第三話 その日に回そうタヌキガチャ!

 そのあとも、天狗さんはタヌキを殺した。

 一緒にいたタヌキをぜんぶ。


 殺したタヌキを、彼はその場で解体する。

 首に、足に切れ込みを入れ、木に吊す。

 血抜きだと言った。

 赤い、赤い血が、地面に滴って、血だまりを作る。


 木から下ろされたタヌキは、腹の部分にまっすぐナイフで切れ込みを入れられて、皮をはがれる。

 毛皮がなくなったタヌキは、哀れなぐらい痩せているように見えた。


 お腹を開いたとき、あたしは見ていられなくなった。

 湯気を上げる内臓。

 自分の心臓が、バクバクと悲鳴を上げ、目が眩むのがわかった。


 吐いた。

 その場で嘔吐した。


 怖かった、いろんなことが。


 天狗さんは、あたしになんて頓着とんちゃくしないで、取り出したタヌキの内臓とかを、土の中に埋めていた。


「食べられない部分は、土地に返す。野ざらしにすると、環境が悪くなる。〝やつ〟の餌にもなりかねない」


 そんなことを言っていた気がするけど、覚えていない。


 それからどうなったのだろう。

 気が付くと、あたしは庵に帰ってきていた。

 毛皮の上で横になって、ぼうっとしていると、天狗さんが何か料理を作っていた。


 鼻をくすぐるにおいに、お腹が鳴った。


「最低だ、あたし……」


 あんなにひどいものを見たのに。

 タヌキが殺されるのがかわいそうだって思ったのに。

 おなかが、空いている。


 丸一日、ろくなものを食べていない。

 四日前から、口に入れたものといえば、ムカデと少しの果実に、ジョロウグモだけ。

 空腹は限界だった。

 でも──


「なあ、リィル」


 切った肉──赤い──タヌキ──を鍋に放り込みながら、彼が言う。

 その表情は、いつの間にか付けられた仮面でうかがえない。


「おまえ、次は自分でタヌキを殺すんだぞ」

「え?」

「今回は教えてやる必要があったから、俺がやった。でもな、生きていきたけりゃ、自分で狩りをする方法を覚えるしかない。それが、必要なことなんだよ」

「でも、あたしは」


 あたしは、なんだろう。

 言い淀んでしまうと、次に何を言いたかったのか、よくわからなくなる。

 でも、そんな風に逃避することすら、彼は許してくれなかった。


 怖い仮面の下から、低い声で。

 天狗さんは、あたしが口にしなかった言葉を、言い当てる。


「殺したくない、だろ?」


 そう、あたしは殺したくない。だって、かわいそうで。


「でもな、リィル。腹は減るけど殺したくはないなんてセリフは──生きたこともないような奴だけが、軽々しく口にしちまうセリフなんだよな」


 ぴしゃりと、彼は否定してしまう。

 反論の余地もなく、頭の上から、言葉が降ってくる。


「誰だって腹は減る。おまえも、俺も、。腹が減ったらどうする? 飯を食うんだよ、必死でさ。死に物狂いでさ。生きるためにだよ。当たり前だろ?」


 長い沈黙。

 あたしが答えられないでいるから。

 ぐつぐつと、鍋が煮える音だけが響く。


 天狗さんが、鍋の中にいろんなものを投げ込んでいく。

 今日とった草や、キノコ、調味料のようなもの。

 ますます鍋からは、お腹に響くにおいが立ち上って。


「ほら」


 天狗さんは、お椀に鍋の中身をついで、あたしへと差し出してきた。

 茶色いスープの中に、脂肪がついた赤茶色の肉が、浮かんでいる。


「ぐっ」


 さばかれているときの、タヌキが脳裏をよぎった。

 死ぬ瞬間の声が、鼓膜を揺らす。


 吐きそうになって、慌てて口元を押さえた。


 涙目で、あたしは彼を見つめる。

 だけれど、天狗さんは容赦してくれない。


「おまえが昼間つまんだジョロウグモ。あれも生きてたんだよ。ムカデも、何なら植物だって生きてる。それを食べるのが悪いことだって? いいや、生きるためには当然のことだ。でもなぁ、ある一点をはき違えてると、おまえのように、感情に飲み込まれちまうんだなぁ」


 はき違える。

 なにを、あたしが何を間違えているって──


「…………」

「おまえは、自分が一方的な捕食者だと思ってるから、哀れみなんてものを感じる。それが間違ってるとは言わない。でもな、おまえも、俺も、タヌキも、本来的に立場の差なんてないのさ。俺たちは、こと生きることに関しては対等だ。同じ生存の輪の中にいる」

「対等……」


 そうだと、彼はうなずいた。


「平等ではない。でも、対等だ。俺たちは必ず、死ぬからだ」

「死ぬ」

「ああ、生きている限り、必ず死ぬ。あいつらだって、俺が死んでりゃ食うだろうし、腹がすけば襲い掛かってくるだろう。俺は必死に抵抗するだろうが、死んだら食われちまう。同じだ、俺たちは同じだ。生きるために食べる。食べるために、殺す。そこに善悪や、優劣なんざ存在しない。しちゃいけない」


 天狗さんは繰り返す。

 生きるために食べろ。

 生きるために殺せと。


「生きたくないなら飢え死にしろ。だが、今日までおまえの体を作ってきたのは、他ならないあいつらみたいな命だ。おまえが死ぬば、それは無駄になる。なんでか教えてやるよ、俺が誰にも食わせないからだ」

「……マィム」

「そのマィムの料理は、死にたくなるほど不味かったのか?」


 違う。

 そんなことは、ない。


「なら、食えよ」


 差し出されるおわん

 揺れるタヌキの肉。


「腹が空いたなら、食え。死にたくなけりゃ食え。生きるためには」


 食いEat殺すKillしかない。


 ぱちぱちと弾ける、薪の音。

 ぐつぐつと煮立ち、漂う鍋の香り。

 あたしは。

 あたしは──


「ごめんなさい……! あたしは、あたしはお腹が、減ったから……!」


 泣きながら。泣きじゃくりながら。

 あたしは震える手で。

 差し出されたタヌキ汁を、受け取った。


§§


「タヌキ汁は、三種類用意した。調味料と具材は一緒だが、使ったタヌキが違う。それぞれ食べ比べてみろ」


 言われるがまま、あたしは床に並べられた三つのお椀のうち、右端のものを手に取る。


「じゃあ、これから」

「ああ」

「……タヌキさん、命、いただきます!」


 彼に教わった作法──両手を合わせて、祈りをささげ、あたしはタヌキ鍋に口をつけた。


「──!?」


 思わず吐き出しかけて、ぐっと堪える。

 生臭い。

 獣臭い、不味い。

 天狗さんに、タヌキの剥いだ皮の匂いを嗅がせてもらったけど、それを何十倍も濃くしたような、ひどい臭いだ。


 それでもあたしは、必死で噛んで──口のなかが獣臭さで塗りつぶされる──飲み込む。


「どうだ?」


 天狗さんの問いかけに、躊躇いながらも、


「生のムカデより不味かった……」


 と、答える。

 すると彼は仮面を外し、二カッと笑う。


「だろうな」

「だろうなって……」

「タヌキってのは雑食性だ。食ってるもんが偏ると、肉の味にダイレクトで影響が出る。たぶん木の実とかほとんど食わずに、屍肉をむさぼってたのがこいつだ。ついでにいえば、こいつは血抜きが不完全で、調理法としても湯がいただけだ。覚えとけ、動物は血を抜かないと、ここまで臭くなる」

「……はい」

「よし。じゃあ、真ん中のやついってみるか」


 今度は口にするのに、勇気が必要だった。

 それでも、一種の使命感で、あたしは食べる。


「……あれ?」


 思ったよりも、獣臭くない。

 というか、断然食べやすい。

 それに、脂がのっていて、トロっとトロける。


「なんで? どうしてこっちは美味しいの?」

「こいつの胃の中身は、虫と木の実だった。だから、臭みが減ってる。血もしっかり抜いた。夫婦や家族だったろうに、ここまで差が出る。最後のひとつは、これで口をゆすいでから食え。間違っても飲み込むなよ?」


 渡された竹筒には、すっとする香りの、透明な液体が入っていた。

 あたしは言われるがままに口をゆすぐ。

 ……なんだろう、苦いし、変に甘い。

 庵の外に行き、ペッと口の中身を吐き出すと、びっくりすることに、獣臭さがなくなった。


 室内に戻り天狗さんに訊ねると、「酒という飲み物だ」と教えられる。

 すすめられるまま、あたしは三つ目のタヌキ汁に手を付けた。


「うんンまああああああああああぁあい!!」


 びっくりして叫んだ。

 なんだ、なんだこれ?

 めっちゃくちゃ美味しい!


 匂いは確かにあるけど、全然違う。臭みじゃなくて、コクのある味!

 それで、脂身がめっちゃとける! トッロトロ! 肉自体ものすごく柔らかい。

 これ、凄くおいしい!


「三匹目は、食べてたものが山ブトウとかの、木の実だけのやつだ。これでもかと、下処理をした。脂もたっぷり乗っていて、絶品だろ?」

「うん!」

「そっか」


 うれしそうに笑う天狗さん。


「タヌキの脂身は融点が低い。普通に触っているだけで溶けだしてくるぐらいだ。体がポカポカあったまってくるところも、特徴的だな」


 確かに、あたしの体はポカポカしていた。

 暑いぐらい。

 ハフハフ言いながら、鍋を食べる。

 まるでタヌキが、あたしを温めてくれているみたい。


「命を食えば、命が巡る。その熱は、命の熱量だ。タヌキは普段食ってるもので、味が顕著に変わる。ほかの動物でもそうだが、この辺りは捌いてみるまでわからないなぁ。だから、娘がはまっていたガチャガチャというくじ引きの一種に例えて、俺はタヌキを獲ることを、タヌキガチャと呼んでいる。はこ罠にかかるかどうかも、含めてな」

「それは、なんだか遊んでるみたいで」

「そうだな。だが、楽しむことは悪じゃない。それに、俺は──」


 彼は、あたしが残していた臭みの強いタヌキ汁を手に取ると。

 一息に、口の中に流し込む。

 さらに鍋の中身もどんどん器に盛って、がつがつと食べ始める。


「俺は、自分で獲ったものは絶対に残さない。狩った命は、余さず食う。これが、生きるってことだ」


 唖然と見つめていると、天狗さんはそんなことを言った。


「言っとくが、これは俺だけの原則ポリシーだ。押し付ける気はない。俺だって、美味いもんを食うほうがいいし、楽しいほうがいい。だから料理で工夫もする」

「あたしは」

「おまえは、いまだけ俺の言うとおりにしてろ。基礎ができるようになったら、自分で生き方を探せ。死にたくなけりゃ、色々と覚えろ。あと」


 なんかいいことを言っている風な天狗さんは。

 そこで、見たこともないような顔になって。

 すごく、すごーく悪そうな顔で。


「おまえ、臭いエルフになれよ。いろいろ食って、この狸より、よっぽど不味いやつにな」


 ……デリカシーのかけらもないことを、言い放ちやがった。

 あたしは。


「最低だ、このクソ天狗! ベーだ!」


 せめてもの反抗に、舌を出して見せるのだった。


§§


 お腹いっぱいになったあたしは、気が付いたらまたも、眠ってしまっていた。

 タヌキ汁を食べると、体がポカポカになったんだもの、しかたがない。


 目を開けると、庵のなかはほとんど真っ暗で、小さなろうそくの明かりが、ゆらゆら蠢いている。

 なんで目が覚めたんだろうと、不思議に思っていると、


 シュッ、シュッ、シュッ、シュリ──


 という、奇妙な音が響いていることに気が付いた。

 目を凝らすと、ろうそくの横で、天狗さんが何かをしている。

 どうやら彼は、刃物を研いでいるようで──


「みーたーなー……?」

「ひゅい!?」


 振り返った彼の顔には、ゆらゆらと陰影が刻まれた、恐ろしいの天狗のお面!

 そして、鋭いナイフが握られていて──!


 あたし、天狗さんに食べられちゃう!?

 イ──イッツアピーンチ!

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