プロローグ 1 「目覚めなさい」とか、たぶん一生言う機会なんてない
ぼんやりとした意識に
「……ざ……なさい……」
そんな自分に対し、誰かが声をかける。綺麗な――透明で、
その声に意識は揺り動かされ、重い
だが、久方ぶりに開けた瞳に、光は映らなかった。
「なんじゃ……まだ
ワシを呼ぶ人物には悪いが、ワシはまだまだ、この眠りを
「ちょ……
一瞬だけ慌てた声が、すぐに取り繕われ、また同じ言葉を繰り返し告げる。
ちょっと鬱陶しい。
「うぅん……ワシは起きんぞ……お
「あのっ……、ここ太陽とかないんで、ちょ、ちょっと! ね、寝ないでくだっ! 起きてくださーい!」
声が耳元まで近づき、ワシの体を無理矢理揺らす。
体のあちこちを突っつかれ、揺すられ、叩かれる。
終いには、声の主はワシの頬を、むぎゅーっと、引っ張り始めたので――
「うるさいんじゃぁぁ! 寝不足はお肌の大敵だとオヤジがいつも言うとろうがァァァァァ!」
「いやそれ女子のセリフうぅぅぅぅぅ!」
周りには無数の光る球体と
だが、その風景に、全く見覚えがないわけじゃない。
「あん? ……なんじゃここは? ……そこら中に浮かんどるあれは――なんじゃ? ……星か?」
ここが宇宙空間だと言うことはわかった。
SF映画なんかでよく宇宙船が飛んでいるあの闇と小さな光が無数に
「……オッホン」
誰かが咳払いをする。
そこには女が立っていた。透き通るような
そして、
「長き眠りから、よくぞ目覚めましたね。ようこそ……『
彼女はにっこりと、作った微笑みでワシに告げる。
「ずいぶん綺麗な人じゃと思うたが、女神じゃったのか! ワシの名前は
まずはとりあえず――と手を差し出す。
その手に対し、女神は小首を傾げ――
「え……っと――あぁーはいはい、握手ですね。……はい。よろしくお願いします」
白い手を握る。その手は柔らかく、細く、そして、すごく冷たかった。
「……というか? ここはプラネタリウムというやつか? ワシはいつのまにこんなところに?」
「いや、プラネタリウムじゃないです」
「ワシは暗いと眠くなってしまうんじゃ。すまんが、もちっと明るくしてくれんかのう……」
「いや、ここは……そのう……一応ですね、神聖な場所なんで、光量の調整とかそういうのは……ちょっと……」
「うーーん、そいつは困ったZZZZZZZ」
「寝るの早ァァァ! 眠くなるとか、そういう次元じゃないですよね! 催眠術にかかった人みたいになってましたよ!」
「ZZZZZZZZZZZZZZZZZZ」
「いや、あのっ! わかりました! 少しだけ! 少しだけ明るくしますから! 起きてください! 話がさっきから全然進まないので、起きてくださーい!」
セレスヴィルは、慌てて手を振り上げ、どこからともなく、光と共に輝く杖を取り出した。それを大きく振って、見えない床に『コツン』と当てる。
すると、ないはずのその地面に、
先ほどよりも
「おぉ……あれは太陽か? これだけ近づくと、さすがに、でっかくて眩しいのう!」
「いえ、これは
「ZZZZZZZZZZ」
「明るさ関係ないじゃないですかっ! 今のは明らかに私の話を聞きてから寝てましたよね!」
「……あぁ……すまんのう。どうもワシは長ったらしくて、難しい話を聞くと眠くなってしまうんじゃ」
「んむぅ~~~! もうっいいですっ!」
セレスヴィルは、少しむくれてそっぽを向いた。
どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
それでも、セレスヴィルは
「ところで、あなたはここに来る前のことを憶えていらっしゃいますか?」
と丁寧に――いや、まだちょっと怒り口調でセレスヴィルは話を続ける。
「――ここに来る前……?」
はて。そう言えば、どうしてワシはこんなところにいるのか――
目覚めてすぐ、セレスヴィルがいるので、不安にも不思議にも思わんかった。
「ゆっくりで構いません。思い出せるところから……思い出してみてください」
セレスヴィルに
「――確か……そう、オヤジの誕生日を祝うために、みんなで集まって……」
昨日は確か、オヤジの誕生日じゃった。それを祝うため、ワシは事務所を
「そんで、オヤジがケーキの
その後突然、事務所のドアを
「そんで……そうじゃ! ワシらの事務所に
その後、すぐに思い出したのは――あの真っ赤な
無数の死体をそこら中に
――いや、倒れたんじゃなくて……
「――そうです。あなたは、そこで死にました」
セレスヴィルは楽しそうに言う。
なるほど。そういうことか。
「そうか……ワシは死んだんか……つーことは、ここは地獄か!」
「だから、ここは『星の海』です!」
とセレスヴィルはまたちょっとむくれる。
「なんじゃ、ワシは悪いことをいっぱいしてきたから、当然、地獄行きかと思っておったが――」
「ご安心ください。あなたがこれから行く場所は地獄ではありません」
セレスヴィルが首を傾げてから
「そもそも――そんなものはないんです」
ちょっと呆れたような笑みを浮かべた。
「そんなものとは――どういうことじゃ?」
「そのままの意味ですよ。この宇宙――いえ、この世界には天国も、地獄なんて場所もないんです」
セレスヴィルは
天国も地獄もないというのなら――死んだ
「死後の先は――『無』です」
「むぅ?」
とワシの口から間抜けな声が飛び出す。
その声にセレスヴィルはくすり、と零して
「ええ。命がその
誰かに宣言するかのような、堂々とした物言いのセレスヴィル。
その姿に唖然とする。
「ふふふ、ショックでしたか? 人生は一度きり。やり直しなんて、ありえません」
「なるほどのう……死んだら天国か地獄に行くとオヤジは言うとったが、違ったんじゃなぁ~。やっぱり死んでみんことには、わからんこともあるのう」
いや、そう言えば――虎二は、セレスヴィルと同じことをいっていたような気がする。やっぱり、あいつは何でも知っとるのう。
「はぁ……。あなたは今の状態に疑問を持たないんですか?」
そんな様子のワシを見て、女神は瞳を閉じて、ため息を吐く。
はて、なにか疑問に思うよなことがあったかのう?
「死んだら消滅だと私は言いましたが、あなたはここにいる。死んだにもかかわらず、あなたは消滅していませんよ?」
……そういえば、そうじゃのう! ワシは死んだはずなのに、ここにいる。
「つまり……ワシはまだ『無』にはなっておらんのか?」
ワシの言葉に少し女神はびっくりしたように、
「あら? 龍之介さん……意外に勘は鋭いのですね――っと、おっと」
そして、失言でしたと言わんばかりに咳払いし、仕切り直す。
「おっしゃる通り、あなたは、まだ『無』になっては、おりません」
うーむ。じゃが、それだと少し矛盾する。先ほど確かにこの女神はワシに「あなたは死にました」と告げた。
だけど、セレスヴィルは死んだら『無』になるとも言った。
これはどういうことじゃ?
大して回らない頭が、どんどんこんがらがってくる。
「それは、貴方が死に、消失を始める瞬間に、『私』が『回収』したからです」
かい……しゅう? 何を? もしかして……
「貴方の肉体が……脳が死んだ刹那――あなたを見ていた『私』は、あなたの魂を回収したんです。そして、その魂を一時的に保存しました」
「お前さんはそんなことができるのか!?」
「そして、生前のあなたと同じ身長、体重、素材、記憶を持つ、その体に、あなたの魂に移し替えました」
「さらに、移し替えたじゃと!? じゃ、じゃあワシのこの体は……ワシのもんじゃないのか?」
そんな驚きの事実にセレスヴィルはすんなりと、ためらいなく応える。
「はい。正確に言えば、それは、あなたの体ではありません。私が『作った体』です」
体中をあちこち触ってみる。手も、耳も、心臓の
「違和感などあるはずがありません。その体も服も、紛れもなく、あなたの生前のものと寸分違わず同じなのですから。女神の私にミスはありません。細胞の一つ一つまで完璧に同じにしました」
セレスヴィルは「えっへん」とでも言いたげに、ささやかで慎ましい胸を張って、ご満悦になる。
まったく同じだが、全然違うワシの体。――なるほど、わけがわからん。
だが、そうなると、気になってくることがある。
「この場合、ワシはお前さんに感謝した方がいいのか?」
ワシは死ぬところを――いや、消えて無くなるところを、セレスヴィルに救われたらしい。それを、ただの善意でしてくれたのなら感謝することなのかもしれんが――
「それとも、ワシに『なにか』をさせたいんか?」
これなら話はちょっと変わってくる。
「龍之介さんは、本当に頭は悪そうなのに、勘は鋭いですね」
「……お前さんは結構、毒舌じゃのう」
笑うセレスヴィルの顔を見て、なんとなく、セレスヴィルの性格がわかってきた。この笑い方。こいつは虎二と同じ――『
「さて、私は先ほど、『人生は一度きり、やり直しは決して、できない』と言いました。でも、もしも、できるのなら?」
セレスヴィルが少し近づく。ワシの目をじっと見て、その色違いの瞳かで何かを吸い込むように
「――あなたは、もう一度、『やり直して』みたいとは思いませんか?」
目の前の女神が改まって尋ねてくる。
「……………」
やり直す――とはどういうことだろうか――いや――『何を』だろうか。
「あなたは確かに死にました。あなたは自分の人生をまっとうしました」
そう。ワシは自分の人生を……この道を貫いた。
そして――
「しかし、その人生は満ち足りたものでしたか? あなたには
ワシは、オヤジに会って満ち足りた。だけど、もっと……一緒にいたかった。
「もっとやりたかったことは? 最後まで成し遂げたかったことは? あなたには、何もありませんでしたか?」
虎二とも、もっといろいろやりたかった。何かはわからんが、あいつとならもっとすごいことができた気もする。
そして、何よりも――――
「あなたの人生は……あんな程度のものでしたか?」
――――あんな、寂しい最後は迎えたくなかった。
いままでの――生まれてから死ぬまでの、ワシの記憶が、一気に駆け
セレスヴィルのそれらの問いかけに答えようとしたが――
言葉が胸をつっかえて、声が出ない。
「……沈黙ですか。良いことです。自分の人生を顧みて、悩むくらいには、あなたは頭が良かったのですね」
セレスヴィルはクスリと口元を緩ませた。
どうやら、またワシは馬鹿にされたらしい。
まぁ、馬鹿なのは自覚してるから、今更なんじゃがな。
「不可能を可能にする――それは神にのみ許された力。そして私は、紛れもなく女神です」
セレスヴィルが小さな手を差し出して
「龍之介さん。もし、よろしければ……その魂を使ってもう一度――異世界に転生いたしませんか?」
と誘うように、優しく、まっすぐに尋ねた。
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