002、少年少女と大人の不在

 新しく飛び込んできたのは子供らしい子供だった。若干前のめりになりながら扉をくぐったがその身長はまっすぐ立っていても金髪少女よりも低いだろう。

 だが、声も顔つきも男の子であることははっきりわかる。そんな感じの少年らしい少年。

 走ってきたらしく若干頬には赤みがさして、息は少し荒い。

 服装は白いシャツに頑丈そうな綿素材のオーバーオール。しかし、汚れ耐性は無い様でところどころに染みがある。しかも、その染みは恐らく……。


「お、起きてんじゃん」


 屈託ない笑みを浮かべる茶髪の少年は金髪の少女を押しのけるようにして前に出て、それから振り向いて話しかける。


「シノ姉」

「あ、オーリ」


 シノ姉と呼ばれた少女は、少年――オーリに手の中の桶を取られた。


「こっちやっとくからさ、ちょっとマルのとこ手伝ってやってくれる?」

「……うん」


 少女は最後にこちらに対して警戒するような視線を残して部屋を出て行った。

 残ったのは笑みの滲んだぼうっとした表情の少女と裏表のなさそうな笑みの少年だ。


「あー、兄ちゃん。シノ姉は大体あんな感じだからさ」

「あんな感じ?」

「男ぎらいっぽい感じ? いや、どっちかっていうと大人を警戒してるんだけど、まぁ、そういう」


 なるほど、と頷く。『不愛想だがあんたにだけじゃない』とそんな感じの事が言いたいらしい。

 どちらかというと見ず知らずの人間に対しての警戒としては、あっちの方が妥当ではないかと思うのだけれど。


「それより、兄ちゃん」


 少年は先ほどまでの笑みを止めて真剣な表情になった。何かと思えば。


「ありがとう!」


 そう言って勢いよく頭を下げた。先ほど少女から奪った盥の中身が浅く跳ねる。

 感謝の言葉をその意味ごと、思いっきり表現した少年に、

 なんのことだったか、と記憶を探る。

 何も答えないこちらを不安に思ったのか少年は顔を上げた。

 その表情はまだ真剣そのもの。


「――えっと、ニコを助けてくれてありがとう」


 ニコ? 誰の事だろうかと思って、ようやく記憶が少しつながる。

 意識を無くす少し前に、やったこと、確か、モンスターに襲われている少女を……。


(……黒髪)


 記憶の欠片に残っていた幼い少女のイメージがベッド横にいる少女に重なる。

 視線を向けると少女は少年に負けず劣らずの真っ直ぐとした表情でこちらを見ていた。


「ニコが兄ちゃんが倒れてるからつって、俺を呼びに来てさ。森の中から出てきて急に倒れたって言うから、行き倒れだろうと思ったんだけど……引っ張られて連れてかれたとこに、兄ちゃんが倒れてて、でっかい猪が傍でくたばってて……多分、兄ちゃんがニコを助けてくれたんだろうってさ」


 一息でつっかえつっかえ、まとまりもなく話す少年、意識が先走っているが言いたいことはよく分かる。どうも女の子を助けて倒れたらしい。そして、その女の子が……、

 俺は――少しの間をおいて、コップをベッドサイドに置いて右手で少女の頭をなでる。姿勢的に体に負荷がかかるものの、大した問題ではない。

 黒髪の少女――ニコは喜びと照れの混じった笑みを浮かべながら、こちらの慣れない撫で方に頭をぐらぐらと揺らす。自分の行動は正しかったらしい。


「助かったならいいさ、それに寝床を……」


 とそこまでを口にしてちょっとした疑問。ここは一体どこなのか、と。


「ここは……」

「山ん中だぜ。オーバンステップは知ってると思うけどその近くの山の中さ」

「……」


 見回す。部屋自体は立派な広さ。ベッドが二つあるから、完全に個室というわけではないがプライベートな空間だと分かる。

 窓から入ってくる光からすると、昼過ぎくらいだろうか。十分に採光されているから天井が見える。逆に言うなら採光が足りなければ天井が見えないくらいだ。

 立ち上がって手を伸ばしても天井には届かないだろう。

 つまり、しっかりした建物だということがわかる。山の中であるにも関わらず、立派な建造物ということは元鉱夫の宿舎か何かだろう。

 髪の色、年齢、性別もバラバラの三人がいて、しかし、一度も大人が来ないのならここはたぶん……。推測を言葉にするより前に、少年が言う。


「イースリア教会・少年部……という名の孤児院さ」


 孤児院という推測は当たっていたようで、それも、貴族や大商会の開く職業訓練施設としてのそれではなく教会付き。それはつまり、よくある孤児院ということにはなるのだが、それにしても、不審な男を助けてくれるのは、善良であるが故としても大人が一度も来ないというのはおかしい。

 山奥であるというのは分かったが、だからと言って放置していいものでもないだろう。こちらから水を向けるのも妙な感じだが。


「大人はいないのか?」


 そう聞くと、二人はそろって表情を変えた。

 しかしそれは、警戒や驚きではなく……、


(悲しみ、かな)


 そんな表情になる理由は分からなかったが。


「じいさ……いや、先生は」

「先生は死んだ」


 少年が言いよどんでいる間に、ニコと呼ばれた少女がそうきっぱりと言い切った。

 その時には彼女は悲しみは、無表情の奥にしまい込んでおりもう見えなかったが……。

 少年が痛ましいものを見るような目でニコを見ていることからすると、彼女がそれを悼んでいないわけではないということが良く分かった。そして、その痛みがまだ癒えていないということは、


(前任が死んでから、後任が来るまでの間……なのか)


 間が悪いのか、あるいは、自分が見咎められず都合がいいと思えばいいのか。

 自分には判別つかなかったが、その表情を読んだわけではないだろうが、ニコに、


「先生なら、貴方を見捨てない。私は貴方を助けたい」


 まっすぐにそんな言葉を向けられた。

 胸のどこかに押すようなものを感じて、つまり気味の鼻の奥に錆のような匂いを感じる。

 感情が上がってきた、と。

 それを飲み込むようにして表情を隠すと、もう一度二人に向けて、ありがとう、といった。


――二人は破顔した。



 その後、少年が身を起こしたこちらの上半身を水拭きしてくれた。

――ちなみに、意識のない間はニコが起こして、シノという金髪の少女が担当してくれたらしい。

 体を拭いてもらうときにもニコは目をそらさなかった、若干気恥ずかしい。あとは名前を聞かれた、彼らが悪用するとは思えなかったのでフツ=カミゾノ、と自分の本名を伝えておく。次にオーリやニコと話していたが前任の先生は老衰だったらしい。孤児院の担当神官が老衰することは珍しい。大抵はレベルの低い若者が孤児院の担当になるからだ。

 勿論、教育的なことも行うので相応の知識は要求されるので、神官になりたてで孤児院付きになるのは、まぁ、出世ラインといってもいい。

 老衰するような年齢になってから孤児院付きになるというのは聞いたことがないが、おそらくは、何らかの権力闘争やら政治的判断やらがあるのだろう、と適当に聞き流す。

 水拭きが終わって多少すっきりした後、新しいシャツをニコに着せてもらいながら、気になったことを聞く。ちなみに、自分で着れないわけではないと思うのだが、左手が動かないので時間はかかっただろうから、この助力はありがたかった。


「そういえば――、あー、オーリ。この部屋に入ってくるときに剣士だと俺をよんでたけどなんでだ?」


 聞くと、あぁ、と思い出したような仕草をする少年。


「これだよ」


 言って後ろ手から取り出されたのは柄だった。ショートソードの柄。

 それは確か、


「あ、そうか折れたか……回収してくれたのか?」


 空腹で限界だったらしくいまいちはっきりとした記憶はないが、一撃で決まらなかったことは薄っすらと覚えている。なら、その一撃目で折れたというのも有り得ない話ではないだろう。


「ついでにな、兄ちゃんがそれなりに重かったからほんとについでだよ」


 そう言ってもう一つ取り出されたのは木綿に包まれた刃先のほう。見直してみればなるほど、剣先の側は十数センチ程度で、根本の側は30センチ分は十分にある。剣先の側をよく見れば折れたあたりには欠けたような傷が幾つも入っていた。

 骨に当たって欠けたらしく、さらにその部分に体重がかかって折れたと、言う感じらしい。光景を見ていたニコの『折れたまま峰を蹴って後ろから首を切った』という証言にもあう。


「確認だが、俺はその子……ニコが猪の魔物に襲われているシーンに駆けつけてそれを撃退した、が、その後に倒れたって感じか?」

「おう、っていうか、ニコはもっとかっこいい感じに兄ちゃんの事、痛い痛い、やめろって、わかったから」


 ニコがオーリをぽかぽかと殴りつけている。その様子をみるに、もっと褒めてくれていた様だがそれを言われるのは恥ずかしいと言ったところだろうか、まぁ、命の危機から脱した後は高揚するし、思ってもいないようなことでも口走るかもしれない。それをリピートされるなど、確かに屈辱的だろう。


「で、三日眠って、今日」


 補足してくれたニコの言葉を受けてふむ、と顎を撫でる。――おや、ひげの感触が無い。

 疑問に思い視線を投げると、ニコはむふーとでもいう様な表情をして誇らしげに言う。


「剃った」

「――なんで?」

「ないほうが格好いい」


 とのこと。別にポリシーがあって伸ばしていたわけではないので良いのだが。


「空腹で倒れて三日も眠ってたら死んでると思うんだけど」


 言ってまた、ニコに視線を向けるとなぜか視線をそらされた。

 なぜだろうか、とオーリの方に視線をやっても、少年はただ苦笑するばかり。

 ニコはそれについてこちらに何かをいう気はないらしい。代わりとばかりにオーリが言葉を継ぐ、


「まぁ、死んでないから今は気にすんなよ」


 結果論的な言い方だが、実際死んでいないのだから、まぁいいか、と思う。あっけらかんとした物言いは裏に後ろ暗いところが無いことを思わせた。ニコの方は視線をまだ下に向けてうつむいているが、そちらからも暗いものは感じないのでとりあえず割り切る。


「そういや兄ちゃん。目を覚ましそうになかったからあの猪勝手に処理しといたけど良かったかな?」

「あー、死体ほったらかしとくと危険な生き物が湧くから……焼いた、それとも、埋めといた?」

「いや、近くの川で冷やした後持って帰ってバラしたけど?」


 ……なんだって?


「魔物を勝手にバラしたのか」

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