きみと雑煮とおいしいお酒
凍った鍋敷き
きみと雑煮とおいしいお酒
太陽がオレンジ色だ。
冷え切った朝の空気の中、つないでいる手が暖かい。
朝日がオレンジに見える俺の横には、ひと月ちょっと前から付き合いだした彼女、香織ちゃんがいる。
大みそかの夜から香織ちゃんと初もうでに出かけて朝帰り。
神社から近い香織ちゃんのアパートへお邪魔することになった。
「凄い人だったねー」
「香織
「健吾君が手を繋いでくれてたからね」
寒さからかほっぺが赤い香織ちゃんが笑顔で白い息を吐いた。
ちくしょう、可愛いなぁ。
俺のほっぺがだらんと緩む。
香織ちゃんとは同じ会社で課が違う残業仲間で、『年下の先輩』という、ちょっと不思議な関係だ。
ちっちゃくって寒がりでモコモコユ雪ダルマな香織ちゃんは、色白でぷにっと柔らかいほっぺ持ちだ。
食べちゃいたいくらい超かわいい。
俺がべたぼれで告白してカレシカノジョの間柄になった。
「おみくじは大吉だったし、今年は良いことありそう」
「うー、あたしは凶だったのにー」
「でも香織ちゃんのおみくじ、書いてあることは、良いことばっかりだったよね?」
すかさずフォローは忘れない。
コレ、大事ね。
香織ちゃんの機嫌も良くなって、にこっと笑顔を向けてくれる。
至福の時間だ。
いっそのこと時が止まってしまえと思っちゃうな。
香織ちゃんとワイワイ話をしてれば、アパートなんかすぐについちゃう。
楽しい時はあっという間に過ぎちゃうもんだよな。
「ついたー」
「おじゃましまーす」
香織ちゃんの部屋に入るのはこれが二度目だ。俺の部屋にはよく来てくれるけど、なかなか招待はしてくれない。
まぁ、色々あるんだろうし、詮索はしないことにしてる。
「ん? 良い匂い」
部屋に充満する良い匂いに、お腹がぐーと鳴る。
「ふふ、お雑煮を作っておいたんだー」
モコモコダウンをしまう香織ちゃんが、少し自慢げだ。
「凄いなー。お雑煮作れちゃうんだ!」
「山形の実家じゃ雑煮を作れないとお嫁にいけないって脅されてたもん」
「結構スパルタだ」
「中学の時から手伝ってるから味には自信があるのだよ。明智君」
香織ちゃんが「ふふふ」と不敵にわらう。
たまーにこんなキャラが顔を覗かせてくるんだ。付き合うまで知らなかったよ。
そんなところも、抜群に可愛いんだけどね!
「はい、お雑煮」
「ありがとう」
お椀からはお腹を刺激する出汁の良い匂い。蜂蜜色の透き通った汁には具が山盛りだ。
「お正月だもの。昼間から、いいよね?」
香織ちゃんの脇にはよく冷やされた日本酒。銘柄は「豊盃」だ。
青森の酒で、香織ちゃんが好きな酒なんだよな。
お雑煮の中では、ゴボウ、にんじん、油揚げ、長ネギとマイタケが早く食べろと急かしてくる。
鶏肉もちらっと姿を見せて「俺もいるからな」とアピールしてくる。
独り暮らしの男にゃありえない光景だ。キラキラ輝いて見えるぜ。
「いただきまーす」
「めしあがれー」
熱々のゴボウを齧る。煮込んだ時間が長いのか、よく出汁がしみ込んでて、旨い。
肉もホロホロと崩れてくる。
ハフハフしながら汁も呑めば、冷えちゃてる胃に滑り込んできてガツリ暖めてくれる。
五臓六腑にしみわたっていくのが実感できる。
身体が熱くなったら良く冷えた日本酒で中和すればいい。
口に残る汁のと混ざり合ったソレは、「日本に産まれてよかった」と再認識させてくるほど、旨い。
元々豊盃はうまい酒だけど、料理にもよく合うらしい。
香織ちゃんがそう俺に力説してくるんだ。
「どう健吾君。美味しくできてるかな」
酒がまわったのか、ちょっと赤い顔の香織ちゃんが上目遣いで聞いてきた。
不安なのか、まつ毛が少し揺れている。
雑煮ができれば一人前のお嫁さんになれるって言った矢先にこれってことは!
香織ちゃんの家庭の味が大丈夫かのチェック?
いやいや、俺まだ香織ちゃんの実家にご挨拶もしてないし。
でも香織ちゃんのバージンは俺がいただいちゃってるわけだし、その責任は取らなきゃいけないじゃん?
香織ちゃんが作ったこの雑煮はどうだ?
旨いに決まってる!
「美味しい!」
俺はその意味を深く考えすぎながら旨いと答えた。
香織ちゃんは嬉しそう笑顔で「よかったぁぁ」と指で目尻をすくっていた。
せ、せつない。パねえくらい、せつない。
はち切れそうな笑顔に胸がズキンとして、せつないビームが溢れ出しそうだ。
香織ちゃんの笑顔と、旨い雑煮と、美味しいお酒。
ここは桃源郷なんだ。この世の楽園だ。
アダムとイブ。俺と香織ちゃんは、きっとそうなんだ。
そんな妄想を爆発させ、口から煙を吐き出しながら、俺は雑煮を平らげた。
「ごちそうさま! 旨かったぁ!」
「おそまつさまでした。ふふ、お口にあってよかった」
香織ちゃんはそう言いながら、食器を片付けた。
俺が満腹の腹をさすっていると、香織ちゃんが紙袋を持ってきた。
「あのね、クリスマスに渡す予定だったんだけど……」
香織が紙袋から出したのは編みかけのマフラーだ。
赤地に白のドット柄。
編みかけの赤い毛糸につながってる。
「十二月は残業ばっかりで、編む時間が取れなくって」
香織ちゃんは俯いてしまった。
手編みのマフラー。れ、俺にくれるの?
めっちゃ欲しい。すっげえ欲しい。
別にクリスマスじゃなくたって、いつでもウェルカムさ!
「間に合わなかったとしても、欲しい」
本心からの言葉を伝えた。でも香織ちゃんの顔は、なんだかすぐれない。
間に合わせたかったんだろうなと思うと、ずきりと胸が痛む。
何か言わないと。香織ちゃんが悲しそうだ。
何とかしろ、俺!
何かないかと探した先にあった赤い毛糸を見て、ふと思いついた。
「香織ちゃん、ちょっといいかな」
香織ちゃんの左手の小指に赤い毛糸を結び、伸ばした先を俺の左手の小指に結ぶ。
左手を持ち上げて、にこっと笑いかける。
「赤い糸で、結ばれちゃってる」
俺、一世一代、渾身の一言である。
心臓はバクバクとうるさい。
顔もチンチンに熱い。
口はカラカラだ。
答えを出さないうちに、目を潤ませた香織ちゃんがすっと立ち上がった。毛糸で結ばれてる俺も立ち上がる。
香織ちゃんが引き出しの中をゴソゴソと探し、ハサミを取り出した。
え、ちょっと、ハサミ?
俺と赤い糸で結ばれるのは、いやだった?
ちょっと待って、俺泣きそう。
俺、先走り過ぎた? フォローがダメだった?
俺じゃ頼りない? 所詮は彼氏どまりなわけ?
歳は上でも、後輩は眼中に入れてもらえないの?
「か、香織ちゃん!」
俺は声をかけたけど、香織ちゃんは決意した表情で、繋がっている赤い毛糸にハサミを入れた。
あぁ、ダメなのか……
グッと手を握り、砕けそうな心を無理やり鼓舞する。
くにょり
ハサミは毛糸を巻き込んでしまい、切れない。
一回。
二回。
香織ちゃんはハサミで毛糸を切ろうとしたが、やはり切れない。
諦めたのかハサミを床の置いた香織ちゃんが、口をもごもごと動かしている。
「あはは、切れないね。うう、うんめい、なの、かなぁ?」
お餅みたいに白い顔をダルマみたいに真っ赤に染めた香織ちゃんが、ちょっと首を傾け、はにかんだ。
ちょっとだけアヒル口な香織ちゃんが潤んだ瞳で、俺を見つめてくる。
と、尊い……
思わず鼻を押さえた。
分からないけど、何かが鼻から漏れてしまいそうだった。
香織ちゃんの可愛さに俺のハートはズッキュンだ。
もう駄目だ。俺の心がドカンと噴火しそうだ。
香織ちゃんは、不安だったんだ。
あたし太めだからと、ぼそっと囁いてたのは知ってた。
俺から見たら全然そうは見えないんだけど、女の子から見たら、違うんだろう。
だから、試すようなことを、したんだ!
俺が本気なのかと!
ここが山場だ、男を見せろ、俺!
ここで引いたら後悔するだけだ。
いや違う。
香織ちゃんが悲しむんだ!
香織ちゃんの言葉だって、一世一代、渾身の一言だったはずだ。
それを、俺が受け止めなくって、どうするってんだ。
俺のバカヤロウ!
幸せへと続くレールは、自分で敷けばいいんだよ!
香織ちゃんを迎える駅は自分で作ればいい!
鐘をならせ!
幸せの鐘だ!
香織ちゃんの心へ届くぐらい、派手にならせ!
零れそうな涙を重力に逆らって溜めてる香織ちゃんの手を握る。
手が熱い。
俺の手も熱いけど香織ちゃんの手も熱い。
香織ちゃんの気持ちがビンビン伝わってくる。
このマフラーを作った香織ちゃんを、俺はどう思ってるんだ、健吾?
控えめに言って
大好きだ。
アイラブユーアイニジューアイウォンチューだ。
今ここで神父がいたら永遠の愛を誓っても良いレベルだ。
よし、健吾、いけ! いってしまえ!
待たせるなんてマナー違反だ!
違反切符切られる前にいっちまえ!
「香織ちゃん!」
「は、はひ!」
ビクリと肩を揺らした香織ちゃんを、じっと見つめる。香織ちゃんの揺れる瞳が、切なさを倍増させる。
やべえ、俺も泣きそうだ。
だがド根性で建て直す!
「結婚してください!」
「は、はひ! ふちゅちゅかものですが……」
香織ちゃんはかみながらも、真っすぐに答えてくれた。
破壊力満点の笑顔に、俺の頭はパンチドランカーだ。
抱きしめようとした俺に、香織ちゃんは「あのね」と切り出してきた。
「実はこれ、切れなくなっちゃったハサミなの」
香織ちゃんが舌をちろっと出す。
もうダメ。
俺、ダメ。
限界突破しちゃった。
リミットは切れないハサミで切り刻まれたよ。
朝からごめん。
節操なくてホントごめん。
心でひたすら香織ちゃんに土下座した。
「香織ちゃん、朝からなんだけど……」
ちらっとベッドに視線をやった。
情けないが、俺の心と下半身は正直だ。
いますぐ香織ちゃんが欲しい。
「あの、ゴム無いけど、いい?」
上目遣いの香織ちゃんの一言に、俺は悟った。
あぁ、コレ、仕込まれたかもしれねえ、と。
この先、俺は香織ちゃんにいいように誘導されていくんだってことを。
だがそれでいい。
それがいい。
素晴らしきかな、我が人生。
我が人生、一片の悔い無し!
きみと雑煮とおいしいお酒 凍った鍋敷き @Dead_cat_bounce
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