プロローグ 1 「目覚めなさい」とか、たぶん一生言う機会なんてない

 ながい――いや、ながい夢を見ていたような気がする――

 ぼんやりとした意識にあわい記憶。この浮かんでいるような心地良さに――ワシはずっと、いつまでもおぼれていた。


「……ざ……なさい……」


 そんな自分に対し、誰かが声をかける。綺麗な――透明で、み切った、優しい声。

 その声に意識は揺り動かされ、重いまぶたをうっすらと開けてみる。

 だが、久方ぶりに開けた瞳に、光は映らなかった。


「なんじゃ……まだ真っ暗まっくらじゃぞ……あと五分……」


 ワシを呼ぶ人物には悪いが、ワシはまだまだ、この眠りをむさぼっていたい。


「ちょ……目覚めざ……なさい……」


 一瞬だけ慌てた声が、すぐに取り繕われ、また同じ言葉を繰り返し告げる。

 ちょっと鬱陶しい。


「うぅん……ワシは起きんぞ……お天道様てんとうさまが起きるまでは、ワシも絶対に起きんぞ……」


「あのっ……、ここ太陽とかないんで、ちょ、ちょっと! ね、寝ないでくだっ! 起きてくださーい!」


 声が耳元まで近づき、ワシの体を無理矢理揺らす。

 体のあちこちを突っつかれ、揺すられ、叩かれる。

 終いには、声の主はワシの頬を、むぎゅーっと、引っ張り始めたので――


「うるさいんじゃぁぁ! 寝不足はお肌の大敵だとオヤジがいつも言うとろうがァァァァァ!」

「いやそれ女子のセリフうぅぅぅぅぅ!」


 根負こんまけして目を開けると、そこはまったく知らない場所だった。

 周りには無数の光る球体と暗黒あんこくの空間。

 だが、その風景に、全く見覚えがないわけじゃない。


「あん? ……なんじゃここは? ……そこら中に浮かんどるあれは――なんじゃ? ……星か?」


 ここが宇宙空間だと言うことはわかった。

 SF映画なんかでよく宇宙船が飛んでいるあの闇と小さな光が無数にきらめく、あの空間。その中をワシはどうやら、小さな椅子に座って浮かんでいるらしい。


「……オッホン」

 誰かが咳払いをする。


 そこには女が立っていた。透き通るようなきらめく長い金髪。着ているケープに負けないくらいの美しい白い肌。

 そして、こごえるようなあおと燃えるあかの目を持つ、いままで出会ったこともないほどの、絶世の女性。


「長き眠りから、よくぞ目覚めましたね。ようこそ……『ほしうみへ』――私の名は女神セレスヴィル。この『世界を視る者』です」


 彼女はにっこりと、作った微笑みでワシに告げる。


「ずいぶん綺麗な人じゃと思うたが、女神じゃったのか! ワシの名前は神楽木 龍之介かぐらぎ りゅうのすけじゃ! よろしくのう!」


 まずはとりあえず――と手を差し出す。

 その手に対し、女神は小首を傾げ――


「え……っと――あぁーはいはい、握手ですね。……はい。よろしくお願いします」

 白い手を握る。その手は柔らかく、細く、そして、すごく冷たかった。


「……というか? ここはプラネタリウムというやつか? ワシはいつのまにこんなところに?」


「いや、プラネタリウムじゃないです」


「ワシは暗いと眠くなってしまうんじゃ。すまんが、もちっと明るくしてくれんかのう……」


「いや、ここは……そのう……一応ですね、神聖な場所なんで、光量の調整とかそういうのは……ちょっと……」


「うーーん、そいつは困ったZZZZZZZ」


「寝るの早ァァァ! 眠くなるとか、そういう次元じゃないですよね! 催眠術にかかった人みたいになってましたよ!」


「ZZZZZZZZZZZZZZZZZZ」


「いや、あのっ! わかりました! 少しだけ! 少しだけ明るくしますから! 起きてください! 話がさっきから全然進まないので、起きてくださーい!」


 セレスヴィルは、慌てて手を振り上げ、どこからともなく、光と共に輝く杖を取り出した。それを大きく振って、見えない床に『コツン』と当てる。


 すると、ないはずのその地面に、波紋はもんが浮かび、当たりの星々がぐんと伸び、景色を変えた。

 先ほどよりもはるかにまぶしく、大きな星が見える場所へと辿り着く。


「おぉ……あれは太陽か? これだけ近づくと、さすがに、でっかくて眩しいのう!」


「いえ、これは恒星こうせいですが、太陽ではありません。これは『シリウス』。全天で最も明るい星です。あなたの世界では、冬の大三角の――」


「ZZZZZZZZZZ」


「明るさ関係ないじゃないですかっ! 今のは明らかに私の話を聞きてから寝てましたよね!」


「……あぁ……すまんのう。どうもワシは長ったらしくて、難しい話を聞くと眠くなってしまうんじゃ」


「んむぅ~~~! もうっいいですっ!」


 セレスヴィルは、少しむくれてそっぽを向いた。

 どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。

 それでも、セレスヴィルは律儀りちぎにこちらに目だけ向けて


「ところで、あなたはここに来る前のことを憶えていらっしゃいますか?」

 と丁寧に――いや、まだちょっと怒り口調でセレスヴィルは話を続ける。


「――ここに来る前……?」


 はて。そう言えば、どうしてワシはこんなところにいるのか――

 目覚めてすぐ、セレスヴィルがいるので、不安にも不思議にも思わんかった。


「ゆっくりで構いません。思い出せるところから……思い出してみてください」


 セレスヴィルにうながされ、目を閉じ、腕を組む。


「――確か……そう、オヤジの誕生日を祝うために、みんなで集まって……」


 昨日は確か、オヤジの誕生日じゃった。それを祝うため、ワシは事務所を徹夜てつやで飾り付け、準備した。


 虎二とらじ合図メールをして、オヤジを事務所に呼び、みんなでクラッカーを鳴らす。サプライズは成功し、オヤジは驚きながらも、喜んで――


「そんで、オヤジがケーキの蝋燭ろうそくを吹き消そうとしたら……停電にあって……それで……――そうじゃ!」


 その後突然、事務所のドアをやぶる音がして、何十人ものなにかが乗り込んできた。


「そんで……そうじゃ! ワシらの事務所に襲撃カチコミがあって、ワシは――」


 その後、すぐに思い出したのは――あの真っ赤な景色最後だった。

 無数の死体をそこら中にさらしあげ、その中心に自分は倒れ――


 ――いや、倒れたんじゃなくて……


「――そうです。あなたは、そこで死にました」

 セレスヴィルは楽しそうに言う。


 なるほど。そういうことか。


「そうか……ワシは死んだんか……つーことは、ここは地獄か!」


「だから、ここは『星の海』です!」

 とセレスヴィルはまたちょっとむくれる。


「なんじゃ、ワシは悪いことをいっぱいしてきたから、当然、地獄行きかと思っておったが――」


「ご安心ください。あなたがこれから行く場所は地獄ではありません」


 セレスヴィルが首を傾げてから


「そもそも――そんなものはないんです」

 ちょっと呆れたような笑みを浮かべた。


「そんなものとは――どういうことじゃ?」


「そのままの意味ですよ。この宇宙――いえ、この世界には天国も、地獄なんて場所もないんです」


 セレスヴィルは淡々たんたんと告げるので、ワシはまた訳がわからなくなる。

 天国も地獄もないというのなら――死んだワシはどこにいくんじゃ?


「死後の先は――『無』です」


「むぅ?」

 とワシの口から間抜けな声が飛び出す。


 その声にセレスヴィルはくすり、と零して


「ええ。命がそのせいを終える時……その先にあるのは消滅。死ねば魂は消失し、二度と再生されることはありません。故に『無』――果てその存在は記憶きおくからも忘れ去られ、この宇宙せかいから完全に消えて無くなり、決して戻ることはありません」


 誰かに宣言するかのような、堂々とした物言いのセレスヴィル。

 

 その姿に唖然とする。


「ふふふ、ショックでしたか? 人生は一度きり。やり直しなんて、ありえません」


「なるほどのう……死んだら天国か地獄に行くとオヤジは言うとったが、違ったんじゃなぁ~。やっぱり死んでみんことには、わからんこともあるのう」


 いや、そう言えば――虎二は、セレスヴィルと同じことをいっていたような気がする。やっぱり、あいつは何でも知っとるのう。


「はぁ……。あなたは今の状態に疑問を持たないんですか?」

 そんな様子のワシを見て、女神は瞳を閉じて、ため息を吐く。


 はて、なにか疑問に思うよなことがあったかのう?


「死んだら消滅だと私は言いましたが、あなたはここにいる。死んだにもかかわらず、あなたは消滅していませんよ?」


 ……そういえば、そうじゃのう! ワシは死んだはずなのに、ここにいる。


「つまり……ワシはまだ『無』にはなっておらんのか?」


 ワシの言葉に少し女神はびっくりしたように、


「あら? 龍之介さん……意外に勘は鋭いのですね――っと、おっと」


 そして、失言でしたと言わんばかりに咳払いし、仕切り直す。


「おっしゃる通り、あなたは、まだ『無』になっては、おりません」


 うーむ。じゃが、それだと少し矛盾する。先ほど確かにこの女神はワシに「あなたは死にました」と告げた。


 だけど、セレスヴィルは死んだら『無』になるとも言った。

 これはどういうことじゃ?


 大して回らない頭が、どんどんこんがらがってくる。


「それは、貴方が死に、消失を始める瞬間に、『私』が『回収』したからです」


 かい……しゅう? 何を? もしかして……


「貴方の肉体が……脳が死んだ刹那――あなたを見ていた『私』は、あなたの魂を回収したんです。そして、その魂を一時的に保存しました」


「お前さんはそんなことができるのか!?」 


「そして、生前のあなたと同じ身長、体重、素材、記憶を持つ、その体に、あなたの魂に移し替えました」


「さらに、移し替えたじゃと!? じゃ、じゃあワシのこの体は……ワシのもんじゃないのか?」


 そんな驚きの事実にセレスヴィルはすんなりと、ためらいなく応える。


「はい。正確に言えば、それは、あなたの体ではありません。私が『作った体』です」


 体中をあちこち触ってみる。手も、耳も、心臓の鼓動こどうの、この感覚も、どこにも違和感などはない。それに着ているこの服も――これは紛れもなくオヤジに買って貰ったスーツじゃ。それに内ポケットの中に入っとるは――


「違和感などあるはずがありません。その体も服も、紛れもなく、あなたの生前のものと寸分違わず同じなのですから。女神の私にミスはありません。細胞の一つ一つまで完璧に同じにしました」


 セレスヴィルは「えっへん」とでも言いたげに、ささやかで慎ましい胸を張って、ご満悦になる。


 まったく同じだが、全然違うワシの体。――なるほど、わけがわからん。


 だが、そうなると、気になってくることがある。


「この場合、ワシはお前さんに感謝した方がいいのか?」


 ワシは死ぬところを――いや、消えて無くなるところを、セレスヴィルに救われたらしい。それを、ただの善意でしてくれたのなら感謝することなのかもしれんが――


「それとも、ワシに『なにか』をさせたいんか?」


 これなら話はちょっと変わってくる。


「龍之介さんは、本当に頭は悪そうなのに、勘は鋭いですね」


「……お前さんは結構、毒舌じゃのう」


 笑うセレスヴィルの顔を見て、なんとなく、セレスヴィルの性格がわかってきた。この笑い方。こいつは虎二と同じ――『捻くれ者ひねくれもん』じゃ。


「さて、私は先ほど、『人生は一度きり、やり直しは決して、できない』と言いました。でも、もしも、できるのなら?」


 セレスヴィルが少し近づく。ワシの目をじっと見て、その色違いの瞳かで何かを吸い込むように



「――あなたは、もう一度、『やり直して』みたいとは思いませんか?」



 目の前の女神が改まって尋ねてくる。


「……………」


 やり直す――とはどういうことだろうか――いや――『何を』だろうか。


「あなたは確かに死にました。あなたは自分の人生をまっとうしました」


 そう。ワシは自分の人生を……この道を貫いた。

 そして――道半みちなかばで――死んだ。


「しかし、その人生は満ち足りたものでしたか? あなたには微塵みじんも後悔はありませんでしたか?」


 ワシは、オヤジに会って満ち足りた。だけど、もっと……一緒にいたかった。


「もっとやりたかったことは? 最後まで成し遂げたかったことは? あなたには、何もありませんでしたか?」


 虎二とも、もっといろいろやりたかった。何かはわからんが、あいつとならもっとすごいことができた気もする。



 そして、何よりも――――



「あなたの人生は……あんな程度のものでしたか?」



 ――――あんな、寂しい最後は迎えたくなかった。



 いままでの――生まれてから死ぬまでの、ワシの記憶が、一気に駆けめぐる。


 セレスヴィルのそれらの問いかけに答えようとしたが――


 言葉が胸をつっかえて、声が出ない。


「……沈黙ですか。良いことです。自分の人生を顧みて、悩むくらいには、あなたは頭が良かったのですね」


 セレスヴィルはクスリと口元を緩ませた。


 どうやら、またワシは馬鹿にされたらしい。

 まぁ、馬鹿なのは自覚してるから、今更なんじゃがな。


「不可能を可能にする――それは神にのみ許された力。そして私は、紛れもなくです」

 セレスヴィルが小さな手を差し出して





「龍之介さん。もし、よろしければ……その魂を使ってもう一度――異世界に転生いたしませんか?」

 と誘うように、優しく、まっすぐに尋ねた。

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