6、追放者は《彼ら》の孤児院に過ごす。
051、六日目。朝の光の中で。
さわやかな目覚め、といければよかったのだが。
「ん」
ふと隣を見ると、ベッドのシーツが視界の端まで伸びている。
……あぁ、
別に、シーツの平原のような場所というわけではない。
いつもはベッドの方向通りに眠っているところを昨日はずいぶんとまっすぐな一撃を受けて、ベッドに寝たというよりも、ベッドに倒れたからだろう。
(そのまま寝たのか)
器用なものだ。というか弊害分、右足も若干血流が悪い気がする。
さわやかさの多少の助けになってくれるのは、昨日の軽い立ち回りによって残されたサイドボードの上の薬草茶のシミくらいだろう。
そこから香ってくるのは目覚めを補助するようなスッとする匂いだ。
銅マグはさすがに持ち帰っていったようだが、代わりというように陶器のカップがあった。陶板でふたがされているそれは、ふたを取るともっと強いにおいがする。
冷えているが。
口に含むとスッとする香りは昨日と同じようなものだが、甘みが底にたまっていた。
甘みの質から言うと水あめか何かだろう。
眼が醒めて口が楽しい。
ニコの気遣いに、作為なく感謝をすべきだと考えながら。
「厨房に行こうか」
陶器のカップと杖代わりの剣を手に取って俺は扉を開けて廊下にでる。
・
朝食は……野菜のスープだった。
ニコの用意してくれたそれはかなりあっさり目ではあるが、野菜が甘いと感じられる程度の塩味が効いているようだ。
肉は――ないというと嘘になるが、具で入っているとも言えない程度の匂いがスープからする。
なぜだろうかと思ったが、視界の端、小さな子たちのテーブルでは肉の話が出ているので、薄く味を広げる程度に肉を使っただけのようだ。その上で出し殻は、年中組に割り当てたのだろう。年中組の女の子たちは手早くそれを胃に収めると切れ端程度にしか具のないスープとパンをもって食堂を出ていった、年少組の世話だろう。
固形物はあまり好ましくないのだろう。多分、パンをスープでひたひたにして与えるのではないだろうか。そんなことを思いながら半ばまで中身の残っている陶器のコップをテーブルに置くと、俺も人のはけた配膳の列に並ぶ。
「……おはよう」
「うん」
スープ鍋をぐるぐるとかき混ぜているニコはこちらのあいさつに視線を向けてはくれないが挨拶自体には返してくれている。
怒っている……という感じでもない。気恥ずかしい? 気まずい?
そんな感じか。昨夜に昏倒させた相手だから、という感じでもない。
「お茶、おいしかった」
「うん」
「昨日ももうちょっと味わったらよかった」
「……ん」
スープ用の器を取って、そこにスープが注がれる。ゴロゴロとした野菜が、たまに、スープの飛沫を跳ねさせる。
よく見れば、大きな野菜には小さな穴がたくさん開いている。
何度も何度も細い串を刺したような跡。
なるほど、朝からの調理でも野菜の塊を柔らかくするために。
「というよりも、薪の節約の知恵ですね、どちらかというと」
急にかけられた声に振り向くと、まだ、変声期を完了していないが背の高い少年、クヌートがいた。
おはよう、と返しながら言われた言葉の意味を考える。
火の通りにくい食材への対処方法。根本的には使用しないこと、一つは細かく切って火の通るまでを短くすること。もう一つが目の前にあるように調理で火が通りやすいように工夫をすること、か。
「おはようございます。料理の仕込みをするなら起きるのが遅いですよ」
「……すまない」
「いえ、別に。私は怒っているわけではないので」
怒ってはいない、か。
「ニコと一緒に料理を?」
「はい、まぁ、方針決定がニコで僕は作業専門って感じですが」
「そうか、ありがとう」
俺の感謝の言葉が意外だったとでもいうのか、クヌートは一瞬、片眉を動かした。
それはすぐに元の位置に戻ったが、先ほどよりも口元が少し柔らかくなったような気がする。
「――ははは、それでは僕は行きますので」
そう言って、ニコがついだ三つの器から一つを取るともう一方の手でパンをつかんでどこかに行く。
……ニコはこちらを見上げる、低い背からの視線は若干戸惑いを含んでいるが鋭くはない。
「テーブルに運ぼうか?」
「んー、パンを」
なるほど、重さは別として落としても取り返しのつく方を、か。
両手を万全に使えるニコに任せた方がいいだろう。
パンを取って木の板とともにテーブルに置く。
皿というよりは板としか呼べないが、それでも清潔な木目だ。
適当な席に座ってニコを待つ。
小さな子に最後の一杯をついだ後にこちらに来た。
「おまたせ」
「あぁ」
向かい合って座る。
目の前にいる少女は、俯きがちな表情で……いや、これはいつも通りだろうか?
「ん?」
こちらの視線に気が付いたかのように顔を上げるニコ。その表情には特に何と言って色はないが……。
「いや……」
何が『いや』なのかはわからないがともかくも視線を逸らす。
見ていられない、耐えられないといった、そんな風なリアクションを取ってしまう。
「んー?」
こちらの伏し目な視線に何を思ったのか、彼女は机の上に乗り出してこちらに近づく。
う、と息が詰まる。彼女の左手はスープカップのすぐそば。
ほんの少し、パンくずがその指先についている。
そらした視線の先の視界。そこに映った手は、彼女がこちらに伸ばした手ではなく、もう一方の机についた手だ。
――まっすぐ彼女が見られない。
どっ、と心臓の一打ちを感じるという稀有な体験をする。
痛い、というのではない。それでも、何かの零れそうなものを感じる。
脈打つという言葉の意味を久方ぶりに感じる。
――ぺたり、と彼女の右の掌がこちらの額に振れる、浅く髪を払った後のそれは若干冷たく気持ちがいい。
張り付くというような表現が適切であろう、彼女の掌との接触は、
――少し冷たい。冷たくて、気持ちがいい。
「あつい」
彼女が小声で言う。
「ねつ?」
彼女の右掌が俺に触れている位置関係で、自然彼女との距離は短い。
ささやく声に湿り気さえも感じそうだ。
「気分は悪くない?」
「――悪くなんて、ない」
そう、とニコのつぶやきが聞こえて、浅く押すようであった額の掌の力が緩められる。
つられのめるように前に頭が振られれば、
「だいじょうぶ?」
目が合う。ニコは気づかわし気な表情でこちらを見ている。
――大丈夫? 何が大丈夫なんだ?
「あぁ、大丈夫」
答えると、ニコは笑った。
「反芻ばかりね」
「……」
子供のような、とは言われなかった。
息を止める――その笑みに。
優しい光のようなその笑みが。
その感情には名前があったはずだけれど……。
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