038、茜色の空の下でなら言えることもあると信じて。

 ギルド支部を出てから空を仰ぐと太陽は真昼を過ぎてしかし、まだ夕方の気配を感じさせない。

 だから、ニコのリクエストに応えて薬屋に寄った。


 ドアベルのなる音と木調の香りが歓迎してくれる。

 カウンターの奥のお婆さんもニコを見ると破顔した。


 といっても、今日は商売ではない。

 苔は乾燥させていて、まだ、処理が終わっていないものだから今日は特に取引するものは無い。

 だが、ニコは一応どこで採れたとは言わなかったが苔と兎の話した。

 お婆さんは、虫の利用法について興味深そうなリアクションをした後で、苔の取り扱いについていくつかの助言を加えた後、ニコに何か耳打ちしていた。


 ニコは戸惑うような表情を徐々に朱に染めて……、

 大げさなアクションを起こそうとしたところでお婆さんに制止させられ。

 最後には、お婆さんがこちらに指をさすと赤い顔を俯かせながら何度もコクコクと首を縦に振っていた。


 たぶん、話の流れからすると、兎の取り扱いについての大きく言えないような話なのだろう。

 グロテスクな話でも大丈夫なのだが、言わないということは、言わなくてもいいと判断したということだろうからわざわざ聞かないことにする。


 薬師としての情報交換だろう。であれば、反応から察するに苔の方はいい薬の材料になりそうでよかった。

 その話が終わった後で、お古だけど、と言ってお婆さんが薬研といくつかの器具を出してきてくれた。

――カウンターの下からすぐに取り出したということは、次に来た時に渡そうと準備してくれていたのだろうか?


 ニコは嬉しそうだった。重いものを含めてかばんに丁寧に詰め込むと店を出る。

 その際に、ニコは今度は乾燥した苔を持ってくる、と約束をしていた。

 お婆さんのほうも、一瞬目を見開いた後、うんうん、と繰り返しうなずいていた。

 ずいぶんと仲良くなっているように見える。


 さて、薬屋『湖の甕亭』を出てふと疑問に思ったことがある。

 虫を使い効果を増やす方法をお婆さんは知らなかったようだが、一般的な知識でないならどうしてニコは知っていたのだろう?

 ニコに聞いてみたところ、それについては、お父さんとお母さんの手記、という答えが返ってきた。


 こちらの裾をぎゅっと握って口にしたその言葉は震えていて、何らかの痛みを伴う思い出と共にその記憶はあるのだろうと思われた。

 そして、そこから店舗に戻るルート、震えは収まったもののいつもよりほんの少し歩調の遅いニコ、


「聞いて良い?」


 と、ニコが言葉を零した。薬屋で過ぎた時間で、空は青から茜に変わっている。

 少女は自分の半歩前を歩いていてその表情が見えない。

 見えるのは夕日を浴びて艶めく黒い髪がさらさらと揺れるところ。


「何を聞きたいの?」


 夕日は赤い。赤くて暖かい。錆の匂いがする気がするほど。

 思い出の中の、雪原を染める赤色に似ている。


「あの、ギルド支部での話」

「……あぁ」


 ずきずきと痛む、鼓動に引っ張られて心臓が、煉瓦敷きに囚われるように膝が、震えるニコから伝わる様にして手首が、痛い。


「知らなくてもいいかもしれない。知りたいから聞いているだけ、言いたくないなら今は口を噤んでもいい」

「……」


 口にすればいいのか、言葉にすればいいのか、それとも伝わればいいのか。

 そんな韜晦染みた思考が頭によぎる。

 俺の体は呼吸のための酸素を求めているのか、何かを声にしようとしているのか、あるいは、もっと別の事の為にか、口をパクパクと動かした。


「一つだけ」


 俺の口が言葉を紡ぐ前にニコは言葉として短く置いて、足を止めた。


「一つだけ願っていいなら」


 先導者が止まって、俺の足も止まる。

 そのタイミングで、彼女はこちらの左手を取り込むようにして、その場でターンした。


 二人分のバランスは重心をぶれさせて崩れる。

 崩れたバランスは、彼女の引いた腕に誘われる。

 片足の俺は押される力にはまだしも、引かれる力には弱いらしい。


 成人男性一人分の重量を。

 けれど、それを起こした少女は受け止める。

 角度をつけた二人は支え合うようにして重なって。


 俺の脇の下を滑る様にしてニコの腕が入る。真正面からそんな形になったことで、彼女の表情は俺には見えなくなり、俺の表情も彼女には見えないだろう。

 だが、感情はそれとは別で、ニコの体の震えが全身でわかる。


 俺の痛みに引きつる情けない震えも彼女に伝わっているだろう。

 だが、震えについてはニコは何も言わず。

 告げたいことを告げた、それはつまり、ニコの『一つだけの願い』で、


「話せるようになったとき、絶対私を最初にして」


 痛みよりも大きな震えを作るような言葉を口にするのであった。

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