第四話 絶品! ムカデ料理!
はっきり言うと、我慢できなかった。
空腹が、ではなくて。
心細さが。
「ひっく、えっぐ……痛いよぉ、寂しいよぉ、お腹減ったよぉ……」
誰もいない庵に、ぽつんと放置されると、自分の境遇を思い知らされてしまう。
あたしはいま、頼る相手がどこにもいない。
天狗さんは、なんか意味不明に怒って出て行っちゃったし、外に出たらあのモンスターがやってくるらしいし。
なんでもやってくれる、お団子髪の世話係だっていない。
つんでる。
あたしの人生、つんでる。
あの仮面の男は、あたしをお姫様じゃなくて、ヨウトンジョーの豚だって言った。
意味はよくわからないけど、それならそのほうがましだった。
一日が、こんなに長くて苦しいものだなんて、知らなかった。
お腹がすきすぎると動けなくなるなんて、わかりたくもなかった。
空腹なんて、初めて知った。
話し相手がいないなんて、初めてだ。
初めてのことばかりで。
それが、ただただ辛い。
苦しい。
あたしは小さく丸まって、すすり泣くことしかできない。
「無力……」
今となっては、クソ村長の顔すらなつかしい。
この場にいてくれたら、美味しいご飯と甘い水を持ってきてくれたら、うっかり許してしまいそうなぐらい、人恋しい。
独りが、怖い。
こんな小さな庵なのに。
こんなにも
「最低だ……」
もう駄目だと思った。
お腹が空きすぎて、辛すぎて死ぬと思った。
あのモンスターに出遭ったときの、激しさを伴う悲壮感とは違う、ゆるやかな絶望に支配されそうになった。
そんなときだった。
ギィッと音を立てて、庵の扉が開いた。
赤い仮面の、長い鼻の仮面をつけたあの人が──帰ってきた。
思わず、あたしはわめく。
「な、何してたのよ、天狗さん! あたし、あたしもう少しで、死ぬところで──」
「そっか。死ぬほど腹が減ったのか。安心していいぞ。ごちそうを、作ってやる」
「……!」
彼は小さな籠を、あたしに差し出す。
その中には──
「いやああああああああああああああああ!?」
ディムカが!
ディム、いや、ムカデが!
うねうねと、うじゃうじゃと、なんか二十匹ぐらい蠢いていた!
ひっ、これはエルフでも引く。
「今日の飯は、これだ」
「うえぁあ……」
「ときどき変な言葉話すよな、母国語か? ここは日本の九州だが?」
違う。
これは悲鳴だ。
名状しがたい心の声だ。
あたしは物語が大好きなので、語彙力だけはあるのだ。
「天狗さん、天狗さん」
「なんだよ、養殖豚」
「ぶ、ぶたぁ!?」
い、いや、このさい置いておこう。
「そうじゃなくてね、あのね? 本当にあたし、それ食べなきゃいけないの……? ほら、あそこに干し肉とかぶら下がってて」
「あれは俺の分」
「分けてくれたっていいでしょ、ケチー!」
「あー」
間の抜けた声を出して、仮面からはみ出した顎鬚をなでる天狗さん。
彼はそのまま。
あたしの頭を、がしりと掴む。
酷い、力だった。
「なぁ、お嬢ちゃん? だれかれ構わず噛みつくのは、そりゃあ威勢がいいけどさ。それで? もしそれで、自分の首が飛んでもおまえは、同じことが言えるのか? 俺は、おまえが死んでも悲しくないよ?」
「……っ」
息をのんだ。
この人が、本気で言っているのが分かったからだ。
天狗さんは、確かに悪人じゃない。
もっと……ずっと怖いひとだ。
たぶんだけど、村長なんか比べ物にならないほどに。
まったく別の視座を、抱えている人間だと理解した。
あたしは黙って、全身の力を抜く。
無抵抗をアピールするために、這いつくばって両手を上げる。
屈辱的だけれど、死にたくない。
そうしていると、頭を締め付けていた力が、少しずつ弱まっていく。
「よしよし、いい子だ。ところでお嬢ちゃん」
優しい声になった彼が、こう訊ねてきた。
「生きたいって、思ったことあるか?」
「……いま、死にたくないと思ってる」
「そっか」
仮面を外した天狗さんは。
やけに機嫌がよさそうに、笑っていた。
§§
「ムカデ料理のコツは、一にも二にも火を通すこと。生のままだと、味うんぬんより臭みが強すぎる。だからまず、こうやって頭を落とす」
まな板の上で、鉈のようなナイフを振り下ろす天狗さん。
ダン! と音を立てて、ムカデの首が飛ぶ。
デロッと、糸を引いて体液がこぼれる。
「ここには毒がある。食えなくはないが、硬いし、いきなりお嬢ちゃんには無理だろ。できれば背ワタも抜く。エビとかと同じで、消化器の臭いがするからだ」
「……ほんとにあたし、これを食べるんだ。地獄かな?」
「あっちじゃ食ってたんだろ?」
「でも、こっちのはゲロマズだしぃ」
「はん」
あたしの文句なんて、一笑に付されるだけだった。
「黒焼きはお勧めできないから、ひとつは素揚げにしよう」
ポンと熱した油に投げ込まれるムカデ。
うぇ……うねってる、まだうねってるよぉ……
あ、でも、紫色が鮮やかになって、なんとなく知ってる食べ物っぽくなってきた……?
「もう一品、こっちは比較的食べやすい。漬け焼き……は、間に合わないから、タレを塗ってかば焼きにする」
スコンと串を刺される大きなムカデ。
ピーンと、その節くれだった体が伸びる。
天狗さんはそれを、どこからか取り出した、なみなみと黒い液体が満たされた壺に漬けて。
囲炉裏の周りに突き立て、あぶり焼きにしていく。
あたしは何とも言えない気分で、料理が出来上がるのを待った。
気分的には地獄の様だった。
うん、地獄。ほかに例える言葉もない。
ぐー……。
しばらくしたころ、お腹が急に鳴り始める。
やたら香ばしい匂いが、鼻をくすぐっていた。
え、なにこれ……おいしそう……?
「よーし、できた。ほら、食え。冷めないうちに、どんどん食え」
本日の
ムカデの素揚げに。
ムカデのかば焼き。
──地獄じゃないか!
「いっぱい食えよー」
天狗さんが、無責任にそんなことをいう。
無駄においしそうな感じで、皿に盛りつけられたムカデたち。
それでもあたしは、噛まれた経験があったから、ちょっと臆してしまった。
ためらっていると、天狗さんの逞しい手が伸びる。
またぞろ頭をつかまれるのかと、怯えて首をすくめると。
彼の手は、ムカデの素揚げをつかんだ。
仮面を少し持ち上げ、そのまま口に運ぶ。
バリ、バリリ。
音を立てて、彼はムカデを噛み砕く。
まるで、大丈夫だろう? と言わんばかりに。
あたしは。
「もう、最低!」
意を決して、ムカデの素焼きを口に運んだ。
口当たりは……え、なにこれ!?
サクサク!
めっちゃサクサク!
薬っぽい香りは残っているけど、これはこれであり!
軽い口当たりで歯触りが楽しい。
空腹もあって、思わず次のムカデに手が伸びてしまう。
天狗さんは快活に笑って、もう一つの皿も差し出してくる。
ここまでくれば、勢いだ。
毒を食らわばなんとかまで。
あたしは、一息に串へとかぶりいた。
「美味しい……!」
目を見開くようなおいしさ。
素焼きは香りに難があったけれど、こっちはすごくおいしい。
コクがあって、香ばしくて、絶妙な甘じょっぱさで。食欲を増進させる特徴的なこれは……?
「この、この味付けのタレは」
「ああ、醤油だな。正確には醤油ベースの万能ダレだが。九州の醤油は特有でな、旨味と甘みが強い」
「ショーユー……」
おいしい、ショーユーおいしい!
ディムカの果物のような味とは違う、本格的なご飯の味。
甘辛カリサク。
「はぐ、はぐ、むぐ……あむ!」
気が付けば、あたしは夢中になってムカデを食べていた。泣きながら食べていた。
ぼろぼろと、ぼろぼろと、涙がこぼれる。
あとからあとから零れ落ち、全然止まらない。
「なんで……なんで泣いてんだろう、あたし……」
「さあなー。でも、死んじまってたら今頃、泣けもしなかっただろうなぁ」
それは……。
「飯を食うってことは、生きてるってことだ」
「生きること……でも、ディムカ、あんなにお腹が減ってたのに、ゲロマズだった」
「空腹は最大のスパイスだが……それ以前にな、調理法の問題だ。殺したもんは食うべきだが、どうせなら美味いほうがいい。お嬢ちゃん、それが食事だ」
「食事……」
「好きなだけ食えよ。まだまだ、たくさんある。水も飲め、さすがにのどが渇くだろ。食い終わったら、寝ろ」
寝ろって、言われても。
「あたしは」
「うん?」
涙をぬぐいながら、あたしは訊ねる。
「あたしは、明日から、どうすればいいの?」
森を降りることもできない。
元の世界にも帰れない。
ヨウトンジョーの豚だったあたしは、何も知らない、何もわからない。
でも、このままじゃ死ぬ。
だとしたら──
「いいか、リィル。俺はおまえのお母さんじゃない。だから、いっぺんしか言わない」
天狗さんは。
彼は、仮面を外し、真剣な顔で。
まっすぐに、こう言った。
「生きていたけりゃ、食うしかない。死にたくなければ、自力で獲物を狩れ。やりかたは、死なせなかった責任を取って、俺が教えるから」
その言葉に、あたしは。
リィル・イートキルは。
「え、やだ、めんどい」
「うりゃ」
「あいったー!?」
真顔で否定して、また頭を締め付けられるのだった。
§§
「ゆっくり寝ろよ、お姫様。明日は、タヌキガチャを引きに行くからな」
食べ終えて、気が緩んだのだろう。
睡魔に襲われ、崩れ落ちたあたしを、天狗さんは抱き留めて。
そんな風に、言ったのだった。
言葉の意味はさっぱり分からなかったけれど。
漠然とした不安に、あたしはうなされることになるのだった。
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