第一章 4 特徴ありすぎるしゃべりの人は要注意

 次の日。早朝。


「もう……朝か……」


 結局、一睡も出来ないまま、ボクはギュレモの大木の上で、南西より昇る太陽を見た。


「あいつ……やっぱりいなくなっちゃったかな」


 ボクが召喚し、ボクを殴り飛ばした黒服のシュヴァリエ。


「あいつが正しいことなんて――わかってる」


 この一晩、あの出来事をずっと考えていた。


 あいつが止めなければ、あのあと、ボクは姉さんにどんなひどいことを言い続けていたか、わからない。


 ギュレモの大木を降りる、その際中。


『お前みたいな他人ばっか見て、何もしない卑怯もんを『ヘタレ』言うんじゃ!』


 昨日のあいつの言葉が頭の中に流れた。


 という言葉は初めて聞いた。


 だけど、それがボクのことだと、直感できた。


 たぶん、ボクのすべてを表すような言葉なのだろう。


 ヘタレの『ヘタ』……か。似てるな。偶然だけど、僕にはピッタリの呼び名だ。


「ボクがヘタレなことなんて……ボクが一番わかってるよ」

 口に出して、情けない自分に言い聞かせる。


 そこから、なるべく、ゆっくり歩いて、村の入り口までたどり着く。


 もうこの時間帯なら、姉さんは王都に向かう馬車の中のはず。


 たぶんこれでいい。今は、どんな顔をして会えばいいのかわからない。


「ん? なんだ……あれ?」


 村の入り口。そこには見慣れない馬車があった。黒塗りで、装飾付きの、いかにもこの村には不釣ふつり合いのもの。


(外から村に誰か来たのか? もしかして王都から?)

と興味が湧いたが、そんな好奇心にふたをする。


 今は、そんなことに心を動かしているときじゃない。

 他に考えなければいけないことが山ほどある。


 姉さんに謝ろう。姉さんが帰ってきたら――ちゃんと……。できるかな――……。


「――ヘタ!」


 不意の聞き慣れた声にボクはうつむいた顔を上げる。


 黒塗りの馬車――その後ろから、昨日と同じ格好の姉さんが駆けだしてきた。


「ね、姉さん! なんでまだ村に……仕事には行かなくていいの!?」


 ボクは訳がわからず、昨日のことを謝る前に尋ねた。


「あのね……あなたには、もっと早くに伝えなきゃいけなかったんだけど――」

 姉さんが不安そうな、申し訳なさそうな顔をする。


 訳がわからず、ただ慌て、困惑するボクの前に、もう一人、馬車から誰かが降りてきた。


「ほっほっほ。いや、結構結構。本日は晴天、お日柄もよく、なんとも商売日和――」


 そいつは派手で悪趣味で、気取った帽子から尖った靴の足下まで、全身がむらさきの衣装。

 さらに、銀の歯。糸のように細く、絶えずわらっている目をしている。


「なんだ……こいつ……」


 最初の印象は、気味の悪さだけだった。


 その感情の正体は、すぐにそいつの中指につけられた『金の指輪』が教えてくれた。

 この国で、中指に金の指輪をつけた者は、ボクらのような人間には、要注意人物だ。


 そんな僕を見て、ヘイザードはボクの抱いた警戒心に気がついた。


「いかにも、前王よりたまわりましたこの金の指輪こそ、人間を扱うことを許された数少ない、ある商人の証。私の名は、ヘイザード――大奴隷商人のヘイザードでございます」


 丁寧だが、どこか人を馬鹿にしたような、大道芸の台詞回しで語る自称、大奴隷商人のヘイザード。


「まさか、お前……姉さんを――!」

 ボクは姉さんの前に立ち、ヘイザードに立ち塞がった。


 奴隷商人は、金のないボクらのような貧乏な家に現れ、若い人を買い取り、連れ去る。

 男ならば未開拓の鉱山や大きな牧場での重労働。

 女ならば、どこかの工場か店へ送られる。


 そして美男美女なら、貴族の『物』になる。この国では、もはやこれは常識だ。


「やはり、あなたがニーナ嬢の弟君……おや? おやおやおやぁ?」


 そいつはにらむボクに一切物怖じせず、かわりに、むしろボクをなめ回すように観察する。


 細めがカッと開き、小さい瞳がギョロギョロと左右別に動く。


 すごく気持ちが悪い。


「この子は違います!」

 ボクをなぶるヘイザードに、姉さんが叫ぶ。


 開いたギョロ目は再び細く閉じ、困ったように眉を寄せ


「――そのようですねぇ。いや、残念。世にも珍しい『姉弟』だと思ったのですが……まっ! いいでしょう。欲張りすぎないのは商人の鉄則。ワタクシ、その辺は肝に銘じているタイプの商人でございます」


 ヘイザードはボクを観察するのを止める。

 そして、また三文芝居の仰々しい台詞回しで


「さて、では弟君のヘタさん――交渉と参りましょう。ずばり! あなたの姉君、ニーナ嬢を売っていただきたいのです」

などと言い放った。


「バ、バカなこと言うな! どうしてボクが!」


 怒鳴るボクにヘイザードは大げさに首を傾げる。


「はて。ニーナ嬢のご家族は貴方だけ。それはもう調べがついております。それならば、交渉できるのは、ニーナ嬢を所有しているあなただけではございませんか」


「所有って……姉さんは『物』なんかじゃない!」


 確信した。こいつの気持ち悪さは奴隷商人特有の――自分と同じ『人間』を『物』と扱うこの異色さだ。


「ほっほっほ。みなさん、売る前は必ずそう言うんですよねぇ。でも――」


 ヘイザードは、何かがずっしりと詰まっている袋の中から、一枚の煌めく金貨を取り出して


「そう言う人はみんな金貨これを積み重ねていくと、喜んで売るようになるんですよ。ほら、試しに言い値を言ってごらんなさい」


 ボクを嘲笑うその瞳と歪む口元。

 その顔にボクは怒りしか覚えない。


「黙れ! 姉さんはお前なんかには売らないぞ!」


 姉さんをこんな奴に渡してはダメだ!

 いくら金貨とはいえ、姉さんはそんなもので――


「強情ですねぇ。結構結構。では――金貨三百枚ではいかがですかぁ?」


 さっ……三百枚!?


「ほっほ。これは普通の女性価格のおよそ四倍――まさに破格なんですが、いかがですかぁ?」


 なんだその数字は? 金貨一つだってこの村では珍しいのに――

 それを一気に三百枚!?


「おやぁ? 少しは揺れたんじゃないんですかぁ?」


 ち、違う! 驚いただけだ! 揺れたんじゃない!


「うるさい! そ、そんなもので姉さんは……」


 そうだ、姉さんは物なんかじゃない。金貨なんかじゃ――


「結構結構。では四百枚でどうですか? 金貨四百枚なんて王都で働く男たちの生涯年収に匹敵する金額ですよぉ」


 ヘイザードの言葉で、その金額がボクにも理解できる。

 王都で働く男の生涯年収なんて、とてもボクがお目に出来る金額じゃあない。


「では金貨四百五十枚……ここまで来るとちょっとしたお金持ちになれますよ。こんな村捨てて、王都に小さなお屋敷を買うことができますよぉ」


「黙れ!!」


 こいつの嫌なところは何も知らないボクに、その金額を逐一教えてくることだ。価値の知らぬ無知なボクに、その価値を示してくることだ。


 こんな毒の言葉に耳を傾けるな。耳を塞いで、心を閉じろ。姉さんは――


「では金貨五百枚……これだけあれば、家を買って、そうですねぇ、王都のに卒業まで通えますよ」


「……がっ、学校――?」


 耳を塞ぐ前に、心を閉じる前に、『学校』と言う言葉が、するりと入り込んでしまった。


 そんな、ボクの動揺をヘイザードは見逃してはくれない。


「ほっほっほ。結構結構。そうです。学校です。五百枚もあれば十分……。裕福に何不自由なく生活もし、それどころか卒業後は何か商売を始められる資金くらいは、残っていることでしょう」


 ヘイザードがボクの人生を語る。夢物語のような現実をボクに突きつけてくる。


「あなたのお姉さんをワタクシに売ってくだされば――簡単にそれが叶うのですよ。いかがでございますかぁ?」


 ヘイザードが舌なめずりをする。


「うるさい……だまれ……」

 悔しさが滲み出る。


 そんな言葉をきっぱりと否定したいのに――どうしてもその夢がボクの心を鷲づかみにして離そうとしない。

 頭が上手く回らない。今自分が何を考えているのか――よくわからない。


 まるで、闇の中、小さな板の上に立っているようだ。


 れていて地に足がつかない。このままどちらかに落ちてしまいそうだ。


 そんな、不安定なボクを、ギュッと何かが抱きしめた。


 温かく力強い。震え揺れるたましいが、この、元の体に引き戻される。


「ヘタ……よく聞いて。あなたは、あなたの人生を優先していいのよ」


 その言葉にボクは振り向く。

 抱きしめたのは姉さんだ。


 姉さんは優しく笑う。


 まるで、昨日のボクの言葉なんて、全く気にしていないかのように。

 あんなにひどいことを言ったのに。そんなボクに――


「私は十分幸せだった。あなたの両親に育てられて……娘のように育ててくれたあの日々――」


 何を言ってるんだよ、姉さん。何だよその顔は。


 姉さんは奴隷として売られるなんて嫌じゃないの?


 どうしてそんなに穏やかでいられるの?


 そんなにボクと――一緒にいたくないの?


 そんなボクの思いを、姉さんは否定する。


「あの日……あなたに初めて出会った日――」


 姉さんの瞳に、あの日の情景が映る。


 母さんの腕の中で泣き叫ぶ赤子のボクを、覗き込むように見つめる姉さん。


「あなたのお姉さんになれた日。私のかわいい……たった一人の弟と出会えたあの日は――私にとって何よりも幸せな日だったわ」


 姉さんの顔を見て、赤子のボクは泣き止んだ。


 姉さんの綺麗な笑顔に、その指に始めて触れた感動だけは――


 ボクの中にはっきりと、残っている。


「ねえ……さん……」


 涙があふれる。


 ボクは馬鹿だ。大馬鹿者はボクのほうだ。


 姉さんはボクと一緒にいたくないわけじゃない。


 ボクと一緒にいる幸せよりも――ボクが幸せになることだけを願っているんだ。


 ボクと同じ寂しさを持っていながら、自分勝手に喚く卑怯なボクと違って、ずっとずっと、姉さんはそれを押し殺してきたんだ。


「私は、もう十分幸せになれた。あの日がある限り、私はもう幸せなの。だから、あなたはあなたのしたいことをして。あなたの知りたいことを学んで、大人になって。私のように、ヘタはヘタの幸せを手にして」


 奴隷がどんな扱いを受けるのか――この国で知らない者なんていないだろう。

 当然、人なんて扱いはされない。家畜か物として扱われ、使われ続ける。

 それがどんなに恐ろしいことか、それがどんなに悲しいことなのか。


 それなのに姉さんは、ボクに優しく笑いかけた。


「私のことは気にしないで。あなたが元気でいることが、私にとってはなによりもの幸せなのだから」


 やっぱり、ボク達は姉弟だ。姉さんの言葉でボクはそれを自覚する。


 だって、同じ事を考えていたんだから。


「ヘイザードさん。その金額で構いません。ただし、ヘタに住む家と通う学校と大人になるまでのサポートをしてくださることを――約束してください」


 姉さんがヘイザードに条件を告げる。するとヘイザードは大きく手を鳴らす。


「ほっほっほ。結構結構。構いませんよ、その程度。いいでしょう。住む家も、通う学校もワタクシが手配して差し上げましょう」


 姉さんの返事で露骨に上機嫌になるヘイザード。

 金貨の袋を引き下げ、ボクらに近づくと


「それに加えて、この村を――あなたの手で救ってくださいませんか」


 さらに姉さんは要望を付け加えた。


「はい? この村を――?」


 ヘイザードは村のあたりを軽く見渡した活力を失っている老人たちや、家屋を品定めでもするかのように眺めた後――


「ふぅむ……ちょうど新しいブルコーンの飼育場を探してましたし……この際、この村にでも決めてしまいましょうか」


と、小さく呟いた。


 姉さんは、見事に、自分のこれからの人生と引き換えに――ボクと村を救おうとした。


「わかりました。お約束しましょう。あなたのこの村の復興に、私も微力ながら協力させていただきますよ。村の方々も悪いようにはいたしません。私の商売をお手伝い願いましょう!」


 商談成立と言わんばかりに手を叩き、満面の笑みを浮かべる。

 仕上げに、下げた金貨の袋の口を緩め、いくらかの金貨を抜き取り、金貨の枚数を調整する。


「それでは……取引せいり――」


 おそらく五〇〇枚の金貨が入った袋を僕の前に差し出す――その手を――


 ボクは打ち落とした。


「――――へ?」


 金貨袋が地面に落ちる。きらびやかな金貨が、音を立てて袋から零れた。


「あひょばああああああああああああああ!」


 ヘイザードは慌ててはいいつくばると、零れた金貨を必死に拾い集めた。


 姉さんも驚いた顔をして振り返り、ボクの顔を覗き込む。


 ボクは馬鹿だ。大馬鹿だ。姉さんのこと、何もわかってなかった。


「……姉さんは、なにもわかってない」


 でも、姉さんだってボクのことをわかってない。


「ボクがどうして危ない召喚に手を出したのか。ボクが何を望んだのか。姉さんは何もわかってない!」


 拳を固める。伸びた爪が皮膚に食い込み、血が滲む。


 だけど、そんな痛みも気にならないほど――


「ボクはこの生活をなんとかしたかった。姉さんばかり辛い思いをして、姉さんの足ばっかり引っ張るのが――辛かった」


 ボクは自分も姉さんの足枷あしかせになっていることが悲しかった。


 悔しかった。


「だから、ボクは願ったんだ。姉さんと一緒に、幸せになりたい。いつまでも一緒にいたい」


 でも、今は嬉しかった。姉さんはそんなボクの幸せをずっと願ってくれていた。


 ボクも姉さんも、――想いは同じだった。


「姉さんに――本当の笑顔が戻ってきて欲しいって……願ったんだ!」


 これがボクの大望。命を賭けて、シュヴァリエを召喚した理由――


 ボクにさえ、見せなくなってしまった本当の……ボクが生まれてきたときに見たあの笑顔を……ボクは取り戻したかった。


「姉さん……どこにもいかないで……姉さんがいないと……ボクは……寂しくて、寂しくて――幸せになんてなれないよ」


 たった一人残ったボクの家族。たった一人の、ボクの姉さん。


 あの変わらない景色に、一人取り残されるのは嫌なんだ。

 独りぼっちで、姉さんを待つのは嫌なんだ。


 姉さんには笑っていて欲しい。


 できれば――ずっとずっと、笑っていて欲しい。


 姉さんの瞳にも同じ涙が零れる。

 

 そして強く、強く、ボクを抱きしめる。

 それに応えるように、ボクもまた姉さんを離さないと強く抱きしめた。


 姉さんと幸せになれないのなら、一緒にいられないのなら――

 他の幸せなんていらない。

 学校に何て、一生いけなくてもいい。


 二人で幸せになれないなら――、一緒に寄り添うように不幸でいよう。

 こんなことに、姉さんを失う直前――ボクはやっと気付いた。



 大切なことに気付くことができた。



「金貨五百五十枚……」

「――!?」


 這いつくばるヘイザードの声が、ボク達を現実に引き戻す。


「金貨五百七十五枚……」


 そんなボク達を全く意に介さず、淡々たんたんと重々しく、ヘイザードが金貨の枚数を告げる。


「金貨六百枚……」


 その表情は先ほどの作り笑顔なんかじゃない。冷徹で、無表情で――


「金貨六百二十五枚……」


 無感情に、ただ欲しいものを手に入れようとする、外道の顔だ。


「――姉さんに近づくな!」


 ボクは再度、ヘイザードに大きく手を広げ、立ち塞がる。


 こいつの指一本でさえ、姉さんに触れさせはしない!

 そんなボクの目に、細いまぶたの隙間から……さげすんだヘイザードの瞳がうつった。


「ハァ……残念です。私はすごくすごく残念で残念です。私はあくまで商売として、この取引を成立させたかった。」


 その瞳を見られたからか、ヘイザードは顔をボクから逸らした。


「だからこそ、こんな汚らしく何もない村を直接訪れ、交渉しに来たのです。それなのに……それなのに……取引ができないなんて、それは損でしかありません」


 さらにヘイザードは顔を覆い、また一段とわざとらしく、悲しいという、演技をする。


 その変わり身の早さが、またこの男の不気味さを強調していた。


「それは許されない。そんなの認めません! 私は稼ぎたい。稼いで稼いで稼ぎ続けたいのです」


 さらに甲高い声で――


「――ですから……ニーナ嬢は絶対に手に入れさせてもらいます」

と言い放つと天に拳を掲げ、長い指を弾いてパチンと鳴らす。


あらわれなさい! !」

 その叫びに応えるように、何かが馬車の屋根を蹴って、飛び上がり、空から振ってきた。


 それは山のような大きく、見たこともない褐色の着物を羽織り、背中にその男よりも長いなにかを背負った、坊主の大男だった。


三大寺 高禅さんだいじ こうぜん――推参すいさんなり」


 そいつはにやりと笑う、と同時にボクの持つ女神の瞳がそいつの正体を映し出す。


 こいつは、シュヴァリエ!? しかも――ランク☆3!?


「ほんとうに、残念です」


 ヘイザードはまた目を手で覆い隠し、呟く。


 こいつの口ぶりからすると、この大男のシュヴァリエの主人――マジェスティはこのヘイザードということになる。


 そして、こいつを呼んだと言うことは――


「む、無理やり姉さんを奪う気か!? そんなの! 認められるわけが――」


「もちろん。人さらいは重罪じゅうざいです。ですが……訴えるものがいなければ、罪にはなりえません。あなたを殺し、村人を脅してしまえば、なにも問題ありません。それだけ私のシュヴァリエには『力』があり、私には口をつぐませる『金貨』があるのです」


 ヘイザードがまた笑う。シュヴァリエも自信満々な表情で――まるでボクを殺すことなんてなんとも思っていないかのようなに腕を組み、胸を張る。


「……そんな……」


 手が痙攣けいれんしたかのように震えだし、目も泳ぐ。頭にはいろんなことが駆け巡る。


 召喚する前日、確かにボクも死を覚悟して震えた。

 だけど、それでも、どこか成功するんじゃないか、失敗しても、死ぬことはないんじゃないか、という甘い考えはあった。


 だけど、今は違う。


 ボクが抗えば……いや、きっと抗わなくても、こいつはボクを殺す。


 この大男は、ボクにとっての『死』そのものだ。


 ――怖い。そのシュヴァリエの存在が、ただただ――怖い。


「だれか――……」


 周りの村人を見渡す。いつもは呆けてる村人の、誰もが、珍しくこちらを見ている。


 だが、誰もボクに駆け寄らない。


「――だれか――ボク達を――」


 そうだった。ボクは、この村人を助けたいと思っていなかった。

 自分のことを棚に上げて、村の奴らを、ただ姉さんの足を引っ張る奴らと蔑んでいた。


「だれか――だれでもいいから――」


 姉さんがヘイザードに提案した村の復興も、破談にした。


 そんな、自分勝手なボクを、村人が救ってくれるわけがない。

 そもそも、ボクを救うやつなんて、この世界のどこにもいない。


「……不憫ふびんな小僧よ。せめてもの慈悲として――」


 大男がおだややかな声でボクに近づき、その大きな手の影をボクに落とす。


「……一撃で冥土めいどへ送って進ぜよう」


 血走った瞳で優しく笑う。


 その顔が、死の恐怖が、ボクの奥底に隠してきた願いを引き出した。


「誰か――!」


 ずっと求めていた。

 だけど、口にしても、誰も応えてはくれないと思った。


 だから、ずっと口にできなかったこの言葉。


 その言葉がむなしく響き渡り、そして霧のようにどこかへかき消されようとした時――


「おう!」


 耳を疑った。ボクの声に、はっきりとした声が応えた。


 目を開くと、誰かの背中が、ボクの前に立ち塞がっている。


 いや、ボクの代わりに――立ち向かっている!


「……フッ……来たか……」


 大男がそいつを見て満足げに笑う。


 ヘイザードがうろたえながら、


「なっ! なんですか! お前は――」


 ヘイザードの瞳にも、ボクの瞳にも、そいつの正体が映し出される。


「き、貴様が三大寺の言っていたシュヴァリエ!?」


 そいつの背中は頼もしく、風で靡く黒服の背中の大きさは、決してあの巨体にもシュヴァリエにも負けていない。


「ヘタ……お前の大望! 確かに聞いたぞ!」


 それがボクのシュヴァリエ――


「その願い! ワシが叶える!」


 これがボクの始まり。ボクの願いに馳せ参じた――


 神楽木 龍之介かぐらぎ りゅうのすけという姿だった。

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