015、シノリは歩き出し。ニコは学ぶ。

 そうと決めてからの彼女の判断は早かった。


「カンザキさん……そう呼んでいいですか?」


 頷くとシノリは言葉をつづけた。


「カンザキさんの折れた剣をどこかで修理してきてください。私はこの辺りで神殿の位置を聞きこんできます」

「いいのかい?」

「問題ありません。神殿の位置を確認することぐらいは一人で大丈夫です」


 それはどうだろう、と思うけれど、今のきびきびとした彼女は確かに大丈夫なようにも思える。


「じゃあ、これ渡しとくよ」

「これは……地図ですね」


 ギルドで書類のおまけ、としてもらったこの街の地図だ。広場の地図とは違って、落書きがないが、こちらの地図は建物単位ではなく、行政区画単位、というか道が基本になっている地図だ。


 ガイドマップを作るには適してないが、位置関係を示すなら十分だろう。


「そこに書き込んでくれていい」


 そういうと、シノリは緊張したように頷いた。

 彼女に鉛筆を貸す。初めて見た様な顔をしているので簡単に説明しておく。

 径2ミリ長さ2センチの円柱状の黒鉛を三本の棒で挟むようなもので、棒の部分が筆、に当たる。


 通常、インク壺を持ち歩かなければ使用できないペンを改良した、いわば固体ペンのようなもの。

 俺が生まれた時期辺りには発明されており、インク壺を持ち歩かなくていいという理由から旅の多いものに好かれる筆記具である。

 挟み込む棒は数や仕組みの工夫は今も色々と試行錯誤されている。


 まだ少し高級品で、芯も含めて取扱いは一つの街に二つくらいの店、という感じである。

 正式な書類はインクを使ったもので書かれることが多いので、やはり、移動民用という扱いを受ける。

 一本はオーリに渡しているので、手持ちとしては最後の一本である。


「じゃあ、行ってきます! 落ち合う場所は広場の地図前でいいですね。そこから軽く買い物をして帰ることにしましょう」

「あぁ、そっちは任せた」


 はい、と強い決意で頷いてシノリは歩いて行った。



 シノリの去り行く背中を見送った後、俺はニコに肩を借りながら歩く。


「鍛冶屋、鍛冶屋、と」


 街に最初に入ったときの地図で見た通り、煙突の方に向かって歩けばその方向に鍛冶屋がある。

 それは非常にわかりやすい、が。


「煙突の色で仕事が違う」


 らしい。ニコに聞いてみたが、違うことは知っているけれど、どう違うかは知らない、とのこと。


「たしか、赤と赤は煉瓦のはず」


 四本中二本が煉瓦造りとはこれまたえらく偏っているという印象を受ける。

 鉱山が現役だった頃からこの街にいたと思われる年かさの女性に聞いてみると、黒がどちらかというと高所得者向、青が一般庶民向らしい。

 また、昔は赤が一本で黒が二本だったとも。


「高所得者向けが武器?」

「農具は青。あとは、刃物はどちらでも扱うけど拵えをどうこうするとかは黒、そうでもなければ青で十分だそうだ」


 黒の煙突は周辺に彫金や鍍金のような職人もおり、宝石の研磨を行うような店もあるそうで、一般庶民がそちらに行くことはまずないが、鉱山で原石を見つけたときなどは買取をしてもらいに行っていたのだとか。

 無論、今では鉱山に入ることがないのでそのような機会もないということらしいが。

 というわけで青い煙突に向かって歩く。とりあえずそっちで見てもらってなんともならないなら黒。あるいは、その辺で買うつもりだ。装飾関係は別にいらないが丁寧に作ってあるものが欲しい。


「あ、お姉さん、あと、薬とか買おうと思えばどっちのほうですかね」

「あんだい、怪我か病気か知らんけど、そんなちっこい娘に迷惑かけるんじゃないよ!」


 ばしばしと背中を叩かれる。言う言葉の割に機嫌は悪くなさそうだ。


「そっちの子も、あんまり男が頼んない様なら尻でも背なかでも蹴ってやんなきゃだめだよ!」

「ん! 頑張る」


……頑張るのか、と思いながら。教えてもらった薬屋に向かう。



「……ここか」


 たぶん、街にはいくつかの薬屋があるのだろう、教えてもらった店は街の規模から推定するよりは小さなものだった。

 ドアベルを鳴らしながら中に入ると、全面に木材を多用した店舗だった。

 とはいえ、外からは石づくりに見えていたので、少なくとも通りに面しているほうは石づくりの外殻を持っているはずだ。内側が木で出来ているのは、


「保存のため、恒温・保湿?」


 ニコの言葉の通りだろう。


「うん?」


 カウンターの奥の腰の曲がった老婆がこちらを見ている。


「客かい?」

「客」


 売る方と買う方を混同しそうになる。

 お婆さんはこちらを細目に見て、


「そこまでの外傷はここの薬じゃ治らんよ」


 といった。


「……わかる?」


 ニコは少し驚いたように答える。

 この建物に入る前にニコは俺の歩行を補助することを止めて先に入った。

 お婆さんが負傷の程度を見る材料はあまり多くない。


「足はもちろん、腕のほうも……いや、そっちは多少は良くなる薬があるがね」


 足よりも目立たない腕の状態にまで言及された。

 これには俺のほうも驚いた。店に入ってからは左手を使おうともしていないはずだ。


「そのあたりは年の功さ。別に目利きどうこうの話じゃあない」


 お婆さんは謙遜なのか何なのか、むしろ、より見通せないようなことを言う。


「あぁ、なるほど。客といってもそっちの客かい」

「……あ、匂い」


 お婆さんはニコのほうを見て、何やら言っていたようだが、ニコの反応から察するに、お婆さんは薬の匂いで、売りに来たと気づいたらしい。

 早速とばかりに話の流れに乗ってニコは背負っていた布袋からいくつかに小分けした木綿袋を取り出す。


 いくつかをカウンターに乗せると、最初は険しかったお婆さんの目が徐々に柔らかくなる。

 何かと思ったが、


「その小ささで丁寧なもんだ」


 ニコの処理の手際を見ていたらしい。

 俺にはわからないことなので聞いてみると、植物素材でも摘む時に注意の必要なもの、土ごと掘り起こす必要があるもの、水にさらしていいもの、ダメなもの、乾燥させるときに日光に当てていいものダメなものと様々にあるらしい。

 また、採取し乾燥させた後でも、同じ袋に入れていてはいけないもの、湿度が低いといけないもの高いといけないものなどなどがあるらしいが、基本的には合格。

 あまり良くないものはたぶん設備のないものだろう、とお婆さんは説明してくれた。


 その後、数分間、最近の薬草採取者の仕事の適当さを愚痴るお婆さん。

 それを俺は真剣に聞く様子で、ニコは端から聞いていないような様子で聞き流した。

 お婆さんはひとしきり愚痴って満足したのか、一つ、茶を啜ってからニコの薬草の鑑定を始めた。

 四種類ぐらいの薬草だが、どれも、あまり高価なものではない。いわゆる民間療法でも出てくるようなものだ。


 効果が高いものも、薬効成分を取り出すのが手間暇かかるらしい。

 乾燥状態でニコの掌に収まるかどうかという量で、小銀貨一枚だった。一週間の採取分で一週間の食費かつかつぐらいか、


「あんたの今の働きじゃあこれくらいさ」


 お婆さんは笑う。が、ニコもその笑みを崩さない。


「とっておき」

「ほう」


 お婆さんは目を細めた。その視線が吸い込まれているのはニコが最後に取り出した萎れた花のようなものである。しかし、見た目に反していいものであるらしい。

 カウンターの奥から先ほどとは違う天秤が出てくる。精密とか細緻とかそんな言葉が似合いそうな彫金が施された天秤で、俺でも緊張するほどの威容があふれていることがわかる。


「雪割花、というか、雪割菊だね、この季節に見つけるとは、まぁ、運がいいのか悪いのか」

「この季節?」


 俺は言っていることがわからなかったので聞き返す。


「本来は晩春辺りに咲く菊」


 答えたのはニコだ。


「花びらが白、蕊……花の真ん中の部分が黄色で盛り上がってる。つぼみから急に咲くから雪を割って出てくるみたい、というのでそんな名前」


 好きなことには饒舌らしい。


「聞いての通りで本来今の季節に採れるもんじゃないのさ。ただ、魔力の淀みなんかでは開花が遅れて、代わりに薬効が高くなる」

「魔力の淀み?」

「あぁ、要するに、そっちの嬢ちゃんの薬草園だか狩場だかにそういう危険があって……だがその代わりに価値のある薬草が取れたってことさ」


 危険……なるほど、レッドボアもそれに引き寄せられたのかもしれない。


「因みに、薬草としては、何に効くのか教えてくれないか?」

「ええとも」


 天秤にニコの出した雪割菊と何かの金属片を載せて重量を測るお婆さんは咳き込むように笑う。


「オワリス風邪という冬に流行る病に効くのさ。普通の雪割菊では晩春に採れて薬効も弱いから、……よほどうまく処理しないと冬まで薬効が保たんでな、それでも症状緩和程度は出来るが――まぁ、冬に採れて薬効が強い『遅れ菊』とは価値からしてまるで違う」

「ふうん」

「金持ちしか買えない」

「へぇ」


 ニコの補足に頷く。よほど高いらしい。


「二人完治まで分ぐらいはあるの、銀貨四枚でどうじゃ?」

「その値段ならちょっと持って帰る」

「……それなら、五枚」

「二輪持って帰る」

「もしかして、この量が全量かえ?」

「……」


 首を振るお婆さん。


「表情に出ておらんが挙動に出過ぎじゃ、よい、五輪持ち帰って、五枚くれてやる。その代わり」

「ん、次に採れたらまた持ってくる」

「……自分で加工もした方がええぞ、雪割菊はまだ難しいだろうがさっきまで見ていた中には嬢ちゃんでも加工できるようなもんがある」

「加工?」

「薬師としてレベルをあげるには採取だけでは遠いからな。学ぶ気があるならまた来るがいい」

「――わかった」


 ニコは素直に先達に学ぶ気らしい。どうしてニコが薬師だと気づいたのかは気になるが、恐らくは、持ち込んだ素材の等級とそれを出したのがニコだからそして、受け答えもニコがしているから、と言ったところだろう。


 彼女はお婆さんから銀貨を渡されて無表情にうっすらと驚きを乗せている。



 後で聞いたところでは、孤児院に買い取りに来ていた行商人はもっと安値で買いたたいていたらしい。

 だが、嘘をついてだまし取ろうという感じでは無かったらしいので、行商人としては価値がわからないものをそれでも損が出ないように最低限で買い取ったというところかもしれない。

 たしかに、品質等々の見極めが難しいので専門家間でもなければ安く買われるのかもしれない。


 そして、行商人が次の購入者に売る時までに品質管理が出来ていなければいつまでもその真の価値は分からないままなのかもしれない。

 細かなところは分からないが、あの『湖の甕亭』のお婆さんに買ってもらうと大分高値で売れる。

 とはいえ、雪割草をこの季節に見つけたのは初めてらしいので、今後も幸運が続くとは限らないが。

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