第六話 ひとりで料理、作れるもん!
「なにかあれば、また顔を見せるわ。リィルちゃん、伊原くん。それじゃあね」
「俺にまたがあればな、蓮弥さん」
「もう!」
苦笑しながら、庵を去っていくレンヤ。
彼を見送った天狗さんは、少しだけ普段と雰囲気が違っていた。
具体的に何が、というわけではないのだけれど、ちょっとだけ落ち着いているようだった。
翌日はしとしと雨が降っていて、罠の見回りなんかは、最低限で済ませた。
天狗さん曰く、山の雨は危険なんだとか。
「地滑りもあり得るし、川の近くなら増水で流されることもある」
「増水って……雨、これだけだよ? しとしとだよ?」
「そう言って侮っている奴から死ぬ。川が増水するときはあっという間だ。気が付けば
「…………」
泳げるか泳げないかの二択で言えば、泳げない。
なぜならあたしは、これまで川に入ったことさえない箱入りエルフだから……!
「自分で言うことかよ。逆に雨にも利点がある。ひとつはもちろん、生活用水としての水。もうひとつは、臭いを消してくれることだ」
つまり、罠についた人間の臭いとか、森の中を歩き回ったときの痕跡だとかを、雨は洗い流してくれるらしい。
そう考えると、定期的に臭いがリセットされるから、猟ができるのかなぁとも思う。
「いいところもあり、悪いところもある。雨も、山も、自然も、命も、そういうもんなんだ」
「あのヒグマも?」
「……そうだな。本来なら、正負どちらの面もあるはずだ」
「だったら」
「だが──〝やつ〟は俺が殺す。善かろうが、悪かろうが、俺が殺す。コディアックは、存在しちゃいけないもんなんだよ」
そこで、会話は途切れてしまった。
天狗さんは、レンヤがいたころの穏やかさをまた失って。
あたしは、なにを言えばいいのかわからなかった。
§§
レンヤが庵から帰って一週間、あたしはあることを思い立った。
自分で、料理を作ろうと。
そして、できるなら天狗さんに食べてもらおうと、そう思ったのだ。
というのも、この数日は、天狗さんの様子がどうにもおかしかったからだ。
この山で生きていくための知識は、きちんと教えてくれる。
動物の捌き方、食べられる植物、危険なこと。
ちゃんと教えてくれる。
でも、ふと気が付けば、天狗さんは胸のポケットから何かを取り出して眺めているのだ。
手のひらほどのケースに入った、紙切れのようなもので、遠目には、人の姿が描かれているように見えた。
人が三人と、なにかもこもこしたもの。
それを眺めている時間が、だんだんと増えていって。
「元気がない!」
と、あたしは思った。
覇気がないというか、いつもの怖さがなかった。
なので、少しだけ恩返しというか、なんというか……とにかく、彼に料理を作ってあげたいと思ったのだ。
できればサプライズで!
驚かせたいと、思ったんだ。
だから、罠を見て回っている間に、天狗さんの目を盗んで食材を集めた。
「この辺りはブナ林だ。落葉樹、冬に葉を落とす木。クヌギや、カシ、コナラが息づいていて、どんぐりがたくさん落ちている」
「どんぐり?」
「たとえば……ほら、この先っぽが尖った、いかにもな木の実だ。このスダジイの実なんかは、生でも食べれる。他は、少しあく抜きが必要だな。あくの強いカシの実なんかだと、思わず吐き戻したくなるようなえぐみがある。今日は、スダジイを集める。食料対策だ」
そういって、落ちているドングリを拾い集め始める天狗さん。
あたしも真似をしながら──ほかの食材を探す。
天狗さんが教えてくれたから、ちゃんと食べられる草と食べられない草は見分けられるようになった。
こっちのドブゥ──ブドウみたいな実は、ツヅラフジ。
ヤマブドウは葉っぱがハートっぽい五角形だけれど、ツヅラフジは五つに割けていたり七つに割けていたり、楕円形だったりして安定しないから、すぐに解る。
これは毒、食べちゃダメなやつ。
次に見つけたのは、細長いハート型の葉っぱに、青い可憐な花。
ツユクサだ!
「朝露が、渇く間に花が枯れ──そういう逸話から、ツユクサと呼ぶ」
なんて冗談を天狗さんが口にするくらいだけど、これも確か食べられたはず。
摘んでおこう。
草をかき分け一生懸命食材を探していると、それは不意に視界の中に入ってきた。
倒れたブナの木に、群がるようにして生えるキノコ。
うすい褐色の傘を持っていて、平べったく。ガラの部分は極端に短い。
これは、もしかして……?
あたしは、それをひとつ、手に取った。
うん、間違いない。
前に天狗さんが、ウサギ鍋に入れてくれた、すごい美味しいキノコ──ヒラタケだ!
「やった。これがあれば勝確だ……!」
わっしょいと飛び上がるあたしに、
「なにしてんの、おまえ?」
と、天狗さんが訝しがる。
「な、なんでもないよ! なにもしてないよ!」
「なにもしていないのは怠慢だろ……ちゃんと拾えよなぁ、どんぐりの数を減らすのも、今は大事なんだぞー?」
「わ、わかってるもん!」
慌ててごまかし、胸をなでおろす。
どんぐりもきちんと拾いながら。
あたしはそのキノコを、天狗さんにばれないように、たくさん摘んで回ったのだった。
§§
「俺は、寝る。ロウソクも無限じゃないし。火の番をしたら、おまえも寝ろよ、リィル」
「イエッサー!」
「…………」
庵の奥で、シカの毛皮の上にゴロンと横になった天狗さんは、それほど時間をかけずに寝息をかき始めた。
いつも──その悪意はともかく──ニタニタと笑っている印象が強い天狗さんだけど、冬が近づいてからは妙に張り詰めている。
「熊は冬ごもりをする。その前に、異常なほどの命を貪ってな」
いつか彼はそう言っていて。
ここ数日の張りつめた様子も、無関係じゃないんだと思う。
「だからこそ、いま、恩返しがしたいわけで」
あたしがエルフの村にいたころ、マィムからこんな御伽噺を聞いたことがある。
山の中でモンスターに襲われた若い女性が、壮年の狩人に助けられて、一宿一飯のもてなしをするというものだ。
狩人は旅立とうとするが、若い女性は引き留めて、そして、二人は──
「ち、違うから。そういうのじゃ、ないから……!」
我ながら説得力がない言葉は、口の外に出ることもなく、薄闇の中にほどけていく。
囲炉裏の熾火が、ぱちりと弾けた。
まるで「よーいはじめ!」とでも言われた気分だった。
「よしっ」
あたしは、パチンと頬をたたいて、料理を始める。
「とはいえ」
……意気込んでは見たものの、そんな大それた物が作れるわけがない。
だってあたし、お姫様だよ?
蝶よ花よと育てられ、料理だって無縁だったんだよ?
「でも、ここにきてずいぶん鍛えられたから」
庵の天井から釣り下がった備蓄の干し肉。
そのうちの小さなものを外して、ナイフで削っていく。
干し肉は固いから、薄く削って煮込まないと食べにくい。
でも、出汁はすごく出るのだ。
日があるうちに集めたスダジイの一部を、フライパンで煎る。
それから、ナイフでたたくようにして外の皮にひびを入れ、割る。
取り出した中身は、少し茶色がかかった白のでんぷん。
これをすりつぶして、小麦粉と塩を合わせ、お団子にする。
削ったお肉と水を、飯盒に入れて熾火にかける。
くつくつと煮立ってきたら、スダジイのお団子と、頑張って集めたヒラタケを入れる。
そのままだと大きいので、ヒラタケは割いて──あれ? なんか、割ったところが黒くなっているけど、虫かな?
でも、天狗さんは常々、虫は貴重なたんぱく質だって言ってたし、ヘーキだよね?
「うん、だいじょうぶ、だいじょうぶ。ちょっとぐらい美味しくなくても、怒られるだけ!」
ここにお酒を少々。最後にショーユで味付けして──
「完成だ! すごいでしょ、最高でしょ、完璧でしょ!」
できちゃった!
リィル・イートキル特製キノコ鍋!
あとは──最大の難関、寝ている天狗さんを起こすだけ!
このひと、あんまり深く眠るタイプじゃないみたいだし、多分起きてくれると思うんだけど……
「えっと、天狗さん、天狗さん……」
「────」
「天狗さんやーい! クソ天狗ぅー!」
「──なんだよ、養殖豚ぁ!」
うるさそうな顔ではね起きた天狗さんが、あたしを見る。
あたしは。
「あの、えっと、その……」
ええい、なにをかまととぶっているかリィル!
いまこそ成長を見せる時なのだ……!
あたしは、意を決して、飯盒を差し出した。
「あの──作ったの」
「あ?」
「天狗さんに食べてほしくて……料理、はじめて!」
「────」
そのときの、彼の顔ったらなかった。
面食らったように。
あたしが初めておいしいご飯を食べたときみたいに、目を丸く見開いて。
それから、なにかを言いたげに口を震わせ。
何度も首を小さく振って。
そうして、彼は仮面をかぶった。
震える声で、天狗さんは言う。
「作ったのか、料理を」
「うん」
「もしかしなくても、俺なんかのためにか」
「うん」
「…………。……、そっか」
一度下を向いた彼は、ゆっくりとあたしの頭に手を伸ばした。
金色の髪を、彼の傷だらけの大きな手が、ぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
ちょっと乱暴で。
だけれど、優しく。
「天狗さん……?」
「ああ……食べる。食べるよ。だって俺は、生きていたいから」
いま、すっごく生きている気がするから。
そういって、彼は飯盒を手に取った。
仮面を少しだけ、口の部分だけずらして。
スープを。
天狗さんは口にして──無言で、食べ続けて。
黙々と過ぎる時間。
天狗さんの咀嚼音だけが庵に響く。
あたしはしびれを切らし、ついつい感想を求めてしまった。
「天狗さん、美味しい?」
彼はどんどん食べながら、何度もうなずく。
「ああ、美味いな。どうせなら、これを最後に食べたかった」
「それって、どういう──」
意味を測りかねて、訪ねたときだった。
カランと、大きな音を立てて、箸が床に落ちた。
目の前で、彼の身体が、傾斜する。
「天狗さん?」
「────」
倒れた拍子に仮面が外れて、天狗さんの顔があらわになる。
そこには、びっしょりと油汗をかいた、苦悶の表情があって。
「天狗さん!?」
「……おいおい……因果応報とか、言うなよなぁ……」
ぐっと左手で強く、腹部を抑えながら。
彼は右手を伸ばし、飯盒の中身を──ヒラタケを取り出す。
裂いたことで黒く変色した、そのヒラタケを確認して。
彼は。
「は、はっは」
乾いた声で笑った。
「このポンコツエルフめ。これは、ツキヨタケだ。食えないキノコの代表で──死ぬほど猛毒で……ああ、まいったな、こりゃ……ぁがッ!」
「天狗さん!」
「ぐ、うべぇ!」
えづき、なんども嘔吐し、胃の中身を全部ぶちまける天狗さん。
「な、なんで」
目の前でもがき苦しむ彼を見ながら。
死神の足音を歓迎するような彼の顔を見て、あたしは。
「なんで……どうして……?」
そんな意味のない問答を、繰り返すことしかできなかった──
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