最終章 エルフですが、九州でマタギ(?)やってます

生きるためには──

最終話 ──食べるしかない!

「──よし。じゃあ、料理を始めるか」


 仮面をなくした天狗さんは、応急処置をしただけの体で、笑顔を作りながら、そう言った。

 イノシシと同じような手順で、コディアックの内臓と毛皮、全身を解体したのが五時間前。

 それから全身筋肉みたいなヒグマの巨体(+小鹿)を、あたしと天狗さんは、庵と山を何度も往復して運んできたんだ。


 そうしてついに。

 ついに、ご飯の時間なのだ!


「熊はタヌキと同じぐらい、食べているもので味やにおいが変わる。殺し方、血抜きや腑分ふわけなどの処理の仕方で、乱獲されていた時代のイノシシぐらい肉に臭みが出る」

「ヒグマガチャ……」

「これだけ大きな獲物だと、ガチャというほど数を取るのは難しいけどな……はっきり言って、マタギとして実績が少ない俺では、いまこの肉がどんな味かわからない。なので」

「なので?」

「とりあえず、心臓を焼いて食ってみることにする」


 言いながら、彼は肉の塊をむんずとつかみ取った。

 ヒグマの心臓だ。

 大きい。

 あたしの顔ぐらいある……。


 天狗さんはナイフで、器用にそれをスライスしていく。

 そうして串にさし、囲炉裏の火であぶり始めた。


「お塩は?」

「味見だから、いらないかな」


 しっかり火を通したヒグマの心臓を、二人で味見。


「いただきます……!」

「……ああ、いただきます」


 口に入れた最初の感想。

 ……固い!

 あと臭いがキツイ!


「うぶぶ……これ、タヌキ汁ほどじゃないけど、そのまま食べるの大変だよ、天狗さん?」

「肉自体の味は悪くないが……さすがに獣臭さを取らないと、厳しいものがあるな。よし、ここは伝統に従って」


 したがって?


「熊鍋にする」


 よくわからないけど、そういうことになった。


「まずは肉を、手ごろな大きさに切る。これを酒に漬ける。一時間ぐらいだな。で、ここにハツを焼く前に、酒に漬けて置いた肉がある」


 安定の臭い消し、お酒。

 はじめてタヌキ汁飲んだ時も、お酒が臭みを消してくれたもんね。

 というか、やけに用意がいい天狗さんである。

 準備、してたのかな?


「取り出したらよく水気をきり、ノビルの葉とすりおろした根っこの部分を擦り込んでいく。これも、臭み消しだ」

「レンヤが置いて行ってくれた調味料は、使わないの?」

「胡椒、ショウガ、唐辛子あたりを使えばいいんだろうが、蓮弥さんはそういうのを置いていっていない」


 肝心なところで、女子力が低い達磨である。


「だが、今日はこいつがある」

「それはなに?」


 天狗さんが取り出したのは、竹の皮で包まれた茶色い物体だった。

 なんか見た目が……動物のうんこっぽい……


「あとで教えてやる」

「不吉だなぁ……」

「とにかく、最大限臭みを取った熊肉を、煮込んでいく」


 まだ水のままの鍋に、天狗さんは肉を投げ込んでいく。


「お湯で湯がかないの?」

「煮こぼすときは、それでもいい。ただ、柔らかく仕上げたいときや、出汁がよく出る食材なら、水から煮るんだ。特に熊は、肉質が硬くなりやすい一方で、スープに味が出やすい。だから、こうする」


 へー、初耳。


「ここに酒を入れて、火にかけていく。一部の具材は、一緒に入れる」

「何を入れるの?」

「まずは、ノビル」


 さっきも使ったのに、まだ入れるのか。

 まあ、臭いしね。


「それから出汁が出る、ホンシメジ、クリタケ、ヒラタケを入れる」


 ヒラタケ……。


「天狗さん」

「なんだよ」

「その節は、えっと……ご迷惑をおかけしました……」

「…………」

「なによ、その顔。青い顔で、口に手まであてて」

「殊勝なおまえって、吐き気がするほど気持ち悪いな?」


 ムキー!

 こっちは素直に謝ってるのに!

 やっぱこいつ、クソ天狗だわ!


「おまえに全部教えるって言ったのは俺だ。あれもその一つだ。だから、いっぱい間違えろよ、ポンコツ」

「……うん」


 わしゃわしゃと髪をなでられて、あたしは頬を熱くする。

 彼は笑って、「それでいい」という。


「さて、話してるうちに、鍋が凄いことになったな」

「うわ」


 天狗さんが言っているのは本当だった。

 鍋、灰汁アクだらけだよ……。


「灰汁はとにかく取り除く。リィル、頑張れ」

「ここはあたしなの!?」

「このまま一時間、弱火で煮込む」

「そのあいだずっとあたしは灰汁とり係!?」

「灰汁とり奉行とは、やるなリィル」

「意味わかんない!」


 もう、最低だ!


 で、本当に一時間、鍋の番をすることになった。


「よし、煮込めたな。じゃあ、イワタバコを入れて──ようやく味付けをする」

「ショーユ? それともショーユ?」

「残念、醤油は使わない」

「そんなー」

「その代わりに、こいつだ」


 天狗さんが取り出したのは、例の茶色いあいつである。

 えー……?

 色合いがダメすぎない?

 完全に、うんこだと思うんだけど……


「これは味噌だ」

「ミソ」

「材料はほぼ醤油だ」


 天狗さんが言うには、ダイズとかいうマメを塩漬けで発酵させたものがショーユらしい。

 で、ミソも、過程こそ違えど、やり方はだいたい同じだとか。

 つまり……ミソは実質ショーユなのでは……?


「というわけで、ドボーン」

「あー! 勝手にミソ入れたー!?」

味噌漉みそこしなんてないからな、適当に溶いていく。味醂みりんも入れる。味付けは以上だ」

「本格的に茶色い鍋になってきちゃったよぉ……」


 ううう……こんなの食べられるのかな?


「器に盛りつけて、最後にミツバを載せて。完成だ」


 本日の献立。

 コディアックヒグマの熊鍋。


「いろいろ不安は残るけど……それじゃあ、手を合わせて」


 いただきます!


 あたしはしっかり祈りをささげて、鍋に口をつけた。

 スープを一口すすった瞬間──


「みょおおおおおおおおおおお!?」


 脊椎まで貫くような、うま味の電流がほとばしる!

 なにこれ! 電撃的においしい!

 これまで食べたことがない出汁だ!

 おおお……じんわりとうま味と熱が、胃に染みわたっていく……!


「これが熊の出汁だ。日本でとれる野生動物のなかでは、屈指といわれるほど出汁が出る。脂の融点が低いから、濃密な旨味が鍋に溶け出し、すべての食材の味を引き立たせる」


 あ、この説明は前にも聞いたことがある。

 タヌキの肉も、脂が溶けやすかったんだ。

 ということは……?


「すごい……身体がものすごくポカポカしてきた……」


 まだ、肉は食べていないのに、元気が湧いてくるのがわかる。

 命が体の中で巡っていく。


「キノコとか、イワタバコも食べたいけど……やっぱりお肉だよね!」


 よく煮込まれたヒグマの肉。

 しっかりと形を保っていながら、脂身はプルンと揺れる。

 繊維がしっかりとしていて、見るからに肉という感じ。


 では、満を持して。


「実食!」


 あたしは、熊肉を頬張った。


「~~~~~~ッ! んまぁあああああああああああい!!」


 口を押さえてもあふれ出す、心の声は止められない!

 トゥルトゥルの脂身からは豊かな香りと旨味が溶け出して、舌の上でダンスを踊る。

 一方でお肉は、しっかりとした歯ごたえを残しつつ、噛むと繊維がホロホロとほどける。

 味は極上。

 ほっぺが落ちそうな満点の味!


「おいしいね、天狗さん!」


 あたしは無邪気に、彼へとそう言った。


「そうだな、美味いな」


 彼は、泣いていた。


「ぐぶぇ……ごぶ……ごくん」


 汁に口をつけるたび、肉を口にするたび。

 戻して、吐き出しそうになって、それでも噛み砕いて飲み下しながら。

 彼は笑顔で、涙を流しているのだった。


 家族を殺した化け物を。

 愛した妻と、子どもを食い殺した──我が子を。

 彼は、なんども嘔吐しそうになりながら、必死で食べているのだった。


 笑顔で。

 満面の笑みで。


「リィル」

「なぁに、天狗さん」

「俺はさ、命が、好きなんだよ」

「……うん」

いも悪いもない。そんなのは陳腐な問題だ。必死で今日を生きてる、決死でいまを生きてる、精一杯にあがき続ける命が、いとおしくって仕方がないんだ」


 うん。


「だからさ、俺は食べるよ。最後の瞬間まで、自分の番になるまで。ほかの誰のためでもない、俺が生きるために、たとえそれが、どんなものでも。


 だって、あたしたちは対等だから。

 命は平等ではないけれど、生きていく中で、食べるという行為のなかでは、上も下もない対等なんだから。


「なあ、リィル」


 ゴクンと、肉を嚥下えんげしながら。

 彼は、あたしに問いかけた。


「おまえ、生きたいと思ったことはあるか?」


 いつかと同じ問いかけに。

 あたしは今度こそ、考えて答える。


「あるよ、天狗さん」


 だってあたしは。


「天狗さんが生きていてくれて、いまそばにいてくれることが、こんなにも、こぉーんなにも! うれしいって、思えるから!」

「────そっか」


 彼は、笑った。

 泣きながらの笑顔じゃない。


 晴れ渡るような、快活な表情で。

 まるで祝福するように。

 歯を見せて、彼は笑った。


「だったら──おまえは一人前だ」


 もう、教えることは何もないよ。

 そう言って。


「そろそろ、休んでもいいよな……」

「天狗さん?」

「疲れた、すごく、疲れたんだ。だから、少しだけ……おやすみ、みんな──」


 傷だらけの彼は、ゆっくりと目を閉じる。

 座り込んだ彼の全身からは、黒い血がしたたり落ちていて。


 それがまるで。

 夜の闇のように、床一面に広がっていた──

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