第四話 「楽なる彼女は夢を見る」
僕は船員と一緒に船から荷物を下ろしていた。荷物は僕の背負うリュックとスーツケースが二つ。彼女が持った小さな肩掛け鞄だけだった。それらはすぐに、別の係員によって預けられ検査を受けることになった。次に僕だけ別室に移動させられ、体中を検査された。毛も抜かれたし何だか色んな場所を触られた。二時間程をかけて漸く僕は「安全なミックス」の称号を手に入れたのだった。
「良かった、入れるみたいね。」
そう言う彼女はずっと待っていてくれたようで、僕はそれが嬉しかった。彼女と尾張だけならこんな面倒な検査をせずにさっさと中に入れたはずだ。この「最後の国」に。
『最後の国』のことなら皆知っている。だがニュースで取り上げられることも無ければ、話題に上がることもそうはない。何故なら僕らには関係が無かった。この国は僕らに何かを与えるわけでも求めることもせずにただ静かに滅んでいく国だったからだ。この国は孤島だった。本土から船で数時間、一日をかけずに来られるこの場所は孤島と言っても広大で豊かであった。ただここに入るには国の唯一の港から取り調べを受け初めて入国が出来る。検査をしてくれたのはミックスであった。風貌から言って、ここに雇われている尾張と同じミックスであることが分かったがそれでも人数は少なかった。これなら幾らでも忍び込めるのではないかと思ったが、それも必要ではないほどこの島は放置されているという。
「検査が厳しいし、まず許可されないから観光客なんて来ることもない。ただ私達が生きるために用意された場所でしかないから。」
彼女と想像より簡素な作りの門を通れば、そこは草原が広がっていた。草原の中に何処までも道が伸びていた。何とか遠くに建物が幾らか見える程度で、それ以外は門の近くにあるミックス達のための建物しか見えなかった。これは検査室という名の小さな建物に連れて行かれたときから思っていたが、とにかく物が無かった。これだけ広い島なので僕はそれなりの発展を想像していた。
「ほら、行くぞ。」
そう言って尾張が四駆の車で僕らを迎えに来てくれた。それに乗り込み走り出せば、信号など何一つない道を走り出した。これなら僕でも運転できそうだ。草原と木々、時々畑のようなものが見えたがとにかく自然と向こうに見える海。そして僅かな住居に、漸く人間の姿を幾つか見られた。
「皆、ああやって住んでいるの。」
「一人で?」
「えぇ、夫婦になれば一緒に住めるけど…子供は中央区で管理されているから。」
子供の姿が一度も見えなかったのはそのせいだった。僕が聞く初めてのことは、尾張や彼女には当たり前のことなのだろう。
「そうなのか。」
僕はその言葉が意外で間抜けな顔でいたら、助手席に座る彼女はそれに気が付いたようだ。
「尾張もこの国は初めてだから。」
そうやら尾張と彼女の出会いは、彼女が本土に訪れてからのようだ。そう言えば、尾張は高校の最初のころは見た覚えが無かった。そこまで彼女に注目していたわけではないが、記憶はない。
「私は本土からの護衛だ。全てを知っているわけじゃない。」
何でも知っていそうな尾張も知らない人間たちの「最後の国」。真昼に差し掛かった太陽が草原を輝かせた。その草原に立つ名も知らない人間が僕らの車を見ている。僕は待ち受ける何かを予感しながら車に揺られていた。
▲▽▲▽▲▽▲▽
港から車で走ること一時間程度、中央区が見えてきた。中央区は、街と呼べる程度には建物が並んではいたが店のようなものは見えなかった。何の用途か外観だけでは分からないただ建物が並べられていて、樹木や花々が植えられていた。僕らが街に車を停めて降りることに成った。中央区は車が入ることは禁止されているようで、中央区とは名前だけで特に広いわけでもなく発展しているわけでも無いようだ。遠巻きに、数人の人間が僕らを見ていた。
「いらっしゃい、皆さん。」
僕らに声をかえた人物が居た。当たり前だが人間だった。初老の女性は、花に水をあげていたようでジョウロを置くと僕らの方に近付いてきた。上品な雰囲気の女性は、僕らに微笑みを浮かべる。何だか、不思議な瞳をした女性だった。
「女王様。」
そう言って彼女は頭をゆっくり下げた。僕と尾張が驚いていると、女王と呼ばれた彼女を確かに僕らは見たことがあった。唯一僕らに報道され顔を知ることが出来る人間「最後の王」だがそれでも報道回数は少なく僕も最後に見たのが何時だがは思い出せない。それにそのときはもっと着飾っていたような気がした。
「おかえりなさい。」
まるで孫にでも話しかけるような女王の姿は、農作業をやるためかビニールエプロンに手袋。長靴まで履いていて、とても女王と言われて信じられるものではなかった。だが頭を下げた尾張を見て僕も慌ててぎこちなく礼をする。
「…私に沢山聞きたいことがあるようね。」
押し黙り見つめる彼女の目線に気が付いたのか、優しげに女王は言った。僕は女王のその穏やかな様子に影響されて、強張る彼女に少し違和感を持ってしまっていた。
「二人は街でも廻って後からゆっくりいらっしゃい。」
そう女王は言うと彼女と一緒に歩いていってしまった。その方向を見ると、他の無機質な建物とは少し変わった屋根が赤い大き目の屋敷が見えた。どうやら彼処が王女の住処なのだろう。僕らは少し迷ったが、女王の言う通り少し街並みを歩くことにした。こんなことでも無ければきっと二度と来ることがはなかっただろう。しかし特に見るものが無く観光というよりは散歩になってしまっていた。すると、僕らに近づく人間が居た。それは人間の子どもたちだった。確か、彼女は人間の子供は中央区に住んでいると言っていた。
「ねぇ、貴方達…ミックス?」
子どもたちは三人で固まり、怪訝な表情で僕らを見た。
「うん、そうだよ。」
尾張が返事をしないので僕が言葉を返すと、それは嬉しそうな声が響いた。
「凄い、凄い、ミックスだ!」
「うわぁ、本当に動物だ!」
ここでは僕らの存在のが非日常なのだ。子どもたちが僕の蹄や尾を触りたいと言うのでどうぞと触らせていると何処から来たのかどんどん子供の数が増えてしまって尾張まで揉みくちゃにされてしまった。結局僕らは、子どもたちに連れられながら女王の屋敷へと随分と大所帯になって向かうことに成った。
女王の屋敷は勿論、皆が知っていたしよく遊びに来るのだと子どもたちは言った。その通りで僕らが来ても守衛のようなものは見られなかった。僕らを屋敷に案内すると子どもたちと少し名残惜しくさよならをした。
「…ここは不思議な場所だな。」
去っていく子どもたちを見て尾張が言った。
「私の親父はな、人間について記事を書いていた。三流記事もいい所だったがある日それが差し押さえになった。真相を確かめると言って出ていったきり帰ってこなかった。」
尾張が自分のことを話すのは初めてだった。何時も何を考えているか分からない尾張が少し緊張しているように見えた。
「知りたいと思っているのはお前たちだけじゃない。」
僕らは誰に妨害されることもなく王女の屋敷へと足を進めるのだった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
僕らが無駄に広い屋敷の中を歩いていると、中に居た人間が部屋に案内してくれた。大人であったし風貌から見て使用人なのかと聞くと、暇だからここによく手伝いに来るのだと言う。この屋敷のキッチンや図書室は何時も解放されていて、綺麗に掃除さえすれば誰でも使用可能らしい。僕らが案内された場所は、テーブルと椅子しかない部屋だった。どれも木製の質素なもので、部屋の立派さとちぐはぐであった。
女王は僕らが来たのを見ると、お茶を自分で用意して振る舞った。僕は美味しいお茶に喜んでいると先に椅子に座っていた彼女が青い顔をしているのに気が付いた。声をかける前に女王が話しだす。
「私たちは世界を征服したのです。」
まるでおとぎ話を話だしのように女王は言った。
「今はもうどんな方法か分かりませんが、私達の先祖は皆をミックスにしてこの影響力を使って世界を征服しました。きっとそれは途中までは成功していたのでしょう。」
彼女は先にこの話を聞いたのだろう、だからきっと何も言わない。
「…ですが、世界に取り残された人間は次第にその種を保てなくなっていったようです。」
ここからは僕らも聞いたことのある話だった。ミックスの世界で滅びゆく人間たち。
「更にそれに逆らうようにベイクというまた新しい形に人は進化していきました。私達の影響力が及ばない存在になったのです。」
ベイク達は、ミックスの出来損ないなどではなかった。あれは人間たちに影響されないように進化した姿だったのだ。きっと尾っぽたち自身もそれは知らないだろう。
「…時がときならそのベイクが私達を滅ぼしてもおかしくなかったでしょう。ですが、もうその時には誰も昔のことなど覚えていませんでした。もう私達は子孫しか居らず、人はもうどう足掻いても滅びます。」
女王は自分のカップを口元に運び、息を付いた。
「これが貴方の知りたかった真相。私達の先祖は世界を征服どころか世界の在り方を変えてしまった罪人なのです。」
時間にして数分。彼女が長年望み、尾張の親が失踪してまで知りたかった世界の真実がまるでお茶会の一つの話題のように話されてしまった。今、僕は彼女のように青い顔をしているだろう。誰も何も話さない沈黙の中、口を開いたのは尾張だった。
「それが世界の真相だっていうのか、そんなおとぎ話。三流記事のようなことが。」
尾張は酷く狼狽しているようだった。椅子から立ち上がり僕ら以上に青い顔をしている。それもそうだ、僕だって今すぐ立ち上がりってふざけるなと言ってしまいたかった。あぁだけど僕らはミックスだから分かってしまうのだ。女王の言葉が嘘ではないのだと。
「貴方はどうしたい。」
女王が言った。尾張は黙った後、絞り出すように言った。
「解放してくれ。」
僕はどきりとした。
「もうお前たちに振り回されたくない。」
僕の予感は当たった。女王が尾張の頬を先程花壇の手入れをしていた老いた指先で撫でた。そして、兄に起こったときと同じように尾張は横たえてしまった。
「これで貴方はもう私達に影響されない。貴方のお兄様のように。」
女王は僕を見た、知っているのだ。僕らがどうしてここに来たのかも。
「私は貴方が子供の頃から分かっていました。貴方が私の後を継ぐと。きっと最後の宝石を手に入れて新しい王となる証明をしてくれると。」
尾張のことがあっても未だに動けない様子の彼女は、ぐっと勇気を振り絞るように口を開いた。その肩は震えて今にも叫び出してしまいそうだった。
「私は…世界の真相を知りたいと思っていることを認められていると思っていた。皆のためにも、滅びゆく私達のためにも知るべきだと思っていた。でも…真実はここにあって、貴方は全部知っていたんですね。」
きっと女王は全て知っている。僕らの出会いも、大学のことも、僕の兄のことも、そいてベイク達が彼女を王と認め最後の宝石をくれたことも。彼女の日々は女王の皿の上だったのだ。
「私に自由はなかった。」
彼女の絶望が僕に伝わってきた。それは深く深く重くて今にも潰れてしまいそうだった。彼女は真実が知りたいと思いそれを目指した自分を特別に思っていたのだろう。確かに彼女は特別ではあった。だが自由ではなかった。彼女が涙を溢れさせ苦しげにしているのを女王はとても痛ましい瞳で見ていた。そして、彼女に優しく語りかけた。
「貴方を自由にすることはできます。」
そう小さな硝子テーブルの上に何かを置いた。それは薬瓶だった。中には紫の液体が見える。
「これで貴方はミックスになれる。」
女王は言った。貴方に最後のチャンスを与えると。嘗て自分も前の王にそうされたように。もう貴方は真実を追ったことで人間の中の特別になってしまった。だが全てを捨てるのなら貴方を自由に出来ると。
「でも忘れないで、ミックスになるということは捕食される側になるということ。影響力は失われて貴方の友人も離れていくでしょう。」
私は飲めなかったと女王は少し悲しげに言った。そして僕を見た。
「私が大学に行くことを許可したのは、貴方がいたからよ。」
街で出会った時とは違う凛とした表情に僕は矢張り彼女は女王なのだと実感した。
「人間に近付いたミックス、彼女が「捕食」をする程の影響力を目覚めさせる相手だと思った。それは貴方への束縛でも怒りでも愛でも何でもよかった。」
それは「人間」として、時期の女王として必要なことだったと女王は言った。
「彼の「人間」を食べていれば、貴方の友人は貴方から離れることはなかったというのに。」
尾張と兄は、ミックスの中の「人間」だけを残して「人間」からの影響力から解放された。捕食していれば僕はきっと彼女に服従をして何も疑問に思わずに彼女の側に居続けただろう。それこそきっと永遠にでも。僕は既に捕食された尾張を見てぞくっと震えた。
「僕は、違う。自分で考えてここに来た!」
「本当にそう言えます?この子の影響力で側にいるのではないと。この子がただのミックスになった時、貴方は彼女への興味は無く成るでしょう。」
僕は何も言えなかった、言葉では反論したかったがそれができなかったのは今までの自分を思い出していたからだった。今まで何度も彼女に影響された。それは彼女が人間だったからだ、彼女が人間でなくなることを想像が出来なかったのだ。
「貴方が決めなさい。」
女王はそれだけ言うともう何も言わなかった。僕は彼女とテーブル越しに見つめ合った。
「私がミックスになれる。」
まず彼女はそう言った。彼女は僕と出会ったときからミックスが羨ましいと言っていた。彼女自身、僕らの中に居ようと奮闘してきたのだ。
「牛くん…私…。」
僕は何も言うべきではないと思った、彼女の困惑が僕に伝わってきたからだ。こうしたことももし彼女がミックスになったら二度と感じないのだろう。
「私、ずっとミックス達が羨ましかった。世界に沢山居て孤独でないのが羨ましかった。貴方達の仲間になりたかった。子供の頃からずっと…。」
彼女は僕をじっと見つめた。僕には君のことが分かった。でも今感じているこの気持ちはミックスだからでは無いと思えた。
「でも貴方に…私の心が届かなくなるのがとても怖い。」
あぁ君は僕と同じことを怯えて悲しんでくれていた。その言葉で僕は確信できた。
「君の心が僕には分かるよ。」
今も昔もこれからも僕はずっとミックスだろう。僕はきっと大丈夫。彼女を見つめ返して安心させるように言った。
「僕は変わらない。」
例え君が何を選んだとしても。
動物でも人間でもない、「僕」が君に約束をした。
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