危機の名は
第四話 この初期装備にクーリングオフを!
「お、おおお……」
物音で目を覚ますと、全身が痛かった。
「おうふ……」
起き上がるのも一苦労で、膝や二の腕に手の甲を当ててみると、あちこちが熱を持っている。
え、なに?
あたしの体に、何が起こってるの……?
「順当に考えて……それは筋肉痛だな」
物音の正体、朝ごはんの準備をしていた天狗さんが、弾んだ声で言う。
くそー、こっちは辛いのに楽しそうにしやがって……。
キンニクツウってなに?
「箱入り娘のお姫様が、二日も三日も山ん中歩き回ったんだ。当然筋肉がダメージを受けただろうさ。だから、筋繊維がちぎれたんだよ」
「ちぎれる!? 筋肉が!?」
「おう。でもな、リィル。それはおまえが、山に適応を始めた証拠だ。脆弱な肉体は、千切れて弱る。それが繋ぎ直されて、強靭な身体が出来上がる。で、筋肉の再生に必要な栄養は──ずばりこいつだ」
差し出されるのは、湯気を立てる木の器。
タヌキ汁の、残りだった。
「貴重なタンパク質だ。食え、そして強くなれ。生きるために」
「…………」
器を受け取り。
スープの中に浮かぶタヌキの肉を見て。
あたしは。
「いただきます……!」
手を合わせ、口の中に掻き込むのだった。
§§
「今日は、〝くくり罠〟に獲物がかかっていないか見て回る。覚悟しとけよ、日が暮れるまでには戻るが、一日仕事だ」
「うへぇ……やだなぁ、きついなぁ」
「あー、これは大事なことだから付け加えとくが、〝やつ〟のなわばり近辺をうろつくことになる。結構危険だ」
「…………。あの、あのね、天狗さん! あたし、いいこと思いついたんだけど! あたしだけ庵で待機──」
「自分で食べるものは?」
「ぐっ」
冷たいまなざしで、さも当然とばかりに復唱を求められ、あたしは言葉に詰まる。
この数日、散々叩き込まれたことなので、答えられないわけではないのだけれど……
「ポンコツだなぁ、このエルフ。きわめてポンコツ。ちょっと前に教えたことも忘れるとか、なに? おまえ馬鹿なの? 豚じゃなくて
「ち、違うし! 覚えてるし!」
「はい、じゃあ答える。自分で食べるものは?」
「じ……自分で、狩る」
「はぁい、よくできましたぁー」
ぱちん、ぱちんと、まったくやる気のない様子で拍手をして見せる天狗さん。
こやつ……!
「よくできたお姫様には、初期装備をやろう」
「ふえ? きゃう!」
ぽいっと、なにかを無造作に投げ渡されて、慌てて受け取る。
そして、その重さにおののく。
なにこれ、なんでこんなに重いの?
というか、これって……
「天狗さん、これ」
「ああ、昨日の夜、おまえが見て悲鳴を上げたやつだ。切れ味が落ちてたから、研いでおいた。抜いてみろ」
言われるがまま、あたしは。
皮の鞘で包まれた、刃をゆっくりと引き抜く。
特徴的な構造の刃は、ちょうど真ん中の部分に、刀身と一体型のリングが付いている。
ギラリとした銀色の光が、あたしの目を突き刺した。
くらくらしながら、必死で支える。
「
「でも、すごく、これ重くて」
「そりゃそうだ」
これからおまえが奪う、〝命の重さ〟なんだからなぁ。
彼は平然とした顔で、言ってのける。
「
抵抗するまでもなく手を取られて、掌の上に、ナイフを載せられる。
「そうだ、上から覆いかぶせるように握って、サムホールに親指を通す。それから、ゆっくりと小指から握り込んでいく。お姫様のちっちゃなおててでも持てる優れモノだ」
うっとりとした調子で語りかけてくる天狗さん。
顔を寄せられているので、髭がもじゃっと顔に当たるのだけれど、その不快さすら気にすることができない。
そのぐらい、あたしにはナイフが恐ろしいものに思えていた。
ナイフは、明らかに使い込んであった。
持ち手の部分は指の形にすり減っていたし、造りもくたびれている。
だから、これは、たぶん──
「俺のおさがりで悪いけどさぁ、リィルはしばらく、これを使ってくれよ。一人前になったら、ちゃんとしたナイフ買ってやるから。それまではこれで、タヌキでも捌いてさ──」
「いや!」
反射的に、あたしは嫌だと叫んでいた。
ばっと彼の手を振りほどいて、慌ててナイフを、鞘の中に戻す。
彼はきょとんとしていたが、やがて、
「へぇー」
にたぁと、嬉しそうに歯を見せて笑うのだった。
「いいぞ、考えろよ養殖エルフ。いつまでも悩め、悩むことをやめるな」
「…………」
「それはともかく、こっちこい」
手招きする天狗さん。
「やだ、絶対行きたくない」
間違いなく、頭をつかまれるのは分かっているのだ。
「……ふぅ」
まいったなと言わんばかりの表情になって、彼は仮面をかぶる。
それから、有無を言わせない調子であたしとの間合いを詰めて。
「いいか。腰に、こうやってつけとくんだよ」
シースナイフを、あたしの腰に
呆然としていると、彼はあたしの肩を軽くたたいて。
「おまえがどんだけこいつを怖がっても、これからの生活に、こいつは便利で必要だ。手指だけで捌ける獲物なんて、ほんの一握りなんだよ」
「…………」
「そういう目は怖いなぁ……わかったよ、一人前になったら、返品を受け付けてやる。だけどな、俺だって必要になると思ってるから、こんな重たいバックを背負ってるし、タクティカルベストに、普段は活躍しなさそうなものをいろいろ突っ込んでる。たとえば」
彼は奇妙な形をしたハサミのようなものを取り出し、手の中で一回転させて見せる。
「ワイヤーカッター、とかな」
「なんに使うものなの?」
「ひみつー。それより、ほら、いくぞ? 出発だ」
「ちょ、や!」
あたしの髪をくしゃくしゃとかき混ぜると。
彼はそのまま、森へ向かって歩き出したのだった。
§§
「くくり罠に代表される罠猟には、資格が必要だ。俺は持ってる。おまえは持ってないが、法律の適用外だ。罠を仕掛けたら、罠を設置した旨と連絡先などを表記したパネルを、近くの目立つところに固定しておかなきゃいけない。万一ほかの狩人の、猟犬なんかが罠にかかった時、揉めないようにするためだ」
山のなかを歩きながら、あたしは天狗さんに、簡単な罠のレクチャーを受けていた。
「はこ罠もそうだが、くくり罠はシカやイノシシでも捕まえられる強力なものだ。感圧版の周りにばね仕掛けのワイヤーを固定し、獲物が板を踏み抜くと──しゅば!」
「きゃ!? 急に何よヘンタイ!?」
いきなり振り返った彼が、ぎゅっとあたしの手首をつかむ。
抵抗するが、振りほどけない。
「痛い、痛いって!」
「そう、めちゃくちゃ痛いぐらい、ワイヤーが肉に食い込む。放っておくと、自分で足をちぎって逃げるやつがいるぐらい、これは外れない。だから、できるだけ頻繁に、罠は見回らなくちゃいけない」
「獲物が逃げちゃうから?」
「……おまえ、自分の手とか足が一本なくなったら、生きていけるか?」
「え? それは……」
たぶん、それは難しい。
この数日で痛感した。
あたしはめちゃくちゃ弱い。
手足がなくなるなんて想像したくないし、なくなったらたぶん、山を歩くこともできないだろう。
「もしかして」
「そうだ、シカやイノシシも同じだ。生きていけない、野垂れ死ぬ。無駄死にだ。そいつは、あんまりにも無意味が過ぎる」
ゆっくりと力を弱め、手を放してくれる天狗さん。
彼はそのまま、前へと向き直る。
その背中が、どことなく疲れているように見えた。
「生きるために殺すなら、道理は通る。だが、無駄死にはダメだ。いいか、覚えておけよ、リィル。俺は絶対的に、無駄な殺しをしない。なんでかわかるか?」
「殺す必要がないぐらい、天狗さんが強いから?」
「やっぱりポンコツだなぁ、このエルフはー」
彼は優しい声で、こう言った。
「それをしたら、俺は弱くなる。いや、耐えられないぐらい、すでに弱い。なにせ、〝やつ〟と同じになるってことだからなぁ──」
かすれた声音で。
見た目より、なん十歳も老け込んだような声で、笑って。
「────」
あたしは、ひどく奇妙な気分で、そんな天狗さんを見つめていた。
出会って数日。
嫌なことばかりしかなかったはずのこの数日。
短い時間の中で、それでもあたしは、彼がものすごく強いのだと悟っていた。
だからその弱音が、ただただ意外だったのかもしれない。
意外で。
どうしてそんなことを言うのか、確かめようと口を開いて。
「あの、天狗さ──」
「ほーら、言ってる間に猟場についたぞ」
あっさりと、遮られる。
「罠はそのままだと、人工物と人間の臭いが強いから、数か月土の中に埋めたりするといいんだが……しかし、かかってるかなぁ、かかってほしいなぁ、今からかかったことにならないかなぁ」
彼は弾むような足取りで──無理やり楽しそうな様子になって──ずんずん進んでいく。
「待って、天狗さん!」
そのあとを、あたしは追いかけて。
「ぎゃふん!」
彼の背中にぶつかって、その場に尻もちをついた。
「いったぁーい……ちょっと、なにいきなり立ち止まってんのよ! 待てとは言ったけど壁になれなんて言ってないわよ、このクソ天──」
「いますぐ立ち上がれ、お姫様。それで、前を見ろ。いいか? 前を見たら絶対に」
目をそらすな。
逃げ出すな。
強い口調でそう言われて、あたしはしぶしぶ立ち上がる。
言われたとおり、前を向いて。
「────」
言葉を、失った。
あったのは、赤い山脈だった。
うねる巨大な体躯。
丸太のような四肢に、長い赤色の毛足。
それなるは化け物。
悪夢のようなモンスター。
『グルア……?』
体重が五百キログラム以上あろうかという、巨大なヒグマと。
あたしは数日ぶりに、再会して。
「──ひゃああああああああああ!!」
最低だなと思いながら。
大きく、悲鳴を上げた──
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