ファクション

天霧朱雀

ファクション


<Topic>

「T県、踏切で立ち往生したトラックと衝突…数十名が重軽傷」


 6月28日午前6時12分ごろ、T市中央区の××駅から南に約750メートルの鉄道線路で、快速列車(3両編成)が脱線する事故があった。1両目と2両目は脱線し、トラックとぶつかった1両目は横転した。けが人については横転した1両目に乗っていた女子高校生1名と会社員3名が重症だったが、現在は4名とも意識が回復した模様。その他、多数の軽傷者が病院で手当てを受けている。

 運輸安全委員会は、鉄道事故調査官を29日に現地へ派遣することを決めた。



 始発。初夏の割には涼しい時間帯。無人駅に立つ自分の片手には学生鞄と携帯電話。命綱のように縋っている現実は、息をするより簡単な死にたいを画面で呟く。

 朝日に照らされた水色の街を背にして、レールを走る箱を待っていた。ほんの少し透明度の高い空気が沈殿する。フェンスの向こうで茶色い野良猫が私の事をじぃっと見つめていた。


「おはよう」


 なんて、話かけてみると足早に立ち去ってしまった。奴らにとっては「こんばんは」かもしれない。くだらない返しを頭の中で壁打ちして、そっと息を吐いた。

 朝っぱらからシングルマザーに鞭打った。母は「サチのためを思って」と声を潤わせていた。私はそんな母の泣きそうな声が嫌いで「うっさいなぁ」と反論した。


 おかげで父の遺影へ挨拶する事を忘れた。親不孝と自らの口で罵りながら、どうして母はお金のかかる子育てなんて趣味を続けているのだろう。歳を取らなくなってしまった父親の若い頃の写真を前に、自分自身の価値を問う。これも反抗期に含まれるのだろうか。


 携帯電話がチリンッと鳴った。クラスで一番早起きの瀬戸ちゃんからのメールかと思ったら知らないアドレスからだった。

 フォルダを開いて電車が止まった。画面を見たまま乗車する。よくあるチェーンメールは不幸の手紙。ふと顔を上げると、電車には真っ黒い礼服の男、三十代のソレがひとり座っていた。

 プシュゥッと音が耳へ届き、ドアが閉まる。


 電車の揺れには揺り籠みたいな作用があって、手摺りに茶色の髪をこすり付ける。鞄のひもをギュッと握って目指すは 学校、最寄駅。


「不幸の手紙、か」


 生きていることは簡単だ。生きることに怯えている。生きてゆくことはとても苦しい。すでに不幸の渦中にいるなら、奈落の底はどこだろう。


 チリンッと着信。メールの続きはアダルトサイトのフィッシング。消費されるのは私たち、私は消費しない側。嫌になって携帯電話は電源を切ってポケットへ封印した。


 ガタゴトンッと電車が揺れる。レールを滑る摩擦は空気抵抗とどっちが大きいのだろう。物理の教科書は好きな歌の歌詞カードにしてしまった。成績は伸び悩む、将来何てありはしない。期待しない未来はすぐ目の前で、なんとなく大学進学で執行猶予。憂鬱を噛み締めてMDにスイッチを入れる。イヤフォンでリアルを拒絶。ポップもロックも好きじゃない。鼓膜は外国語の連なりこそをウタと感知した。


 洋楽は好き。外国語は日本という現実味が無いから楽になる。ティク、ミー、ホーム。カントリィ、ロード。人は何処からやってきたのか。どこに還るのか、生物では習わない。ルーツなんてどうでもよくて、現代社会は目の前の数字だけが欲しがる。あなたが望んだ故郷は、あなたの事を望んでいないかもね。そんな意地悪が脳裏をチラチラよぎって消えて、泡沫った。


 不意に肩をポンポン叩かれた。スダレのような長い髪を掻き上げて、叩いた主を凝視する。隣に立つのは、さっきまで離れた席に座っていた礼服の男だった。


 イヤフォンを片方だけ外すと「学生、キミはこの電車に乗るべきではない」と不思議な命令をされた。


「なんで、ですか?」

「この電車に乗っていると未来は無い。次の駅で降りて、一本遅らせなさい」

「嫌ですよ、今日は委員会当番で早く学校へ行かなくちゃいけないんです」


 わけのわからない状況下で納得する方がどうかしている。


「それに見ず知らずの人にそんな事を言われる筋合いないです」

「私は死神なんだ。次の駅でいつもより乗車人数が多くなる。ガラガラの電車なら止まれたかもしれないが、踏切で立ち往生した二日酔い気味のトラック運転手とその車両が接触する」


 不自然なくらい落ち着いた様子で、気味の悪い冗談みたいな発言をする。私は外したイヤフォンの片方をくるくると指で巻きつけて遊ばせていた。


「そんな話、証拠も無いのに誰が信じるんですか」

「死んだら天国も地獄も無い。あるのは時を織る透明な存在。キミは運命を捻じ曲げられてここにいる。時は織るよう定められた者以外が死んだ場合、あるのは酷く退屈で憂鬱な檻だけだ」


 死神と名乗る男の声は強張った。感情の色が見えるのが不思議で私は顔を上げた。


「私は誰に呼ばれてここに居るんですか?」

「キミは無事に看取れたら檻から出れる。けれどキミは時の檻には耐え切れない。いや、俺が耐え切れない」


 私の目に写るその顔は、どこかで見た事があった。


「あの、」


 覚悟みたいな表情を張り付けた顔は、微笑みながらゆっくり首を振った。


「今なら誰も見ていない。監視の猫もここにはいない」


 停車駅のアナウンス。開いたドアからは木漏れ日のような太陽の光。納得はできないけど、気味が悪いから男へ背を向ける。

間仕切りを跨いだ時、そっとテノールの優しい声が聞こえた。


「振り返らないで行くんだ。――紗薙サチ


 耳触りのいい声が空気になじんで消えた。点字ブロックの黄色を踏みしめた時、私は振り返った。


「えっ」


 ちゃんと見たかったその姿。私の知らない、けれど、私が誰よりも知っている大切な半分。記憶へ焼き付けたかったはずなのに、目の前は真っ白でよく見えなかった。

 





 意識が白黒する。

 薄ぼんやりとした視界で目に入ったのは、緊急患者の優先タグは赤色のトリアージだった。音だけの世界が広がっていく中、きっと私の終わりが近いと悟った。


 手を伸ばしかけた空は晴天。手足が返す信号が、痺れて感覚が無い。


 分からないから教えて欲しいよ、死神さん。あなたは迎えに来てくれないの?

 パンドラの箱だったら最後に残ったのは希望らしいけど、オルペウスだったら私は絶望しながらこれからを生きていかなきゃいけないね。あぁ、だから〝酷く退屈で憂鬱な檻〟なんだ。


「ご、めんね」


 次に目を覚ます時は、果てのない宇宙へと繋がる先は煉獄れんごくだっけ。

 

 私はそっと意識を手放した。



 ――ねぇ、父さん。さっきはごめんね。振り返ってしまったから、私はきっと。




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