第2話 ぼくのミニ四輪
1 ミニ四輪は売り切れです
人生には希望と絶望がある。
それをぼくは、ミニ四輪に教えてもらった。希望は好き。でも絶望はきらいだった。
ぼくがその、真反対の希望と絶望が、じつは同じもののちがう側面だと気づくのは、もっとずっとずっと大人になってからだった。あのころのぼくは、だからそんなこと全くきづかずに、ミニ四輪に夢中になっていた。
「申し訳ありません。ミニ四輪はすべて売り切れでございます」
百貨店のおもちゃ売り場で美人の店員さんにそう言われたとき、ぼくは茫然としてしまった。
この店員さんは美人なのに、なんて残酷なことをいうのだろう、と悲しくなった。
「あ、そうなんですか」
一緒にいたお母さんは、そんな残酷な店員さんに笑顔で会釈して売り場をあとにする。仕方なくぼくは重い足取りで、お母さんについて行った。
「売り切れじゃ、しょうがないわね」
ええっ!と、ぼくは心底あせった。まさか売り切れだから、ミニ四輪を買ってくれるって約束を無しにするつもり?
ぞっとなって、となりを歩く母を見上げる。
「でも、買ってくれるって約束したよね」
「売り切れじゃあしょうがないじゃない」
「売ってるところ、探そうよ」
「探したって無いわよ。売り切れちゃったって、さっきの店員さんが言っていたじゃない。次回入荷未定なんだから、どこに行ってもおんなじよ」
ぼくは口をとがらせて、うつむいた。
そんなの絶対嫌だ。ミニ四輪を買ってもらえることになってたんだ。売り切れだからって、あきらめることなんか絶対できない。
「見つけたら、買ってくれる?」
「いいわよ」
「じゃあ、ハマダ電機にいこうよ」
ハマダ電機は駅の反対側だ。お母さんは露骨にいやな顔して、「来週にしなさい」と言ってきたが、来週まで待つなんてそんなの絶対いやだ。
「じゃあ、ぼく一人で見てくるよ」
「小学生一人で池袋をうろつくなんて、危ないでしょ」
「だいじょうぶだよ」
「許可できません」
池袋は大きな街だけど、べつにダンジョンじゃないんだから、小学生一人で歩いたって誘拐されたりはしない。が、お母さんの許可はもらえず、かわりに電話ですますつもりみたいだった。
お母さんは、スマートフォンでハマダ電機の電話番号を調べると、そこに掛けてよそ行きの声でミニ四輪の在庫を聞いた。
「やっぱり無いそうよ」通話を切ったお母さんは勝ち誇ったように言う。「品切れ中で入荷未定だって」
「ええー、でも行って見ようよー」
直接行ってみたら、棚にちゃんとあるかも知れないじゃないか。ぼくはそう思って提案してみたが、お母さんは「だめよ。いま電話で確認したんだから、間違いないわ」と取り合ってくれない。
ぼくは腹が立って悲しくて、そこからはお母さんと口を利かないことにした。
が、お母さんはそんなこと全然気にせず、「もう帰るわよ、夕飯の用意があるから」とか「あとでハンバーグの材料か買うからね」と勝手にしゃべって駅に向かう。
腹を立てているぼくは、無言でついていく。
雑司ヶ谷の駅で降り、いつものスーパーで買い物し、ちょっと遠回りになるケーキ屋でバースデー・ケーキを受け取って家に向かう。ケーキはぼくが持つことになった。
「ミニ四輪売ってなかったから、なにか別の物、お誕生日プレゼントで買う?」
お母さんに聞かれたが、ぼくは不機嫌そうに首を横に振った。
ミニ四輪が売ってなかったからって、別のものをお誕生日プレゼントでもらってしまったら、もうミニ四輪を買ってもらえなくなる。そんなの、冗談じゃない。
これから帰って、家でぼくの誕生日パーティーなのだが、かんじんのミニ四輪がないんじゃ、せっかくのパーティーも主役がいないのと同じ。なんともやりきれなくて、悲しくて、不満足なお誕生日である。もう最悪だった。
遠回りしたので、いつもと反対側の道から家に向かうことになる。
「あら、こんな通りがあるのね」
建物と建物の間の路地を歩く。こっちがわは、学校とも海賊公園とも反対方向になるので、ぼくもまだ来たことはない。
車がぎりぎり通れる狭い道。
コンクリートの四角い建物が連なるダンジョンみたいな路地を歩いていたぼくは、マンションとマンションのあいだに、こっそり隠れるように立っていたその小さいお店に気づいた。
「あっ!」
声をあげて、指をさした。
そのお店は、入り口がガラスのサッシで中がよく見えた。
サッシの左右には天井までの高さのガラスケース。ショーウィンドウになったガラスケースの中には、たくさんのプラモデル、ジオラマ、ラジコンが飾られ、一番下の段には3台のミニ四輪が並べられていた。
看板には、『バンビ模型』と書いてあった。
「あら、こんなところにオモチャ屋さんがあったのね」
お母さんは興味なさそうにつぶやいた。
が、ぼくはちがう。興奮して飛び上がった。
「ねえ、ここならミニ四輪があるかもしれないよ! 見て行ってもいい?」
「いいわよ」諦めたような声でお母さんが言うけど、一度許可をもらったら、もうこっちのものだ。ぼくはサッシに指をかけ、中に入ろうとするけど、お母さんは微動だにしない。そして、財布から1万円札を1枚とりだすと、ぼくに渡してきた。
「ミニ四輪があったら買って来なさい。ちゃんとお釣り渡すのよ。お母さんは、荷物が重いから、さきに帰って夕飯の準備しておくから」
「わかった」
ぼくは、小さく四角に折りたたんだ1万円札を手の中に握りしめて、おそるおそる入り口のサッシをあけた。
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