第二話 初めてのチョコレート
「ふーふーふーふーふふんー、ふーふーふーふーふふふ──」
どこか機嫌がよさそうに、鼻歌を歌っている天狗さん。
「お腹が減ったー!」
しかし、あたしは我慢の限界だった。
叫ぶ。
だって、あれからもう二十分も歩き詰めなんだよ!?
先を歩いていた天狗さんが、立ち止まってこちらを振り返る。
「さっき食ったばっかりだろ、木の実」
「ぜんっぜん足りないわよ。そもそも朝ごはん食べてないし!」
「やっぱ豚か、大食らいだな……」
うんざりと首を振る天狗さん。
いや、常識的に考えてあり得ないから。
朝ごはん食べずに一日を始めるとか、理不尽もいいところだから。
「わかった、わかったよ。わかったから、おっかない顔をするな」
「あんた、さっきからちょくちょく草とかキノコとか採ってるじゃない、それ食べられるんじゃないの?」
「あ?」
彼は嫌そうな顔をするが、目ざといあたしは気が付いていた。
あたしが休憩するたびに、天狗さんが周囲を探索して、いろいろと採取していたことを。
ずるい。
多分独り占めするつもりだったのだ。
許されない。
「独り占めって……これはな、あとで食べる鍋の──ま、いっか」
どうやら議論が馬鹿らしくなったらしい天狗さんは、あたしを連れて、木々の周りを物色し始める。
ほどなくして、彼は木の枝の一部を指さして見せた。
「あれ、わかるか」
わかるかと言われれば、わかる。
八足モクゥの巣だ。
村でも、モクゥ同士を喧嘩させる遊びは流行っていた。
「モクゥか、そりゃあいい。こっちでは、蜘蛛という。こいつはジョロウグモで。でかいから、たぶん雌だな」
「あんた、見ただけで雄と雌がわかるの?」
「人間だって男女はわかるだろ。それに、ジョロウグモは極端だからなぁ」
彼はそのジョロウグモをひょいっと捕まえると、驚いているあたしの目の前に持ってきた。
黄色と黒のストライプ柄がセクシー。
長い手足を、わしゃわしゃ動かす。かわいい。
「ジョロウグモの雌は大きい。対して雄は、豆粒のように小さい」
「マメツブ?」
「こんくらいだ」
小指の爪の先を示されて、なんとなく納得するあたし。
天狗さんは、説明を続ける。
「ジョロウグモ以外の蜘蛛で、雄雌を見分けたければ、まずは頭を見るんだ」
「頭って、この胴体とは別に足が生えてるとこ?」
「うん、その足は
くるりと裏返されるジョロウグモ。
腹の鮮やかな赤色が眩しい。
「この腹の部分に、生殖器がある」
「生殖器って、なに?」
「────」
「なんでそんな、『おいおいマジかよ、勘弁してくれよ……』みたいな顔すんのよ」
「子どもを作るための穴があるんだが、そこに」
「ちょっと、なんでさっき黙ったのよ! 教えなさいよ!」
「あるんだが!」
うっとうしそうに大声を上げた天狗さんは、勢いで続ける。
「そこに、
「へー。ところでコービってなに?」
「…………」
「だから! なんでそんな顔すんのよ!?」
わめいては見るけれど、当然彼は何も教えてくれない。
この自己中男が、自分の言いたいことしか口にしないのは何となく察しがついてきたので、ここは大人のあたしが譲ってあげることにした。
あたし、奥ゆかしい!
「で、突然ジョロウグモなんて捕まえて、どうすんの?」
「食べろ」
「……マジかぁ」
いやぁ、わかってた。
うすうすそんなことだろうなぁって思ってた。
でも、ちょっと抵抗あるなぁ。モクゥはペットだからなぁ……
「なんだぁおまえ? 腹が減って動けませーんって言ったのはどこのどいつだ? まさか、うそをついたのか? うそつきはいらない子するぞ」
「違くてぇ、あたしの村でモクゥはペットで……というか、生ディムカのトラウマが!」
「さきに言ってやるが、昨日から食ってきたもんの中で一番うまいからな、ジョロウグモ」
「いただきます!」
その一言が、契機だった。
手足をちぎってもらったジョロウグモを、あたしはためらいなく口の中に放り込む。
「ぬお!?」
腹を噛むと、プチっという食感とともに、どろりとなにかがこぼれてくる。
途端に香ばしい香りと、マイルドな甘さとほろ苦さが広がって、非常においしい!
これ、本当においしい!
「チョコレートみたいな味だよな、それ」
「チョコレート、これがチョコレート」
「焼くか揚げれば、手足もカリカリして美味い。毛むくじゃらのやつは、体毛を焼かないと口のなかがかぶれるが、こいつはそんなこともない」
こやつ……その毛むくじゃらのモクゥも食ったな……?
「さてな。ジョロウグモは茹でるとさらに香りがまして、枝豆のような上質の旨味を楽しめる。大豆からチョコを作る技術は確立されてるから、その辺の味は近いんだろうな。もう少しすると卵を抱えるようになって、尋常じゃないぐらい絶品だ」
「めちゃうま……ちょっと、果物に戻れなくなる……これ、マィムにも教えてあげたい」
あたしがぽつりとつぶやくと、
「マィム?」
と、天狗さんが首を傾げた。
「うん、あたしの世話係。ずっと年上のエルフで、お団子髪で、目と髪の色はお揃いだったの。モクゥがこんなにおいしいって知ったら、驚くだろうなぁ」
「ふーん」
「そういえば、マィムは料理が得意だったんだよ! バターケーキが絶品でね! そっか、料理ってすごいんだね」
「料理と命、両方がすげーの。さて、多少すきっ腹もまぎれただろ、先を急ぐぞ」
「あ、待って! もう一匹! もう一匹だけ食べさせて!」
あと、結構味が残るので、水を寄越してプリーズ。
§§
それからさらに歩き詰め、ようやく目的地にたどり着いた。
猟場。
まばらに低木が生える、見通しのいい開けた場所。
一面に枯れ葉が落ちていて。
その枯れ葉の上に、いくつか格子になった箱が置かれていた。
「この国の動物──鳥獣ってのは法律で保護されてる。特殊な許可を得るか、秋から冬にかけてのこの時期、免許を持った猟師だけが捕獲を許されるんだ。これは〝はこ罠〟だ。文字通り金属の箱で──中につるした餌に食らいついたら扉が閉まる、檻の罠だ」
「天狗さん」
「ああ、結構獲れたな。大量だ」
六つあった〝はこ罠〟のうち、三つに動物が入っていた。
灰褐色の体毛をもつ、ずんぐりとした体格の、目の周りと、足の先が黒い動物。
「こいつが、タヌキだ。基本的に夫婦で行動するから、こいつら多分家族だろう」
タヌキ。
『キャワー! キャワウェー!』
そいつらは箱の中をくるくると回り、懸命に鳴き声を上げて、あたしたちを威嚇していた。
怯えているみたいだった……
天狗さんは、そんなことは意にも介さず、罠のほうへと近づいていく。
そうして、素早く罠の蓋を開けると手を突っ込み、タヌキの後ろ足をつかんだ。
「天狗さん」
「あ?」
「その子、どうするつもり……?」
「どうもこうも、見りゃわかるだろ?」
暴れるたぬきが噛みつこうとするのを器用に避けながら、彼はまた、あの笑みを浮かべて見せる。
歯を見せて、うれしそうに笑って。
「殺すゥ」
たぶん、口にするより行動する方が早かった。
天狗さんは、タヌキの後ろ足をつかんだまま大きく振り回し、近くにあった木の幹へと、その頭を思いっきり叩きつけたのだ。
『ギュキュン!?』
タヌキは一声悲鳴を上げた後、ぐったりと動かなくなった。
そんなタヌキの首に、彼の手がかかって。
「天狗さん!」
「……ここはな、具体的な場所は言えないけどさ、日本の九州にある猟区なんだなぁ。だから狩猟免許を持っている俺は、秋から冬の間、ここで狩りができるわけだ」
「かわいそう、かわいそうだよ……」
「リィル、おまえはこの世界の人間じゃないから、たぶん法律には該当しない。おまえもいずれ、こいつらを狩ることになる」
「やめてあげて……こんなの」
「残酷か? おまえが残酷だと感じるのは自由だが、許可を持って狩猟するやつは、鳥獣に無用な苦痛を与えることが許されない。タヌキの絞め方はいくつかある。罠ごと溺れ殺すか、毒で殺すか……どっちも苦しんで、肉の味が悪くなる。これが一番、苦痛の少ない殺し方なんだよ」
その逞しい腕が、魔手が、タヌキの頭を掴み。
「て──」
彼の名前を呼ぼうとした。
だけれど、それよりも早く。
ゴキリ。
タヌキの首が、明後日の方向を向いた。
あたしは──動物が死ぬところを、初めて見たのだった。
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