コップの中の漣
一視信乃
水の面に星合の空
今日は七夕。
だからってワケじゃないけど、カレシの家で久々の、お泊まりデートだ。
ホントは美味しい手料理で、胃袋を掴んでやりたいトコだけど、時間もスキルも足りないから、最寄りの駅ビルで総菜を買ってくことにした。
駅ビルの出入り口には、大きな笹飾りがあって、願い事が書けるよう、短冊も置いてある。
ちょっと浮かれてたあたしは童心に帰り、何か書いてみようかとペンを取ったけど、いざ書こうとすると、何も願いが浮かんでこない。
キャンパスライフは楽しいし、違う大学に通う高校時代からのカレシともラブラブだし、いい会社に入れますように、なんて願うのも、さすがにまだ早い気もする。
少し迷ってから、『織姫と彦星が、ちゃんと会えますように』と書いた。
すでに梅雨は明けたけど、今日の天気は曇り空。
でも、時々晴れ間がのぞくらしいから、たぶんきっと大丈夫だろう。
総菜屋で、唐揚げとポテトサラダを山盛り買って、あたしは駅ビルを出た。
彼のマンションは、駅の南口から徒歩7分くらいのトコにある。
どうせ彼はまだバイト中だろうから、あたしは預かってる合い鍵で、勝手に中へ入った。
電気とエアコンを付け、総菜の袋はテーブルに、カバンは床に置いて、ホッと一息。
部屋に残った昼間の熱を、ほんのりカビ臭い風が急速に冷ましていく。
涼しくなるまでまだ時間がかかるだろうし、何か冷たいものでも飲もうかと思ったら、スマホに彼からのメッセが届いた。
『ゴメン。今日帰れないかも』
「えっ」と思わず声が出る。
『他のバイトが、急に来れなくなって。イチオウ、終電前には上がらせてもらうつもりだけど』
「そんなぁ。総菜、あんなに買ったのにぃ」
今度はわざと、声に出して文句をいう。
だけど、ホントは納得してた。
彼が、そういう頼まれごと断れない人だって、知ってるから。
気が弱いとかじゃなくて、優しいからだってことも。
「仕方ないなぁ」
織姫と彦星は、年に一度しか会えないけど、あたしたちは、いつでも気軽に、それこそ明日になれば会えるんだし、これくらい我慢しなくちゃね。
あたしは、ガンバレってスタンプだけ送り、スマホを手放す。
そういえば、何か飲もうと思ってたんだっけ。
冷蔵庫からペットのお茶を出すと、ガラスのコップになみなみ注ぎ、それを手にバルコニーへ出た。
なんとなく、星が見たくなったのだ。
織姫はベガ、彦星はアルタイル。それに、白鳥座のデネブを加えれば、夏の大三角形になる。
それくらいは知ってるけど、それが今、どこにあるかは、わからない。
そもそもこの辺は、夜でも街が明るいから、晴れていようが雲ってようが、星の光は地上まで、届かないかもしれない。
それでも、あたしは空を見上げた。
ここは5階の角部屋で、遮るものは何もない。
だけど、空はぼんやりとして、どんなに目を凝らしても、輝き一つ、探せなかった。
まあいいかと、お茶を飲む。
ここからは見えなくたって、この空のどこかでは、ベガとアルタイルが輝いてるハズだもの。
そういえば、江戸時代の人たちは、七夕の夜、タライに張った水の
あたしもそれに習い、手にしたコップを空に掲げた。
半分くらいになったお茶の水面に、星空が映ってる──と思い込む。
ここからじゃ見えないけど、勝手にそう信じて、コップを揺らしてみる。
ゆらゆらと。ちゃぷちゃぷと。
二つの星は、くっついただろうか。
コップの中の漣を見上げ、ひっそりと笑う。
「そうそう、織姫は確か、サザナミ姫とも呼ばれてたっけ」
「それをいうなら、ササガニ姫、だろ」
すぐ後ろで声がして、あたしはビクッと振り向いた。
「ササガニはクモのことで、クモが糸をかけるところが、機織りしてるみたいに見えるから、織姫の別称になったんだ」
優しく心に染み透るような、チェロを思わせる中低音ボイス。
そんな声が似つかわしい、優しい笑顔がそこにある。
それがスゴく嬉しくて、今すぐ抱きつきたいトコだけど、コップ持ってたから遠慮して、代わりに気になったことを聞いた。
「
「こないだ代わってやったヤツが、入ってくれた。それよか、腹減ったよ。とりあえず、飯食おうぜ、飯」
「あっ、あたし、唐揚げ買ってきたよ。ポテトサラダも」
「ああ、見たよ。サンキュ。俺は、うちのコンビニのヤツだけど、七夕だから、そうめんと、サヤの好きな牛乳プリン、買ってきたから」
「わーい。食べよ、食べよっ」
彼にくっつき、あたしも一緒に中へ入る。
ぬるんでしまった飲みかけのお茶は、部屋の灯りを映し込み、キラキラ小さく波打っていた。
コップの中の漣 一視信乃 @prunelle
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます