた。車体が大きく回り、リアが出てくる。
すぐにコントロールを失って、エリーゼはスピンしてしまう。VRカメラの視界がぐるりと回った。
ぼくはため息をついて再スタート。
ギアを1速にもどし、アクセルを開いた。
今年の大会にあわせて、タニヤは新パーツを発売した。それがディスク・ブレーキ・システムと5速ミッション。大会ルールではその使用が許可されているので、本気でやっている人はみんなこの、ディスク・ブレーキと5速ミッションを搭載している。
ぼくもお小遣いをためて、なんとかそれらの新パーツを買い、エリーゼに装備させた。
その状態で練習を積み、きのうの豊島区大会にも出場したのだが、優勝は惜しくも逃した。1位になったのは、クラスメートの伊勢谷くん。最後の直線で抜かれてしまった。
ぼくは2位。ただし、都大会には3位まで出場できるから、まだまだ終わったわけではないのだけれど。
親友のサトシくんには「おめでとう、都大会に出られるなんてすごいよ、デンドーくん」と喜ばれたのだけれど。
「なあなあ、君ぃ。それミニ四輪だろ?」
ふいに後ろから声をかけられてぼくは、ぎょっとなった。
あわててミニ四輪を止めて、VRゴーグルを外して振り返った。
そこには、あの酔っ払いのおじさんが意地悪そうな笑顔で立っていた。
「え……」
ぼくは恐怖に身体が震えるのを感じた。逃げなきゃと思うのだが、足がすくんで動けない。
「なあなあ、君のそのミニ四輪。おじさんに少し貸してよ」
そういって手を出してきたのだ。
「いや、これは……」
ぼくはホイラーを抱きしめて、じりじりと後ずさりした。
と、とにかく逃げきなゃ。頭ではそう考えるのだが、身体が動かない。
「なあ、いいだろ。ちょっとだけおじさんにも運転させてみせてよ」
おじさんがずんずんと前に出てくる。
「え、えっと……」
「おーい、デンドー」
そのとき公園の向こうの方から声がした。カメ先輩の声だ。「昨日はおつかれー」
カメ先輩は本名、亀山邦衛。中学生でぼくのミニ四輪のセッティングを見てくれている先輩だ。
ピアノを習っていて、本人はミニ四輪は走らせない。いつもきちっとした格好をしていて、今日もぱりっと糊のきいた白いワイシャツとアイロンのかかった制服ズボンを着こなしている。
「カメ先輩!」
ぼくは助けをもとめるように、大声で答えた。
「おー、デンドー」
カメ先輩は気さくに手をあげると、切れ長の鋭い目を酔っ払いのおじさんに向けた。
「すみません、うちの後輩に何か用ですか?」
「むぉ?」
おじさんは変な声を上げてカメ先輩を振り返る。
が、カメ先輩は「110」とすでに入力してあるスマホの画面を警察手帳みたいにみせながらおじさんの顔につけつけた。
「どういった御用でしょうか?」
「いやいや、怪しい者じゃないって」
おじさんは急に慌てだすが、カメ先輩は動じない。
「どう見ても不審者でしょう」
「いや、ちがうって」
だが、カメ先輩は容赦がなかった。スマホの画面を引っ込めると、自分の方に向けて通話ボタンを……。
「おはよーございまーす」
とそこへ、綺麗なよそ行きの声が割り込んできた。うちのお母さんだ。
仕事にいく格好をしたぼくのお母さんがいきなり登場。酔っ払いのおじさんに丁寧にあいさつした。
「おはようございます。いつも息子がお世話になってます」
ぼくとカメ先輩は不思議な気持ちで顔を見合わせる。
ちなみに、いつもぼくがこのおじさんにお世話になっているという事実はない。
そのあとで、簡単に紹介された。
酔っ払いのおじさんは、田浦仁樹さん。うちのマンションのオーナーらしい。このまえまでいた管理人のおじいさんが急にやめてしまったので、臨時で管理人をしているんだそうだ。それらしい仕事は一切してなかったけど。
で、しかも、死んだうちのお父さんの若いころからの親友らしい。
「というわけさ」なんか凄いドヤ顔でいう臨時の管理人さんに腹が立つ。「というわけだからさ、デンドーくん。俺にちょっとミニ四輪貸してよ」
「やです」
「えー、ケチ」
お母さんがくすくす笑い出した。
「田浦くん、相変わらずね」
と言った後で、
「デンドー、いいから貸してあげなさい。そのミニ四輪、お年玉とクリスマスプレゼントを前借りて買ったんでしょ。だったらまだ、半分以上お母さんのものじゃない。貸してあげない」
「えー、でもー」
「だいじょうぶよ。田浦さんはレーシングドライバーだったんだから」
「えっ」
ぼくとカメ先輩はびっくりして酔っ払いのおじさんの顔を見上げた。
「レーシング・ドライバーって、酔っぱらっててもなれるんだ!」
「酔ってねえし!」
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