独りっきりのサバイバル

第三話 生態系の破壊者

「なに、これ……」

「────」

「なんなのよ、これぇええええええええ!?」


 あたしは叫んで、天狗さんは言葉を失った。

 山にも戻ったあたしたちを出迎えたのは、あまりに悍ましい光景だったんだ。


 天狗さんは罠を設置していたから、まずはそれを見て回らなくちゃいけなかった。

 でも、その罠は、全部掘り起こされていて。

 そして、罠にかかっていた獲物は──シカやタヌキ、ウサギは、すべて惨殺されていた。

 殺されていたんじゃない。

 だ。


 鋭く、重く、容赦のない一撃が、命を引き裂いていた。

 シカははらわたをぶちまけていて、タヌキは首を飛ばされていて、ウサギは木の上に無残な姿で吊り下げられていた。

 奇妙なのは、どの死骸にも、食べた痕跡がなかったことで──


「ユウキ──」


 呆然としていた天狗さんが、うめくようにつぶやき、木の上にのせられていたウサギをブーメランで落とす。


「……ヒグマには、獲物を跳ね上げて弱らせる習性がある。強靭な力のみで空中に放り上げ、木や地面にたたきつけて殺すんだ。それから、普通なら」

「食べるよね……だって、生きるために、動物は狩りをするんだもん」


 そのぐらいは、さすがに。

 さすがにあたしも、学んでいた。

 天狗さんが、重々しくうなずく。

 彼はウサギを埋めるために、地面に穴を掘りながら、歯ぎしりをした。


「なぜだ……? 俺がいないタイミングは、腹を満たす絶好の機会だったはず。いくら事前にドングリや動物たちを狩っていたからといって、コディアックは──〝やつ〟は、この機を逃すほど、愚かじゃない。冬眠に向けて、備蓄を増やしているという可能性もあるが……これじゃあまるで、殺戮を楽しんでいるようで──」


 ぶつぶつとつぶやきながら、天狗さんはウサギを埋める。

 そうして、頼りない足取りで、さらなる虐殺の跡をたどっていく。


 山の奥に進むに連れて、死骸の数は増えていった。

 もう、あたりには虫の気配すらない。エルフ感覚が、ここはヤバいと告げていた。


「……あ」


 なにかが、ほっぺたに当たった。

 雨粒。

 雨が、降りだしてきたんだ。

 あっという間に、雨脚が強くなる。

 豪雨だ。


「これ、よくないよね、天狗さん」

「雨に打たれれば体力を失う。ぬかるみに足を取られれば、身動きができなくなる。地滑りや、視界がきかない中での〝やつ〟との遭遇は避けたい」

「爆竹も花火も、使えないもんね」

「ヒグマは火を恐れない。だが、閃光と轟音にひるまない脊椎動物はいない。だから、この数年は、花火に頼ってきた。法律に触れるのは知っていたが、熊撃退スプレーすら効かないのは、最初の数年で証明されていたからな……リィル、一度庵に戻るぞ。これは、準備が必要だ」

「あいあいさー!」


 びしっと敬礼を決めて、あたしたちは転身する。

 正直に言えば、この場には一秒たりともいたくなかった。

 なにか、ひどい不安の棘のようなものが、心を突き刺していたのだ。


 ──そんなものに、気を取られていたからだろう。


 あたしは、その不測の事態を、避けることができなかった。


『グルアアアアアアアアアア!!』


 突如響き渡る轟音。

 やぶの中から現れる、

 岩雪崩のごとき勢いで現れたコディアックヒグマは、あたしたちが反応するよりもはるかに俊敏に。


 まずは、天狗さんを弾き飛ばした。


 そして──


「──リィルゥゥ! 逃げろォ!!」


 錐もみしながら転がっていく彼の、悲壮な忠告は……残念なことに、間に合わなかった。

 とびかかってきた山そのもの──ヒグマに体当たりをされて、あたしの小さな体は、宙を舞った。


 ああ、もう。

 最低だ……!


 地面にたたきつけられ、衝撃で、頭のなかが真っ白になる。

 雨に濡れた地面を、あたしはゴロゴロと滑落して。

 どこまでも、どこまでも落ちていく。


 この感覚は知っている。

 これは、この世界に来た時の──


「リィル……ッ!」


 苦痛に満ちた天狗さんの声に、あたしは、答えることすらできず。

 そのまま、意識を失った。


§§


 ぴちゃり、ぴちゃりと顔を打つ水滴。

 あたしは、降り注ぐ雨滴の中で目を覚ました。

 ああ、本当に、目を覚ましてばっかりだ、あたしは。


「最低……」


 全身は泥だらけ。

 あっちこっち磨り傷だらけで、節々が痛い。

 大きな怪我がなかったのは、たぶんレンヤと天狗さんが用意してくれたこの服のおかげだろう。


「でも、汚しちゃった……天狗さん、怒るかなぁ……?」


 ふらふらと立ち上がり、周囲を見渡すが、彼の姿はどこにもない。

 ただ代わりに。

 あたしには、その場所に見覚えがあった。


「うそ、でしょ」


 そここそは、この国で、リィル・イートキルが初めて降り立った場所。

 はじまりの地点。


 


 長老に突き飛ばされ、落とされた洞窟が。

 虚無のような入り口を、まるで化け物の口腔アギトのように、大きく広げているのだった──

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