第二章 10 本当の勝負は頭の中だけじゃできない
「にゃああああああああああああああああ!?」
龍之介! あなたはなんてことを!
クソッ! いやな流れを感じ、できうる限りの力を使って……ユグド=ユグドラにすら気付かれない程度に隠れていたのに!
「たかが……猫一匹で天秤が砕け散った――だと――」
ユグドは信じられないと言わんばかりに立ち上がり、砕け散った天秤を見つめる。
それもそうでしょう。天秤の耐久実験は、それこそ、どれくらいのものまで乗せられるのか、どんなものまで乗せられるかを、ユグドはその性格上しっかりと調べているはず。
だが、今はそんなことはどうでもいいこと――今、第一に考えなければいけないことは――
「にゃああああああああ! にゃああああああ!」
私が――この女神が――あの天秤に架けられてしまった!
◇
『緊急事態―エマージェンシー! 緊急招集!――コミュニティ――!』
この神楽木 龍之介とユグド=ユグドラの勝負。これは既に私だけのものではなくなった! 急ぎ『他の私』と協議しなければ!
「大変な事になりました。あろう事か私がシュヴァリエの龍之介の手によって賭けの対象となってしまいました」
「――ええ、拝見・拝聴しておりました。大変なことになりましたね、私」
「――困りましたわ」
「――なにやってるんでぃすか」
緊急故に集まったのは私を除く『三人の私』。
ですが、この際人数は別に問題ではありません。
少数とはいえ、彼女たちは、ズレてしまっていても、紛れもなく『私』なのですから。
「それにあたって……私はどうするべきか決断しなければなりません」
当事者である私が、当然、この議題を進行させる。
「そうでぃすね~。まぁ、問題なのは『今どういう状態』にあるのか――まずはそれを把握しなければ、でぃすね~」
「同意見ですわ。いま、あの神具『
「そこにまだ、そこの『私の重さ』が乗っているのか――というのが今回の争点……」
そう。ユグドに与えた神具『
これはユグドにとって驚くべき結果ではあっても、私にとっては当たり前の結果です。『私』が創った神具は、創造主である女神を『唯一無二にして絶対の存在』と認識している。
本来なら私を天秤に乗せることなど想定すらされていない――故に耐えきれずに砕けて当然。
「ですが……もし砕けてなお、あの神具に私の価値が乗っている状態だったなら――」
そう! それが一番の問題なのです! 私が作った神具だからこそ、最後まで、自身の仕事はこなそうとするはず。それが例え女神である私であろうとも! このままでは、あろう事かこの私がっ!
「あっはっはっは! こいつは面白いでぃす! 女神である『私』が下等種族の奴隷にまで
ちっとも面白くありません! 笑わないで下さい! あともっと慎みを持ってください私! 足をバタバタさせるからスカートの中が見えてます!
「胸中お察しします。まさか一人の……あんなオマケのシュヴァリエに、女神がそこまで追いつめられるとは……ですが――」
「そもそも私――いえ、あなたにも問題がありますわ。女神である私が、猫の姿とはいえ、異世界に転生し、かつ一人のシュヴァリエに同行するなんて――正気の
ぐっ……そこを突かれると言葉がありません。
「あっはっは! まぁこんな何にもねぇ空間に一人残されて、暇なのも、私はわかるでぃすけどね~。でもちょっとお遊びがすぎちゃったんじゃないでぃすか~?」
確かに龍之介に対し、どこか気を許し、さらに彼の仲間になるなんて軽い気持ちで返事をしたのは私のミス。
私は、馬車の客車内で行った龍之介とのやりとりを思い出す。
(――あれさえなければ!)
あの『仲間になる』というやりとりさえなければ、たとえ龍之介の言葉でも、拒絶の意志を見せた私が、あの天秤に価値として乗ることは、ありえなかったのに!
「苦しい決断ではありますが、あなたには勝負の行方を見届けることしかできません」
「そもそも龍之介以外の人間に、あんたが女神だってバレるのも問題でぃすしね~」
クソ! 『この私達』は全然、事の重さを理解してませんね! まるで他人事のようにこの勝負を見ているでしょ! だからそんなに冷静でいられるのです!
「勝負は丁半博打――どちらが出るか――いえ、あのユグドの能力から考えれば十中八九、彼の勝ちは揺るがないでしょうね」
「まだしばらくは――勝負の行く末を見守るほかありません」
私が
◇
「さて、お前さんの天秤は壊れたわけだが――この場合、勝負はどうなるんじゃろうな?」
龍之介が不適に笑う。
現在の状態はユグドにとっても、私にとっても想定外。
「だが、天秤は消失していない。シュヴァリエが死亡する際には、この異世界にその痕跡は一片たりとも残せない。ということは、この天秤もまた力を失った場合は――消失するのが自然ではないかと私は……す、推測する」
『推測』と言う言葉はユグドにとっても口にしたくはないはず。
なぜなら、『推測』とは、あくまで仮定の話であってなんの裏付けもないこと――それを口にすると言うことは、彼にとって『自分にもわからない』と言っているようなもの。
「じゃあ、お前さんは……どうやってワシのレイズに応えるんじゃ?」
龍之介の笑みにバラビアは凍り付く。
そう、この勝負は天秤を水平に保つことで成立する勝負。
だが、バラビア達にはそれを保つような――そもそも、天秤を打ち壊すほどの、『私と同価値』のものを持っているはずがありえません。
「やってくれたな――貴様!」
ユグドの戦略は、そのまま龍之介によって砕かれ、逆に利用されてしまっている。
「その猫はなんだ! この世界にはいない絶滅種か! この宇宙に存在しない生物か!? それとも――まさか、その白猫が貴様の恩恵か!?」
彼の思考もだいぶ揺れていますね。
絶滅種程度では、天秤は砕けません。宇宙に存在しない生物なら、私が認識していないと言うことで、天秤は無価値を示し動かない。龍之介の恩恵――例えば『神具を破壊する』という恩恵だったとしても、下位のシュヴァリエの恩恵が、上位の神具を破壊するなんて、よほどの条件でなければ起こりえない。それを許してしまえば、そもそもランク制度が破綻してしまいます。
ユグドもそれは、わかっている。
わかっているからこそ、何が起きたのかわからないのだ。
このまま天秤に見合う価値のものをユグド達が用意できなければ……勝負は成立せず、龍之介達の勝利。それで終わってくれれば、何の問題もありません。
それで終わってくれればいいです。最悪――無効試合でも構いません。
「じゃあ、おまえさんらが賭けられるもの……ワシらも賭けられるもの全部……それで勝負すれば同条件じゃろ」
ユグドとバラビアはその言葉で更に凍り付く。
いや、二人だけじゃない。会場中、さらに後ろで見ていた仲間もまた、この発言に言葉が出ない。
これを私は、最も恐れていた!!
だって、龍之介は馬鹿だから! 龍之介は、あくまで『勝負で決着』をつけようとする。この性分が分かっていたから、私は、他の私を集めてまで、話し合いをしなければならなくなったんです!
「馬鹿か貴様は! 自ら勝ちを投げ出すというのか!?」
ユグドの言うことが正しい。龍之介達はすでに勝っている。
それにも関わらず――
「別に、ワシはこんなレイズ勝負で勝ちたいと思ってなんかおらん。こんな不意打ちみたいなやり方じゃ、ワシらもお前も……ここにいる全員、誰も納得せんじゃろ!」
そう煽ると、龍之介は再びカップに手を乗せる。
「この博打の決着は、このカップの中で――博打でつける!」
その言葉でようやく会場中が理解する――と同時に大声援が巻き起こる。
興奮が興奮を呼び、至る所で雄叫びが、歓喜の声が
ギャラリーが、紛れもなく不夜城始まって以来の――いや、この先、起こりえないであろう『超大勝負』が始まるのを、はっきりと察知したからだ。
「ここまで私を馬鹿にしたヤツは――貴様が初めてだ。神楽木 龍之介!」
ユグドもまた、その熱に浮かされたように、怒りの表情を出す。
そして彼の名を呼んだ。初めてユグドは――龍之介を認識した。
「『オールイン』だ!」
ユグドの言葉に、また全ての会場が沸き立つ。
「ユグド! あんた――」
オールイン、つまり全て。この全てには当然、バラビアの持つものも、すべて含まれる。
二人の全財産――さらに命――そして、この不夜城すら、『全て』含まれている。
「黙っていろ! カップの中はすでに解いている!」
ユグドはカップを凝視する。そのカップの中は、二・五で『半』。
それは、彼以上の頭脳を持つ、今の私にも見えている。
つまり、この瞬間では、ユグドの勝利は確定している。
「カップの中は――!」
とユグドが
「まぁ慌てんな。ギャンブルってのは――これからじゃ!」
それは天秤が壊れたことによる動揺と、目前の勝利を掴むための焦りか――この時、ユグドは完全に油断した。
「ブラッド・バレット!」
そして、その一瞬を見逃すことなく、龍之介は自身の恩恵を発動させた!
◇
カップの中が爆発する。
ブラッド・バレット――それは龍之介の血液を爆発させる能力。
三大寺に放ったように、拳が出血していれば、それを利用して大打撃を打ち込むことができるし、足下や背中を爆発させて、推進力・突進力を得ることもできる。
そしてこの勝負で、見せたこの技は――
「ワシは今、このカップの中のサイコロを『一つだけ』爆発させた」
遠隔爆破能力。龍之介は、自分の血を、自分の意志で、遠隔で起爆させることもできるようになっている。
「サイコロの目……『一』の目は、他の目と違って赤くなっていたじゃろ? アレにこっそりとワシの血を馴染ませといたんじゃ。つまり、ワシは『自分の血を爆発させる』恩恵を持っとるんじゃ」
「――なっ!」
これが本当の龍之介の狙い。ここまでの、私すら巻き込んだやりとりは――
「さぁ、これで一つの目は吹き飛び、さらにもう一つのダイスも変わったわけじゃ――これで今度こそ『神のみぞ知る』ってわけじゃ!」
この勝負を『イーブンに成立させる』ための、ただの伏線。
「なにぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
ユグドが狼狽える。
彼の勝利は、この一瞬で一気に崩れさり、また闇の中へ消えていった。
彼には、あのカップの中の目がどうなっているのかわからない。明らかな情報不足。これは彼が最も恐れていた事態。そして警戒していた事態。
当然、龍之介のこの賽の目を破壊する行為は、ルール上かなりギリギリに近い。
ただの勝負であれば、ユグドはもちろん抗議しただろう。
だが、今回の勝負において、ユグドにはそれができない。
ユグド達には、天秤を破壊するほどの価値を用意できていないという落ち度がある。さらに言えば、これはイカサマだが、イカサマではない。
つまり、この時点で龍之介の勝利が確定しているのであれば、ユグドと言えど抗議し、勝負を最初からやり直すことができたが――龍之介はこのカップの中の目を一切知らない。
勝負は完全に、公平かつ、誰の目に見ても明らかに運否天武のイーブン。
イカサマをしているが龍之介の勝利が確定したわけではなく、むしろ丁か半かを選ぶ権利が自分にあるということが、逆にユグドを悩ませ、その口を噤ませていた。
あの一瞬の油断さえなければ、彼ならば、この問題に冷静に対処できていたのかもしれない。
だが、いかにこの天才と言えど――流れる時までは、巻き戻せない。
「さぁ、丁か半か……お前さんもそんな頭なんぞ使っとらんで、本能に身を委ねて勘で勝負してみせい!」
龍之介のこの言葉に、ユグドは一瞬沈黙する。
「――私が――勘で――だと?」
ユグドにとって、それは
「本能に――身を委ねろ――だと?」
彼は学者――生前は取り憑かれたように「神の定理」である物理や数学等の法則探索に明け暮れた。彼のその先進的な、類い希な才能は、後の世界で大きな発展を芽吹かせた。
だが、彼の人生は決して恵まれたものでは無かった。彼の見つけた公式は、彼の生きた世界では証明もできない空論と蔑まれるほど、高度なものばかりだった。
彼は自分より劣る学会から迫害され、狂信と罵られ、最後は唯一の仲間にまで裏切られ――追いつめられて、死んだ。彼は紛れもない不幸者だった。
そしてさらに、不幸は転生後も続いた。
ユグド=ユグドラという人間は、『人生は有限で、限りあるもの』だから、必死になれた。迫害されようと、罵られようと、その命を燃やして、最後まで挑み続けた。
それが転生という第二の人生を知り、さらに『私』によって与えられた加護によって、人間を超えた頭脳を手に入れた。
その瞬間、彼にはわからないことなどなくなった。あらゆる物事が、少し考えただけですんなりと解けてしまう。与えた加護による優れた五感で揃わない情報もない。
そして、途端に彼の世界は現実を失い、この現実世界と脳内にある仮想現実が同義になった。
彼にとって未知などない。ハーフビーストのニーナが、いくら猫の耳を澄ませても、この世界は彼にって現実性ではない。故に微塵もその心拍は揺ぐことなどなかった。
そして、彼はシュヴァリエになったとき、生前に持っていた『情熱』も失った。
彼は生きがいであった未知の探索を止め、挑戦を諦め、その結果、ひどく無気力となり、この異世界に転生された。
王都に広がる巨大迷宮を解き明かし、この確実に儲かる不夜城というシステムを作り、それでも彼は飽いていた。退屈していた。
そんなユグドに、それでも、己には簡単すぎる様々な問題を解き続けてきた彼に――龍之介はそれを捨てて、『勘』で答えを出せという。
それは――
「私を舐めるなぁぁぁぁぁぁぁ!」
――彼の怒りを買い、失った『情熱』を取り戻させた。
ユグドは、すべての情報を再度かき集める。彼は先ほどの爆発を見ていた。聞いていた。その映像と音声を脳内で何度も再生し、検証を始める。
カード勝負では、レイズ終了後に手役を
ユグドはその答えを、カップの中の目を、この三分で導き出さなければならない。
それがどんなに難解でも、情報不足でも、推測・仮定・代数……その他、様々な数字を当てはめ、計算し続ければ――当然、どれかが正解となる。目は1~6の六つしかない。さらに選択肢は丁と半のたった二つ。
選ぶのは簡単だ。偶数か奇数、誰にだってどちらか一つなら、選ぶことはできる。
だが、そんなどちらかの、そのたった二つの選択肢の中の一つの正解を、ユグドはいま、必死になって導き出そうとしている。
「な、なんだ……? あいつ……血が……」
ヘタが口を開け、異様な姿になったユグドを見る。
その光景に湧き上がっていた会場が一気に静まりかえり、息をのむ。
ユグドの目から、鼻から、耳から、さらに力強く握りしめ、爪が突き刺す皮膚から、血が滴り、青いカードテーブルに、黒く深い染みを作る。
彼の脳が限界以上の働きを起こし、自壊させるほど激しく動き回っている。
運に身を任せれば、これほど悩まなくて済む。誰にでも、手に余ることはある。もうわからないのであれば、考えることを諦めてしまえば――それで終わる。
だが、それができない――いや、しないからこそ、このユグド・ユグドラは『私』に選ばれたのだ。
――そして、沈黙だけが残った。
誰も先ほどの歓声を上げる者はいない。
ユグドのその姿を見る者は、物音を立てることを禁忌とした。
誰もが、この天才を邪魔してはいけないという、畏敬の念を持っていた。
それでも、時間は刻々と過ぎる。勝負の時計――その砂が落ちるまであと僅か。
「時間が――もう――」
ニーナが時計を見る。もう、二分四十五秒を切った。
決着まで残り、たった十五秒――十秒――このまま……ユグドが何も答えければ……
「――――――『半』だ」
静まりかえった会場にユグドの声が響く。皆がその言葉に息を呑んだ。
ユグドが血まみれの顔で再び宣言する。
「目は奇数! 半だ!」
その声に会場の誰もが、一気に沸き立った。
「……お前、やっぱりすごいヤツじゃのう」
龍之介もそんなユグドを見て、深く感銘する。
龍之介は、決してこれからも、どんなことがあっても到達できない境地――そのユグドという男の姿に感服していた。
「――じゃあワシは『丁』じゃ!」
龍之介もユグドに合わせて、自分の目を高らかに宣言する。
それと同時にさらに湧き立つ会場。ボルテージは一気に最高潮へと向かう。
「半! 半! 半! 半! 半! 半! 半!」
「丁! 丁! 丁! 丁! 丁! 丁! 丁!」
ユグドが、龍之介が、荒々しく叫ぶ。
カップの中の賽の目は、自分のほうだと吠え
さらにその声に合わせて、ヘタが、ニーナが――黄河 虎二、サーシェス、バラビアが、互いの目を叫ぶ。ギャラリーもそれに合わせ各々が、目を叫ぶ。
互いに、己の『目』をかけた本物の大合唱!
◇
「全くもって
一人の『私』がつまらなそうに呟く。
「あっはっは! みんな獣みたいでぃす! あんなに叫んじゃって! にっひっひ!」
「全くもって遺憾です。こんな戯れ、最後まで見る価値などあるのでしょうか……」
『他の私』は皆、同意見のようだ。
彼女たちにとっては私もまた、もはや他人。彼女たちの冷め切った意見――冷え切った心。
それならば……私は『他の私たち』にもまた、思い出させてあげましょう。
「――あなたたちも、他人事ではないのかもしれませんよ?」
私の発言に、他の私が首を傾げ、互いに目を見合わせる。
おや、まだわかっていないようですね。
「天秤に乗っているのが、私だけなら、ユグドが勝てば私が奴隷になるだけで済みますが――」
気付かないのなら、仕方がありません。私がずっと危惧していたことを……
「この私だけではなく、『私たち』――女神すべてが乗っていたなら、あなたたちもまた、負けたら奴隷ですよ?」
その言葉に、三人の女神の顔色が青く変わった。
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