094、責任でなく、責任感に重さがあるなら、外に漏らさぬようにしよう
安堵ともつかない表情のまま、口元を動かして声にならない声を噛み潰すような仕草のあとで、
「いえ、大したことではないのですが」
ようやく、言葉にしてくれた。
「大したことじゃない……か。じゃあ、不具で仕事ができない俺にちょっとした暇つぶしとして教えてくれるか?」
……、聞き方が悪かったのだろうか、あきれるような表情で、こちらを見る坊。
ニコの手にも少し力が入っているように思える。
不謹慎だっただろうか。だが、坊が話してくれる様子を見せたので、まぁいいか、と気分を変える。
「えーと、開始時刻と準備について反省を」
「反省? 始まってないのに?」
「ん、ですね。いえ、始まった後はおおよそ計画通りに推移すると思います。たぶん、夜が本格的に始まる前に売り切れると思いますよ」
「じゃあ、問題ないんじゃないのか?」
こちらの聞き返しに、どう説明したものか、と少しの困惑を混ぜた苦笑が浮かぶのが見えた。
「そうですね。『問題』はありません。ただ少し、思いついておくべき事態を見落としていたので、それを反省していたのです」
「……聞いても?」
「それこそ、大したことではありません。単に、屋台を運ぶ時間に人通りがあった、というだけです」
それがどういう意味なのかを数秒間考える。
――一応、それらしい判断には行き当たったが、
「神経質じゃないか?」
「そんなつもりはありませんが」
先ほどの人の間を通ってきたことで道を開けてもらったことについてだろうと、聞いてみると、肯定的な返事が返ってきた。
「今は、問題になっていませんが、これは看過されているだけだ、と自分は思います」
「見過ごされ……いや、見逃されてるって?」
目の前では、力仕事はオーリが中心になって、調理作業をする部分はマルを中心にして屋台の組み立てが行われている。
こだわりがあるのだろう、マルは、何度も網の位置を確かめるような仕草を繰り返している。
「今のチームはいいです、それなりに見目のいい若者が中心ですので」
坊はどう見ても、その平均値より若そうだが。いや、今日の平均値なら坊のほうが上だろうか。
細かくは考えても仕方がないし、それを突っ込む空気でないのはさすがにわかる。
「それで?」
「つまり、許される空気、ということです。屋台をひいてくるのが朝にするべきというのは慣習で、皆がやっていて、営業時間が伸ばせるだけ、とそんな風に考えていたのが間違いでした。一応、人の少ない時間帯に移動しておくべきだ、とか、そういった感じの意味のあるルールなのだ、とそんな風に認識しました。つまり、それが私の失敗です。問題にもならない失敗ではありますが」
悔いるような表情とうつむき加減。しかし、口調と声は張りがあって、失敗したとは思っていても繰り返すものかとは思っているようだ。
前向きではある、と思ったのだが、それが微妙に気に食わなかった人もいるようだ。
「貴女……考えればわかることを考えなかったのが悔しいの?」
「あ、っと。そうなのかもしれません」
飛び込んできたニコの鋭さを含んだ声と、それに対応する坊の声。
若干出た素っぽい反応は、ニコが急に話したからか。
しかし、ニコの言い方を肯定するのであれば、
「傲慢」
「……え?」
ニコは坊の判断をそう断じたらしく、口を閉じた。
坊は、ぽかんとした表情でニコを見ている。
「えと」
そして、どこか先ほどの茫然を残したまま坊は俺に視線を向けた。
こちらに視線を向けられても困るわけだが。
しかし、たしかに、一言で断じられてしまうと反省のしようも反論のしようもない。
それはさすがにかわいそうだろう。
「ニコ」
名前を呼ぶと、彼女も不足は承知していたらしい。それでも素直に説明しようとしない空気を感じるのは、坊がニコへの反論というか要求に俺を使ったように感じたからかもしれない。
だが、それでもしばらくすると説明しようと口を開くのがいじらしい。
「貴方の役目は?」
「私は、えっと、旦那様から派遣されて屋台運営を……」
「サポート?」
「はい、サポートすることが自分の役目だと思っています」
ニコは、いくらかトーンが低い声で、わかっているのに、とつぶやいてから。
「自分ですべての問題を解決できると思ってる?」
と、そう聞いた。ニコの見た目が幼めなので、はた目には年齢が逆にも見えるが、年上から年下に言うには若干言葉が強いという気がしなくもない。というか、強い。
「考えればわかることをわからなかったと口にするのは、いい。でも……、考えなかったのが失敗だというなら、ここにいるのは皆、失敗者。反省してない分、より悪質。それでも失敗を嘆くのは……傲慢?」
「……え、う」
本気の言葉と、それを語っているニコ。そのニコが長文を話しているところこそが、彼女にとっては、もっとも大きな驚きかもしれないが……ともかく。打たれたように沈む坊。
対するニコは、静かなものである。一息で長文を紡いだ割には呼吸にすら乱れを感じない。
「貴女が今していることは、反省ではなく、改善でもない」
「わからない……いえ、少なくともわかってなかったです」
「そ」
ニコは、その言葉のトーンに、納得を得たのか、一つ頷いた。
どういうテンションの転換か、よくわからないが。
言わなくともわかる、とそう思ったのか、ニコは口を開こうとしない。
だが、坊の表情に若干の困惑が入りだすと、ニコは若干慌てたように言葉を紡ぐ。
ついてこれない相手を見て慌てるくらいなら突き放さなければいいのにと思い、可愛いなぁ、とは思う。
「今回は『こんなことがあっただから、こうしよう』で済む話。これを失敗とするから、ややこしく、なっている」
「つまり?」
「言うなら何もないところに失敗という言葉を与えて、それを押し売ろうとしたのよ。貴女の頭の中で」
「……」
言い方もあれだし、内容も言いがかりに近い気がするが、俺はなんとなくわかるし、多分、坊もなんとなくわかるのだろう。
若干その言葉が痛みを伴って刺さるような表情をしたが、その間、反論の言葉はなかった。
「言い過ぎた?」
いまいち慮っているのか、追撃で挑発しているのかわかりかねる口調で言うニコだが、
その表情は確かに、気遣っているようだ。
「いえ」
それでも、素直に応える坊は、いい子なのだろう。
だから、若干自罰的なところがあるのだろうと思われた。
・
ほんの少し、いつもよりも乱れた足元の坊がマルの手伝いをしにいったので、ニコと二人になる。
「坊には、あんな感じなの?」
「え、二人で話したのは殆ど初めて」
初対面であれなのだろうか、あるいは、初対面だからあれなのか。
と、ニコの言動を思い返してみる。
しかし、自分の場合は、初対面といえるかどうか微妙なラインだった。
それ以外の例で言うと……鍛冶屋ではそれなりに普通で、薬屋でも楽しそうにしていたのを思い出す。
結構普通か、あるいは、口数が少ないだけで人当たりがいいのでは、と思ったが、
(どちらも、ニコより年上か……)
だからと言って、孤児院の年下につんけんしているわけでもない。
つまり、……どういうことか。
初対面の年下だから? あるいは、何らかの感情を向けているのか。
「ん……、ん」
言われて始めて少し変わっていると自覚したような表情だ。
「あ、うん」
言いたいことがまとまったという様子で、一つ頷いた。
「嫌いじゃない。むしろ、ああいう子は可愛い、好き」
「うん……うん?」
端的な言葉で、表現してくれた。
むしろ、そうなると、どういう意味になるだろうか……。
いや、違うか、そういう意味ではないか。
自分の中だけで秘めて、表に出さないことにして。
「嫌ってるわけじゃないならいいか」
「嫌いな相手と話さない」
それも極端な気もするが。
「ところでさっきのは、……えっと、あんまり、自分で責任を感じすぎるな、ってことでいいのかな?」
「うん」
ニコはなぜどうしてそんな確認を、といった驚きを混ぜつつ、肯定した。
「一応言っておくと、分かりやすかったわけじゃないから……。もうちょっとわかりやすく、と心掛けたほうがいいと思う」
「そんな……伝わってるのに」
傷ついたような表情をしているので、とどめというわけではないが、
「俺だから通じたようなところもあると思うから、気を付けて」
そういうと、頬を赤く染めたニコに痛い目にあわされた。
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