029、レベルアップをしよう。料理人の女の子の場合。
「では、マルディグラ=リリクラフト」
神殿、神官の前。床面より高い壇上。
名前をフルネームで呼ばれたマルは緊張した様子で背筋を伸ばす。
・
先ほど、店舗として使うことのできる建物を見た後で『神殿でレベルアップしませんか』とゼセウスに提案されたマルはおずおずとした様子で、こちらとオーリの方をちらりと見た後で竦むように、しかし、こくんと頷いた。
その後、ゼセウスに連れられてマルは着飾られることになった。とはいえ、料理人の彼女は基本的には清潔な恰好をしている。その上に赤のケープを纏う程度だ。
とはいえ、見るからに均一に染められた厚い赤の生地のケープは綺麗なシルエットをしており、また、首元に鉄灰色に染められたループが出ていて止めるボタンは銀らしい。
かなりの豪奢な仕立てに見えるが、ゼセウスのいうところでは『とあるお金持ちの誕生日用にあつらえたもの』で『役割を終えたもの』だそうだ。だからといって安いという訳ではないだろう。
しかし、子供にとってはレベルアップというのは着飾って行くものらしい。
俺が見たことあるのは実用重点の大人の場合だけだったのでその認識は無かった。
今回の衣装については用意してくれたものを断る理由もないし、マルも嬉しそうだ。
他の子の時にも用意しなければならないのだろうか、そうなってくるとなかなかに懐にダメージが大きい気がするが……。ニコに聞いてみると『一緒に来てくれれば良い』と言われた。
健気な子である。他の子については、また別に考えることにしよう。
・
さて、市井の交流の場である教会とは違い、神殿の中には人が少ない。
儀式の順番を待つ数人の農夫らしき男たちとその儀式を見学させるためになのだろう、農夫らの家族と思われる者たち、そして、一人の神官、そして、もう一人神殿職員と思われる女性がいるばかり。
農業神とされているアレストは縮れた金髪と浅黒い肌の精悍な男として神像が作られる。
勿論、特別な彫刻以外では彩色がされないが、この場合の神像とは、絵画や彫刻、経典や口伝において描写される神の姿についての全てを包括する概念を指す。
この神殿の場合、壁画として、アレストは描かれている。
壁一面、圧迫感という言葉の体現としてそこにある。
しかし、その圧迫が決して不快感に繋がらないのはその瞳が温和で慈愛に満ちているからだろう。
植物の成長を司り、花と実を愛でる、背の高い男。それが物語におけるアレストだ。
「『汝が務めを文字として』」
神官が呪文として言の葉を口にすると、マルの全身が光に包まれる……いや、
正確には、マルから光が染み出しているのだ。
まぶしい、という言葉ほどではないが、光っていることははっきりとわかる、その位の光量になったとき――神官は次の聖句を口にする。
「『汝が研鑽を文として』」
光は紡がれる。少女から薄い膜のように染み出していた光は編まれることで糸となる。
糸は強い光で、マルを縛るように、しかし、一方的に綻び、はだけ、展開される。
経験値が形を得て、線という次元に落ちたのだ。
「『汝が奮励を文脈として』」
だが、糸は編まれることで、先に至る。
絹布のように、いや、それを理想化したような光の面が構成される。
波打つさまは果て無きほどに柔らかく、しかし、自分の形を持っている。
その時にはマルの体は光を放っていない。紡ぐのにすべての光を使ったかの様だ。
そして、
「『我らのいと貴き御方に物語りを』」
紡がれ編まれた光の白布はその表面に絵と文字のような泡立ちを浮かべて、――すぐに消えた。
発光が収まった後には白布も消えている。
代わりというように、何もない虚空。マルの頭上から光が生まれた。
それは何にも遮られていないにも関わらず木漏れ日の様に、そこだけを照らすものとして認識できる光であり。
それはマルだけに注がれている。
日光浴するかのように、光を浴びる彼女だが、もぞもぞと身を揺らしている。
(あれはこそばゆいんだよな)
だから、マルの気持ちは分かる。
よく言われる言い方をするなら『光に触れられるように』くすぐったい。
ふ、と彼女が軽く息を吐いたのを見る。
オーリはなんだか居たたまれないような表情をしている。
ニコはというと、じっと、光の変遷を見ている。
儀式的には経験を『抽出』し、神様にわかるように『翻訳』し、捧げとして『奉納』し、レベルアップとして『加護』を得る、というものらしい。
視覚的には、体から溢れる光が『抽出』、糸に変えることが『翻訳』、布に変えそれが消えるのが『奉納』で、降り注ぐ光が『加護』であるとのことだ。
細かい仕組みはさておくとして、実際に覚えておくべきは『抽出』というよりも『複製』なので経験は喪失しないという点と、奉納先の接続失敗(これは、違う神の神官に依頼するとままある)でも奉納しようとした分は失われないこと、そして、今見たように、光が降り注げば成功ということだ。
「さて、これでよろしいので?」
軽く上気した頬を晒すマルが祭壇から降りようとしているのを背景に、ゼセウスが聞いてくる。
彼は彼で何かの証書らしきものに自分の名前を書きつけて神殿の職員にそれを手渡している。
儀式料の納付だろうか?
「……ゼセウスさん」
「はい、何でしょう?」
「『幼い少女が高レベルの料理人であることが売りにもなる』と仰いましたね?」
「ふむ、言いましたかね?」
言っただろうか、というふりをするがとぼけているだけだというのは、わざとらしい手を広げたポーズと表情でわかる。
そのポーズを言いたいことがあれば言ってみろという意味に解釈して、
「宣伝効果として、何が一番いいと思います?」
「ふむ? 普通に店を開きながらお金が溜まるごとにレベル上げでいいのでは?」
ちくしょう、分かってて言ってやがる。と笑みの裏で思いながら。
「神殿職員、ここにいる農夫とその家族」
俺は右手をざっと振り、神殿の建物にいる人間を指し示す。
二十は超えない数だが、人がいる。
「それが?」
疑問として短く言葉を紡ぐゼセウスに、
「もう少し増えた場合、その前で連続レベルアップというのは、宣伝効果としてどうだろうか?」
ニコとオーリに来る道で与えていた指示を開始するように合図をすると、オーリはすぐに行動を始め、ニコはこちらに対してためらった後に、それでも動き始めた。
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