第四章 誰がために天狗は殺す?
不死身の男と筋肉達磨
第一話 『K』という名の実験体
「────」
天狗さんは眠っていた。
ビョウインというところの、ベッドの上でだ。
真っ白なシーツと。
着替えさせられ、真っ白な服を身に着けた彼は、まるで別人のようだった。
野蛮人として恐ろしさはどこにもなく、ただただ弱々しさがそこにはあった。
「大丈夫よ、リィルちゃん」
そう声をかけてくれたのは、レンヤだった。
天狗さんが倒れた後、パニックになったあたしは、レンヤに通信機で助けを求めたのだ。
レンヤは初めこそびっくりした様子だったものの、あたしの取り乱した様子に何かを察したらしく、すぐに人をよこしてくれた。
そうして、天狗さんはここに──ビョウインに運び込まれたのである。
すぐに手術だとか、胃洗浄だとか、よくわからないけど処置が施されて。
「彼は一命を取り留めたわ。だから大丈夫。リィルちゃんがすぐに連絡してくれたからよ?」
レンヤはそう言ってくれるけど、違う。
あたしが悪いんだ。
悪いのはあたしだったんだ。
毒キノコ──ツキヨタケ。
ヒラタケにそっくりの、猛毒キノコ。
それには、腹痛や嘔吐以外にも、幻覚作用があるらしくて。
ここに運ばれてくるまで、天狗さんはずっと、悪夢にうなされていた。
「──ごめん、ごめんなぁ……蓮歌、優歌……巻き込んで、守ってやれなくて……ごめんな……ユウ──」
うわごとを、繰り返して。
苦痛に顔をゆがませながら、懺悔の言葉を何度も、何度も口にしていた。
いたたまれなかった。
そんな弱々しい彼を、あたしは初めて見て。
ああ、あたしが、料理なんて作らなければ──
「最低なのは、あたしだった……」
「いいえ、それは違うわリィルちゃん。だってきっと、伊原くんは毒のスープだとわかっていても、食べたはずだもの」
「どういう、こと……?」
あたしの問いかけに、レンヤは。
彼は、天狗さんの枕もとを見つめ、重苦しい表情で答えた。
「だってあなたは──あのヒグマに殺された彼の愛娘に、よく似ているんだから」
天狗さんの枕元。
そこには彼と、どこかあたしに似た二人の女性と、一匹の動物が写った絵が──写真が、置かれていたのだった。
§§
「────」
レンヤさんは、所用があると言って席を外していた。
あたしは祈るように、ずっと天狗さんのそばにいた。
自分が何をしたのか、それを考えて。
考え抜いて。
「ごめんなさい、天狗さん……」
つぶやくように、そう謝った時。
「──謝って許してもらえるならさ、俺はとっくに死んでるはずなんだけどなぁ……」
かすれた、声が聞こえた。
顔を跳ね上げる。
見ると、そこには。
弱々しいながらも、口元を笑みの形に吊り上げた、彼がいて!
「てん、ぐさんッ!」
「泣くなよ。涙の止め方なんて、俺は知らないよ」
「意識が戻って……! よかった、よかったよぉ……」
「ああ……優歌がいるってことは、俺はようやく、天国にこれたのかなぁ……?」
こっちは安堵で崩れ落ちそうなのに、すぐそういう不吉なことをいう!
「なに言ってるの! ここはニッポンだよ! あたし、レンヤを呼んでくる!」
「あ? あー……そういうことか……ボケてるねぇ、俺も……おい、リィル」
病室を飛び出そうとするあたしを呼び止めて。
彼は枕音の写真をしまいながら、あたしに向かって、こう言った。
「ありがとうな……その、助けてくれて」
「────っ」
こらえきれなかった。
その言葉が、あまりにも苦しくて。
あたしはその場で、声をあげて泣いてしまったのだった。
§§
「よかったわ、目を覚まして。すぐに、今の状態でも食べられるものを、運んでこさせるから」
レンヤがそういうと、天狗さんは複雑な表情をした。
「なぁ、リィル」
「なに?」
「自分で食べるもんは?」
「自分で狩る!」
「でも、まぁ」
彼は苦笑し、つられて私も微笑んだ。
「「これは仕方がない!」」
ゼリーのような流動食をごくごくと口にしている天狗さんの体を、あたしは濡れたタオルで拭く。
彼の身体は、びっくりするぐらい傷だらけだった。
そのいくつかは、とても深い傷で。
……その傷を目にして、今しかないと思った。
正直に。
正面から、訊ねる。
「天狗さん」
「……本人に聞けって、蓮弥さんが言ったんだろ?」
「うん」
「ほんとう、きっつい人だよなぁー」
大の字に倒れた天狗さんの、脇や胸板に、タオルを当てていく。
彼は、言った。
「俺は、育ててたんだ──あのヒグマ、コディアックをさ」
彼は写真を取り出し、眺めながら言う。
あのヒグマは、正しい名前を、コディアックヒグマ、というらしい。
「〝K〟と、呼ばれていたよ。ほかのやつらからはな」
「ケー?」
「〝Kプラン〟の〝K〟だ──それは、熊の強靭な生命力と生成物に注目した政府が企てた、一種の実験だった。〝やつ〟は、その被検体第一号だったのさ」
噛みしめるようにして、彼は語る。
コディアックヒグマのことを。
「この世界に、三千五百頭。プラスアルファしかいない、希少なヒグマだよ。日本の遥か彼方にある、コディアック諸島ってところにしか生息してない熊だ。あるとき、コディアック諸島の生物保護区で、一匹のヒグマが死んだ。そのヒグマを解剖した研究者から、驚くべき事実が吐き出された。コディアックヒグマだけが分泌する未知のステロイドが、既存の毒素──自然由来、人工由来を問わず分解するというものだ。そして、タンパク質に働きかけ、異常な再生力をもたらすと」
霊獣ディムカはごちそうなだけじゃなくて、食べたものに長寿を約束する、という言い伝えがある。
ひょっとすると、これはそういうものなのかもしれないと、あたしは思った。
「実験の結果自体は、すぐに秘された。ヒグマの乱獲を避けるため……というお題目だった。だが日本政府は──極秘裏にそのヒグマを、研究素材として国内に持ち込んでいた。ワシントン条約を踏みにじり、保護区から、産まれたばかりの子熊をだ。寒い地域の生き物を、暖かい地域に送るとは思わないだろうという詭弁のもと、九州に連れてきて、この町の研究施設に押し込めて、調べ上げた……俺はそんな違法機関の、研究主任だった」
天狗さんは天井をジッとっ見上げながら、少し間を置けて、続きを口にする。
彼の手の中で、大切そうに抱き上げられた写真の──そこに写る、小熊の話を。
「妻も──蓮歌さんも、一緒に働いてたんだよ。ふたりでさ、まだ小さかった〝やつ〟を育てて、面倒を見て。俺が抱き上げて、乳を上げたんだ。名前を付けて、子守歌も聞かせて、肉の食い方も、目の前で教えた……ああ、楽しかったなぁ。そのうちに優歌が産まれて、まるで子どもがふたりいるみたいで」
「天狗さんにとって、あのヒグマは我が子と同じだったの?」
「どうかな……大切には思っていた。でも、実験動物という前提の上でしかなかったのかもしれない。でなきゃ──〝やつ〟が最終実験に使われそうになった時、もっと反対したはずなんだ」
最終、実験……?
あたしはその言葉に、嫌な感触を覚えた。
そして、それは正解だった。
「コディアックを日本に連れてきて、隔離し、育てた理由。それは、その体内で作られる特異な成分の抽出のためだった。熊の胆嚢、胃腸薬──そんなものじゃない。未知のステロイドとその誘導体による不老長寿……夢物語を、俺たちは本気で追いかけていたんだ」
「そして、最終実験をしたの?」
「……コディアックに麻酔をかけ、生きたまま臓器の一部──分泌器官を摘出する──それが、最終実験にして採収実験の実態だ。俺がこの手でやるはずだった。蓮歌さんと優歌は、たまたま研究所にやってきていて」
ふいに、彼の表情がゆがんだ。
悲しみとも、怒りともつかない、悲壮なものに。
天狗さんは、絞り出すようにして、続ける。
「麻酔は効かなかった。ステロイドの力だろう。わずか数分で覚醒した〝やつ〟は、命の危険を感じて……暴走した」
「…………」
「俺はなすすべもなく薙ぎ払われた。手足は異常な方向を向いていて、顔はこのざまだった。それでも俺は運がいい方で、ほかの職員たちはほとんどなにもわからないまま、首と胴が別れていた。失血で朦朧とする意識の中、俺は悲鳴を聞いた。実験室の扉が破壊されて、俺に駆け寄ろうとした娘と、蓮歌さんが」
彼の手が、どこかへと延びて、行き場をなくし、戻ってくる。
逆の手が、震えながら写真を握りしめる。
……悲しいことに、この場には彼の表情を隠せる仮面は、ありはしなかった。
「……わかるか、リィル? 目の前で最愛の二人がさ、腹を裂かれて貪られながら、こういうんだ。『パパ……助けて、パパ……』って──なのに、俺は手足ひとつ動かなくてさっ。叫ぶことしか、コディアックにやめろっていうことしかできなくてっ」
「わかった! もういいよ、天狗さん! もういい!」
「『優士郎、ごめん』って、蓮歌さんは俺に謝るんだ。悪いのは俺なのに、〝やつ〟を──ユウキを人食いにさせちまったのは俺なのにっ!!」
「天狗さん!」
泣いていた。
彼は、自分の顔を掻きむしりながら、泣いていた。
瞼の上から頬まで続く傷が、まるで赤い涙のようにこぼれて。
「……それから、〝やつ〟は研究所を逃げ出して、あの山へと逃げ込んだ。この辺りじゃ、比較的涼しい場所だったからだろう。国は不祥事を露見させまいと情報操作をして、〝やつ〟の駆除に乗り出した。毒餌、人海戦術、狩人の雇用──ぜーんぶ、失敗したけどな」
「…………」
それで。
それで天狗さんが、責任を取るために、名乗りを上げたらしい。
怪我も治らないうちから、重症だったのに。
「俺は、国の都合が悪いことをぜーんぶ知ってたからさ、それで政府を脅して、無理やり認めさせた。政府だって、貴重なサンプルをみすみす殺したくはない。蓮弥さんも、俺を憐れんで協力してくれた。それが〝Kプラン〟の
このままヒグマを殺すことは難しいからって、山の周囲を封鎖して。
「極力餌を奪い取り、飢えさせて弱らせて──七年だ。七年かかって、ようやく〝やつ〟は、自力でシカを捕まえられないぐらい、弱くなった。だから──」
彼がそこから先を口にしようとしたとき、病室の扉が開いた。
入ってきたのは、巨漢の男性。
レンヤだった。
「はーい、無茶なおしゃべりはそこまでよ」
「蓮弥さんか。俺は大丈夫だから──」
「伊原くん、あなたじゃないわ」
「?」
「……リィルちゃん、ずっとあなたに付き添っていて、ろくにご飯も食べていないの。だから、少し休ませてあげて。ね?」
「…………。そっか。おまえ、俺を心配してくれたのか」
困ったような顔で、あたしの頬に触れる天狗さん。
「でもなぁ、食べなきゃだめだ、リィル。食べなきゃ、生きていられないから──」
彼のかすれた、そんな言葉に。
どう返事をすればいいのか、あたしはちっともわからなくて。
「……ごめんなさい。ごめんなさいっ!」
「リィル……」
あたしはただ、彼に抱き着くことしかできなかった。
翌日、まだ回復しきっていない天狗さんは、あたしを連れて病院を抜け出した。
いま、コディアックヒグマから目を離すわけにはいかないからって。
山に戻るのだと、そう言って──
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