2 バンビ模型
案外かるく開いたサッシの向こうから、クーラーの冷気とともに、セメダインや塗料、ゴムやプラスチックの焦げたようないろいろな匂いがまじりあって流れてきた。
奥のガラスケースがカウンターになっていて、そこの椅子に、身体の大きい、鼻の下にヒゲを生やしたおじさんが座って難しい顔して雑誌をめくっていた。
「いらっしゃい」
じろりと睨まれた。
が、ぼくは気にせず、軽く頭をさげて、店内の棚を見回す。
右の壁際が一面ガンプラ。中央の棚が、普通のプラモデル。戦闘機、戦車、車、戦艦、城、刀、屋台。
左の棚が、ラジコン、ドローン。
あちこちにショーケースがあり、完成品のプラモデルが飾ってある。そのうちのひとつに、ミニ四輪のケースを見つけて、ぼくは駆け寄った。ガラスに顔をつけて、置いてある3台のマシンを見詰める。
コバルト・ブルーの細長い車。ヘッドライトが昔の新幹線みたいで、フロントがすごく長い。そのくせ後ろが短い。クラシックカーだ。『フェアレディーZ』と札が置かれている。見たこともないミニ四輪だった。
2台目は、赤い日本車。なんかすごく平べったい。『コスモ・スポーツ』と書いてある。これも知らない車だ。
3台目もフロントが長かった。しかも先が丸い。なんかライトの感じが、蜘蛛の顔を思い出させる。『2000GT』とある。これはなんか見たことがある。トヨタの車だ。
でも、3台とも、ミニ四輪カタログでは見たことないマシンだった。
「珍しいだろう?」
見上げると、口ひげのおじさんが立っていた。顔は怖そうだったが、目は優しい。
ぼくは、黙ってうなずいた。
「この3台はみんな、ボディーが
ぼくはその3台のミニ四輪をみつめた。
表面の塗装とか、ホイールの造形の細かさとか、ボディーの再現とか、もう本物の車のようだった。ライトの電球まで作ってある。
「あの」ぼくの口から言葉が自然と流れ出した。「ミニ四輪ありますか?」
「これから始めるのかい?」おじさんは、まっすぐな目でぼくを見つめる。
「はい」強くうなずいた。
「よし」おじさんはぼくの目を見つめたまま、うなずく。「ただし、いまはMRのSシャシーしか在庫がないぞ。それでもいいかい? いやだってんなら、予約にして入荷したら連絡してあげるよ」
「いま言ったやつでいいです。ぼく、今日が誕生日なんです。あの、そのシャシーって、ダメなやつなんですか?」
「ダメなシャシーなんてあるもんか。素晴らしいシャシーだよ。でも、生産中止になったんだ。在庫処分で安くしてある。それでいいなら、買うのは今だ」
おじさんはにやりと笑って、ワゴンの上を指した。
店の奥は工場みたいになっていて、作業台があり、色んな工具やモーターやミニ掃除機が置かれている。その手前のワゴンにひとつだけ、ミニ四輪の箱が乗っていた。
ぼくはどきどきしながら近づき、ワゴンに残ったたったひとつの箱を手に取った。
黄色いマシンだった。
ちっちゃい車で、スポーツカーらしい流線形のボディー。丸いヘッドライトは、カエルみたいに飛び出しているが、キッと吊り上がっていて、殺し屋の眼みたいにぼくのことを睨んでくる。リアはアヒルのお尻みたいに尖って上を向き、丸いテールランプが並んでいる。こんなちっちゃいマシンがあるのか。
ぼくは箱をまわして側面を見る。
「ロータス……」
「エリーゼ」
「え?」
「『エリーゼ』ってマシンだ。ロータス・エリーゼ。イギリスのスポーツカーだよ」
ぼくはもう一度箱のイラストを見詰めた。
エリーゼのボンネットには、サメのエラのようなグリッドがついている。ここから空気が出てくるのか、それとも入っていくのか分からないけど、なんか格好いい。
「これください」
ぼくは箱をおじさんに差し出した。
モーターとバッテリーは別売り。内蔵カメラとWi-Fi回路はキットに含まれている。
エリーゼ本体は定価6000円だけど、半額で3000円。全部合わせて5000円くらいの金額になった。
他にもいろいろ強化パーツはあるらしいのだが、いまはこれだけで足りる。
金額を聞いて、一万円より安いので、ぼくは安心して折りたたんでいたお札を広げた。
「ときに、きみ、VRゴーグルとプロポは持っているの?」
「え?」
ぼくははっとしておじさんを見上げる。
VRゴーグルはゲーム用のがある。で、プロポとは操縦装置のことを言うのだが、つまりそれはホイラー。箱の大きさを一目見て、キットの中に入っているはずがない。
「あの、ホイラーって、別売りなんですか?」
「うーん」おじさんは眉尻をさげて悩ましい表情をみせた。「別売りだね。っていうか、プロポ・セットの方が高いよ。1万5000円する」
「えーっ!」
ぼくは心底おどろいて叫んでしまった。自分の声が店内にこだまするのが、はっきり聞こえた。
ミニ四輪はもともと、ラジコンをもっと遊びやすくする目的で発売されたオモチャだったらしい。
1/24という手ごろなサイズで、Wi-Fiを使用してスマートフォンのアプリで操縦する。マシンの運転席に広角カメラを仕込み、映像をVRゴーグルに投影して、まるでマシンを実際に運転している気分が味わえる。
もう10年近く前に発売されたミニ四輪は、最初はそういうオモチャだった。
もともとは模型メーカーのタニヤと、ゲーム会社の
もちろんプロポなしでもミニ四輪は遊べる。スマフォのパネル操作で動かせるのだ。
が、マシンの性能ぎりぎりのレース走行を行うには、ホイラーが必要であり、いつしかミニ四輪といえばホイラーで動かすのが常識となっていた。
という、話だった。
つまり、ミニ四輪だけでは走らせられなくて、1万5000円以上するプロポセットを別に買わなきゃならないのであった!
がーん!
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