095、屋台の準備
そんな風に、ニコや、坊と話していると組み立てが終わるころには野次馬が集まっていた。
子供ばかりだからだろう。
しかし、マルが炭を熾すところや他の子たちの全体的にてきぱきとした行動を見ているうちに、ほお、とか、へぇ、とかそれぞれに相槌のようなものを打って、納得したように散って行く。
そこに飲み物屋がやってきたらしい。始めに坊とあいさつをしていた、それが終わるといつもと違う空気に驚いた表情を浮かべる。
「いや、聞いていましたが思っていたよりも人数が多い」
そんな風に、親しみの持てる柔和な表情で話しかけてきたのは、俺よりも年上の男。
昨日あった棟梁よりは年下だろうか、三十代の中頃だと思われる。
整っていて格好のいいというタイプではないが、きっちりと清潔で揃った感のある服装と若干肉が余りつつもだらしなさすぎるということもない程度の恰幅。人の好い笑みが似合うタイプで、人のいる場所なら多くの場所に溶け込めるだろうと思う。
「どうぞよろしく」
頭を下げると、ニコが支えてくれる。
こちらの二人をどういう感情で見ているのかはわからない。
そもそもの向こうが持っている情報がわからない。
わからない尽くしながら、少なくとも、片眉を上げる程度の表情の変化しか出さなかったということは分かった。
(驚きか、嫌悪か、諫めか、さて?)
けれど、よく考えてみれば悪感情かどうかはあまり関係のない話だ。
とりあえず、飲み物を売るということで、どうするのかを見ていると、ルーチンというか、作業自体は簡単だ。
飲み物の容器、これは、店を出した場所に置いてあった。どうやら、昼前、あるいは朝のうちに持ってきていたらしい。蛇口のついた大きな樽だ。
確かに、液体は量があると非常に重いからだろう。
小さな子に、小銭をやっていたのでたぶん、見張りとして子供を使っていたのだろう。
悪いことではないと思う。サービス分なのか、飲み物を一杯やっているし、両方ともが笑顔の労使関係のようだ。
「飲み物?」
その様子を見ていた孤児院の子供が一人聞くと、商人は説明をした。
リンゴの飲み物だが、一つは大人向けで、もう一つは子供向けだ、と。
お酒? お酒だ、という子供たちに対して、それともまた違う、と飲み物屋の男は答えた。
甘いリンゴと酸っぱいリンゴだ、と、しかし、それに対しては子供たちの声が響いて……、
先ほど、飲み物をもらっていた子供が、その喧騒を嫌がるような表情を見せているが、孤児院の子供たちはそれに気づいた様子を見せない。
「はい、そこまで」
喧騒を切って割ったのは、クヌートだった。手拍子の一つと大きくもない声で子供たちを一発で静める。
「君、少しいいかな?」
「……」
クヌートが声をかけたのは、先ほどの留守番の子だ。
面倒そうな表情で立ち去ろうとしていたところをクヌートが呼び止めた形になる。
「なに?」
「いや、良ければ、飲み物をもう一杯飲んでいってくれないかと思ってね」
めんどくさそうな表情のまま、しかし、心の中の天秤はもう一杯のほうが重かったのだろう。
大銅貨を支払っているクヌートを見ながら、立ち去ろうとしていた靴先を変えた。
「君は大人の味覚らしく、酸いほうを呑んでいたようだが、うちのうるさい子供たちのために、甘いほうの味を教えてやってくれないだろうか?」
銅貨数枚の釣銭を受け取りつつ差し出されたコップを、若干の警戒を見せながら受け取り、口をつけた。
コップの半ばまでを一口に呑み、口を離す。その口角が上がっているのを見れば口に合っていたのは確かだろう。
「甘い。ちょっとべとつく。さっきのは、ここまで甘くない、でも、すっきり」
「そうかい」
「そのおじさんの言う通り、お酒じゃない」
えー、という、子供たちの声が響く。しかし、先ほどまでの喧騒の声よりは小さくなっていて、納得したものがいくらかいることを示しているようだ。
「じゃあ、あっちにいる君と同じくらいの背格好の女の子が料理している肉をもらえるようにお願いしておいたから、あっちでそれを受け取って、うん、そこからは君の自由にしてくれるといい」
「……いいの?」
「いいとも、僕の気持ちだ。できれば、おいしかったなら友人にでも広めてくれると嬉しいけどね」
そういって、クヌートは普段しないような――俺の感じるところでは胡散臭いくらいに――満面の笑みを浮かべている。整いつつも軽い彼の容貌に相まって、見る人が見れば魅力的であろうとは思うが。
先ほどの留守番の子は胡散臭さは感じなかったようで、素直にその指示に従って屋台の方に行って、そして、何事か聞きに来たらしいシノリと二言三言交わしたあと、客の並ぶべき側から焼き上がるのをじっと見ている。
「はあん」
飲み物屋のおじさんは、納得しつつも納得がいかないというような複雑な息を吐いた。
「あれ、親切?」
ニコが言う。にべもない。
「……結果から言うと、サクラを一人作っただけだね」
息を吐きつついう言葉には、しかし、悪びれるところも無ければ、戸惑うような素振りもない。自らの行いに恥じるところは無い、という風情。
屋台に並ぶ、先の子を見る目は優しい。
「まぁ、どう思うかは自由だと思うけど、自分としては必要だと思ったから行っただけ。あの子には食べ物が必要だろう」
「……慈善?」
「まさか! それこそ、僕の手のひらには、他人の入る余地はない、自分の面倒も見られない手に他の人の手をにぎる資格は無い、と思う。まぁ、これは僕の個人的な価値観で、人に押し付けるつもりは無いけれど」
クヌートは言う。その言葉は立派だが、自分の面倒を見られる人間というのが実際どれだけいるのかは疑問の余地がある。基本的には行っていることは正しいと思うが、それだけでは世界は冷え切ってしまう。
「何もできず、一杯一杯でも、人の手の平は温かい」
「え?」
いや別に、と返したニコがどういうつもりでそれを口にしたのかはわからないが、少なくとも悪い意味で口にしたわけではなさそうだ。
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