第四話 寒さに負けず焚き火をしよう!

 幸いにして、腰に懸架つるしていた飯盒はんごうと、諸々が入ったサバイバルボックスは、紛失せずに済んだ。


 でも、状況は変わらずに最低だ。


 下着にまでしみ込んだ泥水が、気持ち悪い。

 冬を目前にしての、山の雨。

 ひどく冷たくて、体の末端から順に感覚がなくなっていく。

 体が震えて、歯がガチガチと鳴る。


 ヤバイ。

 このびしょ濡れの体のままじゃ、どんどん体温が奪われちゃう。

 体が冷えれば動けなくなって、死ぬ。

 そういうことは、これまでの日々で天狗さんにさんざん叩き込まれてきた。


 拙いときは、どんなに嫌だとしても、行動しなければいけないということも。


「うなぁー……気が進まないなぁ……」


 あたしは愚痴を言いながら。

 冷たく重たい体を引きずり、洞窟の中へと入った。

 入った瞬間、生ぬるい風と、心が折れそうな、何とも言えない異臭が漂ってくる。


 生理的にムリ!


 とは思うけれど、背に腹は代えられない。


「はやく、身体を温めなきゃ……!」


 ガタガタと震える手で、サバイバルボックスの中をあさる。


「……よかった! 火口ほくちは無事だ!」


 口を縛っていたビニールをほどくと、中には浸水を逃れたフジの繊維質!

 触ってみると、大丈夫、乾いている。

 焚き付けはこれでいいとして、なにか火を移せるもの──薪の変わりは……


「おお、神さま! 今日は味方なんだね!」


 洞窟の床を手探りで探していると、大量の小枝や落ち葉が敷き詰められている一面を見つけた。

 これで、焚き火ができる!


「えっと、こうやって空気が入るように、山の形に枝を組んで。下の方に落ち葉を詰めて……」


 あとは、これにどうやって火をつけるかだけれど。


「メタルマッチ……濡れてる」


 プレゼントでもらったメタルマッチは、泥にまみれて濡れていた。

 でも、天狗さんの言った通りなら……


「ええい、ままよ!」


 あたしは、メタルマッチの泥を洗い流し、着ていた服で棒を拭う。

 それから、板状のストライカーでマグネシウムが本体を削り出して、そのかけらを、フジの繊維質に乗せた。

 あとは、棒にストライカーとあたしの命運を載せて──


「お願い!」


 祈りともに、思いっきり引く。


 シュボボボ!


 音を立てて燃焼するマグネシウム。

 無数の火花が飛び、繊維質に燃え移る。

 やった、種火だ!

 文明の火だ!


「ふー! ふー!」


 種火を持ち上げ、消えないように息を吹きかけつつ、組み上げた枝と落ち葉にそっと押し込む。

 すると──


 パチ、パチチ……


 燃えた。

 できた、焚き火ができた……!


「あ、ああ……暖かい……」


 両手をかざし、その熱を享受する。

 体の芯から凍えていた全身に、指先で温まった血液が循環する。暖かい、うれしい……。


 動物は、火を怖がるらしいけれど。

 今この瞬間、あたしは確かな安堵を感じていた。

 死にたくないと思って。

 ぬくもりに、安心した。


「服も、乾かさなくちゃ」


 水気をはじく毛皮だけを、ぐるぐると体に巻きつけ、火の周りに濡れた服を広げる。

 とりあえず、これで凍死は免れることができそうだけれど……


 ぐー。


「お腹が、減ったね……」


 あたしは、盛大に泣きわめくお腹を、寂しさとともに抱えこんだ。


§§


 サバイバルボックスに入っていた、『非常食』と書かれた袋のなかには、黒ぽい茶色の板が入っている。

 胡乱だなぁと思いつつ引きずり出し、一口かじると、なつかしい味がする。


「あ、これ。ジョロウグモの味だ」


 ようするに、この板がチョコレートというやつなのだろう。

 甘みと苦みを楽しみつつ、少しずつ口の中で溶かしていただく。

 外に出していた飯盒に雨水を溜め、焚き火で煮沸。


 美味しくないお湯で、のどを潤す。

 身体も少し、温まる。


「とりあえず、いまはこれで。でも、雨はまだ酷いし……あとで食べものも探してこなきゃ」


 天狗さんに言い聞かされていることの筆頭なのだけれど、はぐれた時は、むやみやたらに動き回ってはいけないらしい。

 迷子になったら、雨風をしのげるところで動かない。

 これが、探すうえでも大事になってくるんだとか。

 探す範囲を特定できるのが強みになると、彼は言っていた。


 無駄な体力を消耗するわけにもいかないので、焚き火を絶やさないようにしつつ、あたしは横になる。

 毛皮の上で、グルんとくるまり、瞼を閉じる。


「あー、これがぜんぶ夢ならいいのに──なんて、にはは……」


 あんまりにも都合がよすぎる独白で、自分でも笑ってしまった。

 そういえば天狗さんって、よく笑うよね。

 どんなに辛い時でも、辛いときのほうが、笑っている。


「……そっか。だからあのひと、自分を弱いなんて言うんだ」


 あたしみたいに、泣いたら誰かが助けてくれるわけじゃない。

 こんな風に、いつだって孤立無援で。

 誰かを頼ることをよしとしないから。

 弱いと、断言できるんだ。


「天狗さん……」


 少しずつ、体が温まっていくと、急速に意識が遠のいていく。

 いけない、いけないとかぶりを振るけど。

 あたしは、睡魔に抗うことができなくて。


「……──」


 そのまま夢のなかへと。

 落ちていく──


§§


「リィルさま、はじめまして。わたしはマィム。あなたのお世話を任されることになりました、しがないエルフです」


 よく見知った人の顔。


 あたしの世話係、マィムの顔が、夢の中であたしを呼んだ。

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