030、商人とオハナシ。
役目に従い走り出した二人。
取り残されたのは俺とゼセウス。
そして、若い商人は、
「二つ疑問があるのですが」
大きな声を上げている二人に対して神殿の中の空気は少し変質している。
マルのレベルアップをしてくれた神官はやや面倒そうに眉を上げているが、農夫とその家族たちはこちらを物見高そうに見ている。
壇上のマル自身はというと……。
どう行動したものか、と戸惑っている様子だが、それでも壇上にとどまっている。
赤いケープの裾を弄っているが、ほつれさせないで欲しいものだ。
「まずは、マルディグラ=リリクラフト、彼女が連続してレベルアップできるという根拠を」
「……あの子は十人以上の人間の食卓を三年間支えてきた。その経験値は馬鹿にできないと思うが?」
「積み重ねた、と? それだけならうちのお客様層である主婦の方々とてそれ以上の年月を料理に使っている、と、そう思うのですが、それについてはどうでしょうね?」
予定調和の様に、彼の言葉に俺は返し、俺の言葉に彼は返す。
打ち合わせはしていないが、およその目的が一緒だからだ。
「もちろん、それがどれだけ大変なことなのかは想像もつかない。だけれど、あの子の場合は少し事情が違うと思う」
「聞きましょうか」
無表情という表情を浮かべてこちらに言葉を促すゼセウス。
あぁ、なるほど。これは場を作っているのだな、と理解する。
俺はここに来るまでに、マルのレベルアップを商品にしよう、と言ったが商品の宣伝をするならゼセウスが何枚も上手だ。それは分かり切っていたことではあるが、
(そのやり口は参考になる)
「代わりがいるかどうかだ」
「……続きを」
促しをわざわざ言葉にするのは聴衆の耳目を引くためだろう。
「あぁ、クラスとしての成長の要素には競争というのがある。ご家庭の主婦の方はその家の唯一の調理労働者であるという意味で、代わりがいなく逃げ場がない。が、逆に、言い方は悪いが料理の腕がどうあろうが罷免されないということでもある」
「なるほど、彼女の場合は代わりがいた。つまり、彼女でなければならなかったという必然がない、その競争原理に晒されていたということですね」
「理解できるか?」
「勿論、その競争も市場原理も、我々の庭でありますれば」
ゼセウスが芝居がかった風に応えたことで、神殿内に若干のざわめきが起こる。
有名人なのだろうか、ゼセウスの言葉と顔から、ここにいるのがゼリス商会の顔の一人だということに気づいたものが出たらしい。
――それも計算のうちなのだろうか?
無表情に近い表情からはそれは読み取れない。
「もう一点だ。あの子には狩人の知り合いがいてね」
「狩人……なるほど」
「理解したようだけれど言葉にしておこうか」
ゼセウスの視線に応えてだ。
自分の言葉はゼセウスの説得のためではなく、この場にいて、こちらの喧騒に気を取られている者たちへの宣伝である。
「いえ、その前にもう一つの疑問のほうを撤回させていただきます」
「……うん? さっき言ってた二つの疑問、か?」
「えぇ、この場にいる人数では大した宣伝にならないのはどうするつもりか、と聞こうとしたのですが……」
その疑問は妥当であるのに、どうしてその疑問をひっこめる必要があるのか。
簡単だ。問いよりも前に答えが来た――それだけだ。
つまり、
『あの嬢ちゃんか』、『商会の若頭と……怪しげな男が口論してる?』、『ほんとに子供じゃない』、『料理人?』、『新しい店?』、『どっかの見習いじゃないの?』そんな、言葉の波とともに、喧騒という単語に言い換えられるような人の波が来た。
教会の方からだ。
勤労日であるところの今日この日、教会にも人が多いとは言えなかったがそれでも神殿にいたのとは比べ物にならない人数がいる。
農業に関連する神であると同時に徴税人をも司るアレストの教会。
そこは農夫たちの嫁の喋り場でもあるし、冬を前にして仕事の手が空きがちな農夫たちも来る、教会の共同設備で冬を越せない家畜を潰しに来るものもいるし、納税をできるだけ抑えるコツを聞きに来ている市民層もいる。
一般的市街内労働者以外の層が、ごった煮状態でいるのがここだ。
一定層に限定されないというのは二次的な波及においては有利な点であるし、そもそもの人数としても非常に多い。
もちろん、これは仕込みというか、ニコとオーリに出していた指示の結果だ。
――いや、思ったよりも盛況なのは二人が頑張ったからだが。
ともあれ、もはやゼセウスにとっては、ここは疑問の置き場ではなく絶好の商機だ。
雑な情報を入れないほうがいいという判断は迅速で、
「つまり、肉ですね!」
ゼセウスは敢えて声を張った。
新しく入ってきた聴衆に話の流れを伝えるようにだろう。
良く徹り、しかも割れない声が神殿の構造に反響して、おそらく、入り口に近い、ここからもっとも離れた人間にも届いているだろう。
――ニコが手指で丸を作っている。声はしっかりと通っているらしい。
「狩人の知り合いがいることで冬季以外にも安定供給される肉がマルディグラ嬢の経験値のもとになっている、と!」
「そういうことだな、下準備に手間のいる……」
ゼセウスの言葉に応えようとしたが、ニコに手でばってんをつけられる、声の張りが足りないらしい。
――ばん!
サーベルの鞘で神殿の床を打ち鳴らし、それからもう一度声を上げる。
「肉類は一般に野菜よりも料理の経験値になる。それも下準備に手間のいる、狩猟肉ならなおさらだ!」
「それを三年も続けたというのなら、確かに、連続のレベルアップを試してみる価値はあるでしょう。実際、私も見てみたい!」
ゼセウスが声を張ると聴衆の中で小さな同意の声が上がり、小さな拍手の音もしたが、それはすぐに消える。
娯楽に飢えた聴衆とはいえ、まだ、ノリきっていないのだろう。
「個人の好奇心としては、それでいいとしても、私を――ゼリア商会の人間としての私に貨幣を積ませる理由としては『面白そうだから』では足りませんよ?」
足りないのは一体感だ。であれば、それを補ってやればいい、とゼセウスは言っているらしい。
つまりは応援だ。聴衆たちがマルに味方する理由、それを与えてやればいい、と。
「マルは……料理をするのが好きだし、料理が上手くなるのも好きだ。あの子は店を開いて狩人から仕入れた素材を調理する」
「それはつまらないですよ? いま、貴方の口にしたことは世の料理人について多くにあてはまるような当たり障りのない内容です」
「そうだな。面白くはないかもしれない」
たしかに、今のは面白くなかっただろうと、反省する。
が、それはゼセウスへの反論でもなければ、聴衆への言葉でもなかったからだ。
声を届けようとした相手は、
「……つまらなくないぞ」
「はい?」
ゼセウスは大仰な仕草で振り向く。芝居がかった所作に聴衆の目が操作される。
向かう先は、マル。マルディグラ=リリクラフト。
この宣伝の主役でありながら舞台の上で戸惑っていた少女だ。
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