第三章 天狗さんはエリートですか!?
うーさぎうさぎ、味わい深し
第一話 富んでますね、ニッポン
「ノウサギは、
低い木や、
彼はその辺の枯れ木やらなんやらを集めてきて、隙間を埋めていく。
あっという間に、獣道は小動物一匹分の隙間しかなくなってしまった。
「この隙間の先に、餌を置く。ノウサギは普段、木の芽や樹皮、草の葉なんかを食べる。別になくても場所によってはかかるが、今回は近所で摘んできたクリの葉を置く」
「クリ」
「とげとげに覆われた穀類だ、美味いし貴重な栄養源だが……その話はあとだ」
てきぱきと準備を続ける天狗さんは、背の高い木の枝を一本、ぐいっと曲げた。
そのまま、獣道の上に持ってくる。
別の木の枝を逆さにして、地面に埋める。
曲げた枝を、埋めた枝の又にひっかけて固定する。
「そうして、輪っかが締まるようにしたワイヤーを、曲げた枝に結ぶ。これでウサギが頭を突っ込むとワイヤーが締まり、負荷がかかって止め木が外れる。そうして曲げた枝が跳ね上がり、ウサギが釣れる。これを、はね式くくり罠という」
「こんなバッカみたいな罠で、本当にウサギが捕まるの?」
あたしが疑惑のまなざしを向けると、天狗さんは肩をすくめ、
「じゃあ、前日に仕掛けた罠を見に行くか」
といった。
§§
「ウサギ! ウサギが獲れてる! 可愛い!」
空中に吊り上げられ、ぷらーんと揺れるウサギ。
可愛い。
あと、思っていたより足が長い。
「殺すゥ!」
「ああん!?」
まだ息があったウサギを、天狗さんは拾った棒で、迷わず撲殺する。ボグッ! と鈍い音が響いた。
ぐすん、可愛かったのに……
「死んだばかりのウサギだが、毛皮もあってあったかいので、皮がすぐ剥ける。皮下脂肪が硬くなっていないからだ。便利だな」
その辺の木の枝に片足を結んで、逆さ吊りにしたウサギに、彼はさくっとナイフを通す。
言ったとおり、頭に向かって引っ張るだけで、皮はするすると剥げた。
「腹と頭の部分は毛皮が破けやすいから、ナイフでちょこちょこやるんだ。リィル、その医療用手袋をはめて、やってみろ」
「げぇ!」
「……やらなかったら、こいつは食えない」
そういわれると、仕方がない。
あたしはウサギに手を合わせ、手袋を装着。
天狗さんからもらったナイフを引き抜く。
「……ううう。せめて上手にするから!」
可哀そうだけど、あたしだって飢え死にしたくないもん!
軽いけど重たいナイフで、脂肪と肉の間に刃を差し込むようにして剥ぐ。
「うまいうまい」
「次はどうすればいいの?」
「尿道から刃物を入れて、腹を割く。内臓──特に消化器に傷をつけると臭くなるから、丁寧にやる」
言われたまま、ナイフを浅く入れる。
「肉しか切れてないぞ」
「だって怖いじゃん!」
「……言って聞かせ、やってみせ、か。しゃ-ないな」
交代した天狗さんは、さくっとウサギのお腹を開き、肛門に続く直腸を切り取ると、ずるりと内臓を引きずり出した。
赤くぬめった内臓は、やっぱり慣れない……
「慣れなくていい、いつまでもそうであれ。さて、庵に戻るぞ。血抜きは……あきらめろ」
内臓を深く土に埋めながら、天狗さんは変なことをいう。
動物は血抜きしたほうが美味しいというのは、このひと月であたしが学んだことの一つだった。
なのに、血抜きはあきらめろ、とは。
「
「……ふぇ?」
「病状が現れるまで、一日から二週間。血肉に触れた場所に
「ふぇええええええええ!?」
ちょ! なんて危険なものを人に捌かせてんだこのクソ天狗は!?
最低なんだけど!
「ウサギのペストといわれるぐらいヤバい病気だが、一回かかると免疫ができるし、病原体自体は熱に弱い。煮れば大丈夫だ。川で血抜きをすると、下流が大変だからな、あきらめろ。毛皮にも長い間病原体が残留するから、今回は埋めていく。もこもこはあきらめろ」
「あたしは生きるのをあきらめたくないんだけど!」
「どうどう」
「意味わからん!」
落ち着けとジェスチャーをする天狗さん。
というか、天狗さんがっつり血まみれだし!
「大丈夫なの?」
「俺は免疫がある。一度はひどい目に遭ったが、大丈夫だ。おまえも、捌くときに手袋をつけただろ。それで問題ない」
「まーじーでー?」
「本気だ、本気。第一、現代日本であるなら、それほど恐れる病気じゃないんだ、これ」
ゲンダイニッポンというと、天狗さんが住んでいるこの国の名前だ。
「ニッポンって、どんなところなの」
なんとなく訊ねると、天狗さんは沈黙した。
それから、ウサギを布袋に詰め込みながら、おもむろに語り始める。
「医療技術が発展していて、めったなことではひとが死なない、そんな国だ」
「へー」
「半面、簡単なことで人が死ぬ。人々は〝町〟で暮らしている。町には何でもある。本当に何でもだ。車という熊よりもはやい速度で走る金属の塊を、人間は乗り回し、移動手段にしてるが、もちろん
「え?」
「この森のどんな木よりも高い建物の中で働いているが、そのてっぺんから落ちれば無事では済まない」
まあ、そりゃあ無事ではすまないだろうけど……
「食べ物は溢れている。金さえあれば、死なないようにするのは難しくない。金がないやつも、頭が良ければ生きていける。手のひらほどの通信装置で、遠い国の住人と話ができて、この世界のほとんどの知識を閲覧出来る」
「すごいね。本当にすごい」
なるほど、この世界の住人達は、以前と今、どちらのあたしよりもいい暮らしをしているわけだ。
〝町〟って、すごいなぁ。
ちょっとあこがれる。
「大学っていう勉強するところに行けば、自分の学びたいことについて熱中できる。世界中の同じことを学んでいる人々と交流ができる。金さえあれば、だが……実際天国のような世界だろう」
天国のような世界。
でも、そうするとすこし、おかしなことがあることに、あたしは気が付いた。
食べるものはいくらでもあって、賢ければ死なない世界なのに。
「どうして天狗さんは、こんな森の中にいるの?」
そう、ちょっとおかしい。
彼の言うことが正しいのなら、とんでもなく発展した文明が、ニッポンにはあるのだ。
でも、天狗さんは不自由な森の中にいる。
「それはなぜ? あの熊のせいだけ?」
「……さあな」
あたしの問いかけに、彼は答えなかった。
ただ、仮面をゆっくり外して、笑っているのか、困っているのかわからない顔をするのだった。
「よし、この話はやめだ。さっさと庵に帰って、ノウサギを食うぞ」
仮面をかぶり直した彼は、快活な声でそう言って歩き出した。
あたしはなんとも言えない胸中で──ああ、この人のこと、何にも知らないんだな、と痛感しながら──そのあとを追いかけるのだった。
「待ってよ、天狗さん!」
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