こちらオーバンステップ第一迷宮

言折双二

1、追放者は《彼ら》に拾われる

001、転がってたどり着いて

 目を覚ますと鼻に届いたのは乾いた藁のにおい。

 それに交じっているのもやはり植物のにおいで、これは多分。


 ――薬草?


 痛み。体中に痛みが走る。せき込みそうになるが、すんでのところでこらえる。こらえることができた理由は二つ。

 一つは寝起きの違和感でとらえていた痛みが思ったほどの大きさではなかったこと、もう一つは、


「……誰だこれ」


 自分にかけられているどこか日焼けし始めたようなシーツを握って頭を伏せている誰かがいること。せき込みそうになった分の呼気をため息に変えると、そこにはどこか甘みのある匂いがした。


 ――甘芋。


 暖かい地域に特産の甘みのある芋の匂いが自分の口からした。しばらく何も口にしていなかったはずなのに……というところまで自分の記憶を辿ったところで。

 ぎい、と扉が開いた。

 引き戸は風を若干無遠慮な風を起こしつつ、一人の人間を部屋の中に招いた。


「あら」


 部屋に入ってきたのは、お金はかかっていなさそうだが清潔でかつどこか手の入ったと思われる衣装の女性――いや、少女だった。髪の色は金で透けるような色、扉の起こした風に靡いていて猫の毛のように細そう。三角巾の褥から逃れ出た髪は遊んでいる。

 年のころは15ほどと見えるがもしかすると、もう、一つ二つは上かもしれない。どこというでもなく幼さが薄く代わりに疲れと緊張からくる固さがあるように見える。

(この子が自分をベッドに運んだ?)

 情況から言えば確定してもおかしくない。手に持っている桶の端は明らかに濡れていて、清潔そうな布巾が掛けられている。おそらくは、こちらの身を清めるための道具と見える。

 けれど、自分を助けてくれたと確信できないのは彼女の表情、特に瞳である。表情にこちらが起きたことに対しての喜ぶようなものや戸惑うようなものはなく、瞳にあるのは、嫌悪や侮蔑というのではなく、どちらかというと……。


(恐怖?)


「あ……かひゅ!」


 どういうことなのかと、声をかけようとして、自分ののどに違和感を感じる。先ほどまでは感じなかったそれは、傷などではなく、単純に乾いていて動いていなかったからだ、と推測された。


「えぇと……」


 部屋に入ってきた金髪の少女はどうしようかと戸惑っている様子だが、こちらのせき込みにもう一人のほうは反応した。

 顔を上げて、最初に見たのはドアのほう、一瞬金髪の少女と視線を交わした後、その視線を追ってこちらを見た。

 あ、と、お、の間のような音を一音置いて目を開いてこちらが上体を起こしていることに驚いたような表情を浮かべて。

 それから口元だけだが破顔した。素敵な微笑とそう思える。

 そして、自分は先ほどの推測がやはり間違っていたのだろうと確信する。自分を助けてくれたのは、金髪の少女ではなく、このもっと幼く見える黒髪の子のほうだろう、と。

 せき込みはさすがに止まったが、まだ言葉を吐くになれない、


「ん」


 と、そんな様子の自分に黒髪の子はコップを差し出してくれた。ざらりとした触り心地、よく見れば磁器らしい艶を所々に残しているが釉薬の半分ほどが剥がれているのが見て取れる。

 口をつけるとほのかに甘い。たぶん先ほど想起した甘いもの匂いだ。しかし、これそのものがそれのシロップやら何やらであるというのではなく、芋蜜の入っていたコップに水を汲んだというあたりだと思わせる、それくらいにほのかなにおい。

 どうあれ、水を口にしたことで、人心地ついた。のどを揺らしているものの違和感は減っている。


「あ……、ありがとう」


 努めて笑顔で言ってから一つ、黒髪の子の気遣いに気づく。ベッドの左側にいたにも関わらずコップを渡してくれたのは右手。それはつまり、

 自分の手を見る。コップを持っている右手ではなく、左手、その手首あたりには傷がある。傷跡になるほどの古い傷ではない、血が沸いたような赤黒い瘡蓋が盛り上がって覆う、その傷は縦に10数センチ、平行気味に走る三本の跡がある。

 左手の握力はほとんどない。感じない。――感じないという事実に記憶との合致を得る。傷つけられた左手は今、使い物にならない。


 そこから記憶をたどる。頭の中に大陸全図を思い浮かべる。自分の住んでいた街、大陸中央山系より東北東にあるラドックの街から雪山を迂回し雪原を越え、其処から森を抜けるルートで南南西のニルバの街に向かっていたはず。


 この大陸の地図は、数百年前に訪れたエトランゼにより統一された度量衡をもとにしているので正確性に優れていると言われている。海の向こうでは地域によって単位に混乱が見られ、各地に残った伝承や逸話を文字のとおりに紡いでいくと、荒れた海よりも複雑な面上にしかかけないような、平面的ではない幾何になったというのが、こちらの大陸での笑い話の1つだ。


 それはともかく、記憶の最後の光景が森の中だったから……森の半ばなら、自分の方向感覚が正しかったとすれば……。


(廃鉱山の町――オーバンステップ?)


 そのあたりのはずだ。いや、記憶に残った最後の周囲確認の時はまだ山を下りきってなかったから……。


(その手前、廃鉱山の近くか)


 とりあえずの自分の暫定位置を置く。


「助けてくれたのか?」


 金髪少女に聞くと首を振っての回答、それは縦ではなく横。

 しかし、返答以上のものとして、黒髪の子に視線が向いている。

 それにつられ黒髪に視線をやると、


「――」


 黒髪はまっすぐにこちらを見ていた。見つめられて見つめ返しているうちに、男女どっちとも判断していなかった黒髪がとても可愛らしい少女だということに気づいた。なんとも返答してくれない黒髪少女にもう一度、自分を助けてくれたのか確認しようとすると、


「剣士の兄ちゃん、起きたか!?」


 そんな言葉とともに開いたままになっている扉から新しい影が飛び込んできた。

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