キリタンポとおいしいお酒
凍った鍋敷き
キリタンポとおいしいお酒
「さっぶ!」
今日は誠に寒い。木枯らし第一号が吹いたとか。
残業で遅くなった身に、染み入る鐘の音の如く浸透していく気がする。あぁ、染み入ったのは岩だったかもしれないけど。
「ホントさむいねー。健吾君そんな薄着でさむくないの?」
横を歩く残業仲間の香織さんが口に手を当て呟いた。手の隙間から白い煙が
香織さんとは課は違う。彼女の方が歳はふたつ下だが会社に入ったのは俺の二年前だ。年下の先輩という、謎のポジションだ。
ショートカットで、笑うとエクボがでて、色白ぽっちゃりさんの香織さんは寒がりだ。
冬にはモコモコダルマになる。ぶっちゃけ保護欲をそそる。
仕事が忙しいお年頃で、彼女とは残業後によく会う。人通りも少なくなる時間帯ではあるので、駅までは姫を護衛する騎士の気分で一緒に歩くことが多い。強くない騎士だけどね。
長めのトレンチコートに暖かそうなマフラーにもこもこ手袋に。おまけにカイロも装備したあったか雪ダルマは、寒さ対策は万全に見えた。
対して俺は黒いストライプのスーツ姿だ。天気予報を見なかったのが敗因だ。
ちょっとゆっくりしたいとこだけど、そうもいかない事情がある。
「ヤバイです、次が終電です」
「うっそ!」
背の低い香織さんが疑いの目で見上げてくるがスマホの時計はうそをつかない。ぐわっと画面を見せてやる。
「えー、日付変わってるー」
明日が休みって事で頑張り過ぎた結果だ。まぁ、休日出勤するよりも残業した方が良いのは明白だ。香織さんも同じ考えなんだろう。
「とにかく駅に急ぎましょう」
なにやらショックを受けている香織さんを促して駅へと足を速める。
会社から最寄り駅までは少し遠い。早足で十分ってところだ。何度も何度も二人で歩いた道を、今日も急ぐ。
「こんだけ、寒いと、鍋は、美味しい、だろうねー」
俺の早足の歩幅について来るのに懸命な香織さんが、ちょっと息を弾ませている。
とはいえ速度を緩めると終電を逃しかねない。懸命に腕を振ってるぴょこぴょことついてくる香織さんの手を掴む。
ちょっと驚いてる香織さんに、間に合わないと不味いでしょ?という視線を送った。
もちろん他意はある。でも黙ってる。
こんな機会は無いんだよ。
「鍋、美味しいでしょうねー」
香織さんから返答はない。
「塩ちゃんこ鍋って美味しいんですよー」
俺の顔は正面に向きっぱなしだ。風は冷たいけどほっぺは熱いんだよ。香織さんの反応がなくて怖いってのもある。
「あたしは、キムチ鍋が、好きだなー」
好きだなーという単語に過剰に反応する俺のちょろいチキンハート。口から飛び出しそうな心臓には、香織さんの言葉に他意は無いんだと言い聞かせ、宥める。
「あーいいですねー、キムチ。ちょいと辛いのがビールとあうんですよねー」
「お、健吾君、いける口?」
「量は飲めないですけど」
そう。下戸じゃないけど上戸でもない。平々凡々だがそれで良いんだ。
「日本酒もいいよね~」
「あー、いいですねぇ。ちょうど昨日、旨い酒買ったんですよ~ってあれ、香織さんって、いけちゃう口ですか?」
思わず横に振り向けば、マフラーから覗くほっぺが赤い香織さん。寒いのか目が潤んでる。
「あ……」
飛び跳ねたチキンなハートがフライドされそうな威力だった。
香織さんが俯いた。
「い、いけちゃう、口、です」
「そそそうで、すか」
どもる香織さんを見ていられなかった俺も噛んだ。そして顔を前に向けなおした。心臓がバクバクと忙しない。
木枯らしだ。木枯らしが悪いんだ。彼女を寒くしてるのは木枯らしだ。
なーんて八つ当たりしてもつないだ手は離さない。もこもこ手袋越しに握る手が、とても小さく感じる。
「キ、キリタンポ鍋って、お酒に、合うんだよね」
香織さんからうわずったような声が飛んでくる。キリタンポと聞いてなんとなく香織さんが浮かぶ俺は末期的なんだろうか。
彼女は決してキリタンポ的なプロポーションじゃない。むしろバインでボインという感じだ。
「キリタンポってもちもちっとしてて柔らかそうですよね。香織さんみたいで美味しそうです」
刹那、香織さんを引いていた手がぐぐっと引っ張られた。何ごと?と振り向けば、香織さんが手で口を隠し、潤んだままの目で見上げてきていた。
そして一言。
「あたし、美味しそう?」
その破壊力、規格外。
上目遣いで恥ずかしそうな香織さんの顔は、そんな映画の様な煽り文句がつく程度に、俺のチキンなハートをあっけなく砕いた。
美味しいとは、何のことですか?
何を比喩ってくれてるんですか?
俺は期待しちゃってもいいんですか? いいんですか?
だが勘違い野郎は痛すぎる。
残業でオーバーワークだったんだろう、俺の頭は軽い渋滞を起こしていた。
見つめ合ったのは数瞬だったと思う。香織さんが俺の手を引いて歩きだした。つんのめりながらも、俺はついていく。
それから駅までは無言だった。
歩く速度は落とさなかった。手も握ったままだ。
香織さんの手袋ごしに、少し汗ばんでいるみたいな熱を感じる。できれば離したくない。
俺と香織さん。電車の向きは逆だ。
いつもなら駅のホームでお別れだった。
言葉もなく手をつないだまま隣り合った自動改札を通る。酔っ払いや同じく残業でお疲れのサラリーマンでごった返すホームに進んでいく。
「本日も遅くまでお疲れ様です。次が上りの最終電車となります」
気の利いたアナウンスが流れると、謀らずとも二人同時にスピーカーを見上げていた。
同じことをしていたお互いを見て、クスリと笑い合う。
「お疲れ様だって」
「粋な事しますね」
やっと口をきけたと思ったら、香織さんが乗る終電がホームに滑り込んでくる。香織さんが、その電車を見てちょっとだけ寂しそうな顔をした。
俺のチキンなハートが生意気にも吠えろと叫ぶ。体がガッと熱くなるが、一歩が出ない。
躊躇している間も電車は待ってくれない。無慈悲にも電車の扉が開く。
「日本酒、一緒に呑みませんか?」
ようやく俺の口が気持ちを代弁した。
香織さんの目はフクロウになった。
「いま、から?」
香織さんの目は高速で瞬きをする。
「えぇ、いまからです」
香織さんは停車してドアの開いた電車をちらっと見ている。あれを逃したら帰れないのは分ったうえでの暴挙だ。
でもここは引けない。引かない。引いちゃいけないの恋の三段活用だ。
用法があってるかなんて問題じゃない。問題なのは香織さんだ。
押してダメなら横にスライドさ。
運命の扉の開け方なんて色々あるんだよ。
「ええっと」
電車と俺と。困った顔で交互に見ている香織さん。
発車のベルが鳴る中、俺は手を離さずにじっと彼女を見つめるだけ。
プシューという音で最終電車の扉が閉まる。
インバーター音を響かせ、赤いランプがさよならを告げた。
口をアヒルにして、「むー」というセリフが聞こえそうな顔で、香織さんが見上げてくる。
「おいしいお酒?」
「もちろん」
俺はニッと笑う。
香織さんと飲む酒は旨いにきまってる。
木枯らしで冷えた体には、きっと染み入る旨さだろう。
「そっか」
赤くなった顔でにこっとした香織さんのを見ながら、鍋はどうしようかと考えた。
美味しそうなぷにぷにキリタンポは目の前にいるが、彼女はデザートにしたい。
そんな馬鹿な考えの俺の眼の前に、ヤケに光って嬉しそうに見える最終電車があらわれた。
キリタンポとおいしいお酒 凍った鍋敷き @Dead_cat_bounce
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