第一話 「喜なる彼女は輪で踊る」
レポート、出席、事業内容どれをとっても厳しく大学で鬼や悪魔と言われた教授が震えている。実際の彼は、勿論鬼でも悪魔でもない立派な牡鹿のミックスなのだ。何時もは力強く主張しているそのツノも今はその先端まで震えて怯えている。何度も黒板に書く文字を間違えては書き直し、言葉を焦らせる。しかし僕らはそんな彼の姿を誇りに思うだろう。皆、原因は分かっていた。
「具合でも悪いのかしら。」
彼女は心配そうに、教授を見ていた。僕は色々言いたい言葉を飲み込んだ。
「何も、人類学の授業に出ることはないじゃないか。」
僕の言葉に彼女はきょとんと此方を見返している。場所は、大学のカフェテリア。室内ではなく外の席に座っていた。暖かくはなってきたがまだ春に成りきれていない少し肌寒い日だというのに、僕はそうするしかなかった。これから彼女が取る行動を考えたら室内ではまずいのだ。それでも沢山の視線を感じてしまう。仕方ないが彼らにはご愁傷様だ。
「…よくなかったかしら。」
しゅんっと少し落ち込んだ彼女を見て、僕の心臓は潰れてしまいそうだった。だがそこはぐっと我慢する。僕があの場で彼女に、教授が怯える原因を言わなかったのはこのせいだ。遠くで彼女を見ていた、鷲羽を持つ男が泣き崩れていた。木に昇って見ていた蛇の女も木から落ちている。もしあの場で彼女が落ち込みでもしたら授業が中断するだけの騒ぎで済んだろうか。
『影響力』人間がミックスに。ミックスが人間に与えるそれの恐ろしさを僕は高校でもう嫌と言うほど体験していた。彼女が僕と同じ大学に行くと言い出し、僕もそれが嬉しかったが心の何処かではきっと不可能だと思っていた。しかし、彼女は大学にやってきた。
「良くないというか…。あの人は、君たちのことを研究している教授なのにその相手が講義にでるなんて恐縮するよ。」
僕がそう言うと彼女は、まだ落ち込んでいるようだ。
「『人類学』にはミックスも入っているはずだし、人間が受けては駄目とは書いてないから…。」
配慮が足りなかったことを嘆いてはいるようだが、何処か不満げだ。それもそうだ、彼女が出られる授業は極端に少ない。一応彼女は僕と同じこの『第四国営大学』の生徒だ。僕は教育学部、彼女は歴史学を専攻している。だが、彼女に課せられた制限はとても多い。
「流石にそんなに露骨には書かないと思うけど…。それにまさか向こうも来るとは思っていなかったと思うよ。」
まだ僕らは入学して間もないと言うのに、『人間』の彼女は有名人で大人気だ。一般のマスメディアは保護規制によって、彼女を取り上げることは出来ないがそれでも人の噂で話題を呼んだ。だが注目が集まればその分、影響される数も多い。それを懸念して僕の知らないところでは、高校のような別室の講義も考えられていたようだ。だが彼女はそれを拒否した。もし誰かに迷惑をかけたらその講義には出ないという約束をしたのだ。
「…牛くん。どうしよう、また出られる講義が減るかも。」
この大学の春の講義一覧が書かれたプリントを見ながら彼女は言った。そこはもう沢山の赤字でバッテンが付けられていて軒並み全滅である。彼女の影響力は、しっかりした確信はないものの噂のように広まってしまっている。なので最初こそは囲まれていたというのに、今では遠巻きに見ているしかないのだ。
「牛くん…。」
「分かったよ、尾張さんには何も言わない。あんな状態どんな人でもあぁなるだろうしね。」
だから影響力とは関係ないと思うよと続けると、彼女の表情に笑顔が戻った。僕はそれだけで肌寒い春を忘れた。勿論、影響されたからなのだが。その後、彼女と雑談を暫くしていると彼女の携帯電話のアラームが鳴った。もう彼女は帰らなくてはならない。
「もうこんな時間。」
「迎えの車が来るから道路まで送るよ。」
空のカップを持ち立ち上がったが、彼女は席に座ったままだった。これは何時ものセリフが入るなと僕はさっさと片付けて彼女に行こうと再度促した。
「…ねぇ、何処かに行かない?」
何時ものセリフだ。だが叶うことはない。
「ダメだって…。そんなことしたら尾張さんに何を言われるか。」
「私がどうかしたか。」
二つの三角の耳に、金色の瞳。灰色の毛並みをした猫の尾張がこっちを見ていた。尾張は、彼女の守衛であった。スラリとした体形に黒のスーツを着こなし、絵に描いたような守衛であった。高校ではずらりと守衛を引き連れていた彼女は大学になってから、尾張以外の守衛を基本的には見ていない。見えない所で彼女を見守っているのかもしれないが僕には分からない。
その尾張はこちらをじっと見ていた。僕が固まっていると、尾張の視線に気が付いた彼女は何でもないと慌てて笑みを浮かべて車の方へ歩いていった。外のテラス席だったので姿が見えたのだろう。道路に置かれたこれもまたあからさまな黒塗りの車に彼女は乗り込んだ。
僕も見送ろうと車の方へ行くと、車を前に尾張に道を遮られた。
「私に何か報告することは。」
凄い圧迫感である。僕は彼女の行動を報告する義務があった。そうしなければ、僕らは二度と会えないことになっていただろう。僕は、講義での教授の様子を隠して報告をした。
「ご苦労、だが私は何度も隠さずに報告しろと言っているだろ。」
僕はただの牛のミックスだ。嘘は下手くそなのだ。尾張は不機嫌そうに僕を見ていた。
「人間相手に影響されるなと言うのが酷な話か。」
僕は尾張が苦手だった。格下を相手にしている態度を隠さない。だが同じミックスだとしてもこういった人がいることを僕は分かっていた。だが腹は立つ。
「なら彼女を大学に通わせなければいんじゃないですか。それでずっと貴方がついていればいい。」
僕の言葉に尾張が大きな瞳を更に、広げた。そしてすぐにそれは鋭くなる。車内からは彼女が少し不安げに僕らを見ていた。彼女に見られていると僕はどうも気が強くなってしまう。
「…何か勘違いをしているかもしれないが。私たちは『最後の子』たちの護衛を仕事だから勤めているだけだ。ここに通うことを許可したのは私達じゃない。」
「えっ…。」
「『最後の子』たちは保護対象だ。何かあっては困る。」
私だったら大学になど行かせないと尾張は、さっさと話を切り上げて運転席へと乗ってしまった。そして彼女はいつもの様に陽気に手を振って帰ってしまった。たった数時間しか一緒にいなかったというのにとても疲れてしまった。彼女の一喜一憂に反応してしまう僕のミックスとしての本能のせいで頭がまだ混乱している。
とりあえず昼食を取って休もうと思い道を歩いた。彼女と居たカフェテリアには居づらかったのだ。幸い次の講義までは時間があった。
「よう、牛くん。」
「やめてよ。君たちまで。」
毛深い猿の男と羽を煌めかせるトンボの男二人が僕に気さくに話しかけてきた。大学の友人は皆、僕を本名でなく「牛くん」と呼ぶ。理由は言わずとも皆分かるだろう。
「あの子は帰ったのか?」
トンボの友人はその複眼で僕の周りをキョロキョロと見回した。猿の友人は彼が必要以上に動くのでその羽を邪魔そうにしている。
「あぁ、ついさっきね。」
僕がそう応えるとやっぱりなと彼らは顔を見合わせた。
「人間様は忙しいみたいだしな。」
「まだ、昼頃だってのになぁ。何しに来ているんだかな。」
そう言って彼らは茶化すように笑うが、僕は君たちが彼女と出た講義をサボって遊びにいっていたことを知っている。だが僕は何も言わない。彼らも僕の不自然な笑いを見てもそれを怒ったりはしなかった。彼らにとって僕は「最後の子」の遊び相手になってしまった哀れな牛の「ミックス」なのだろう。
「じゃあ僕は行くよ。」
「あー次は必修か。仕方ねぇ出るか。」
「その前にサークルよっていこうぜ。」
そう言って彼らは行ってしまった。果たしてちゃんと講義に来るかどうかは五分五分だったが僕の知ったことではない。ただ、ノートやプリントを後で求められるのは気分が悪い。それでもあの時のようには強気には中々出られないのだ。
「サークルか…。楽しそうだけど…僕はいいかな。」
僕はサークルには入らないでいた。興味があるものが無かったのもあるが何時彼女が大学にやってくるか分からないからだ。僕の大学生活はすっかり彼女を中心で回っている。それを嫌だとは思わないが、周りからの目線は少し煩わしい。僕が思っているくらいだから、彼女はもっと疲れるのだろう。好奇な目線は、遠慮がない。
彼女を見ていると思う。なんてこの世界は彼女たちに生きづらいのだろう。この友人たちより彼女はずっと勤勉に学び自由を求めている。だがそれは叶わない。少なくとも周りが許さない。僕は同情しているのかもしれない。どう彼女たちが凄い存在だとしても、もうこの世界はミックスのもので彼女たちの居場所はない。
「あっ。」
いいや、一つあった。僕は彼女が帰る場所を知っていた。人間たちの「最後の国」そこは海に囲まれた孤島で数少ない人間たちはそこで生まれ、どんなに外の世界で生きたとしても最後はそこで死ぬのだ。本来なら高校を卒業した彼女はその国に戻るはずだったというのに、ここにいる。どうして許されたのか。僕はてっきり守衛の偉い人が許したのだと思っていた。じゃあ彼女は誰の許しでここにいるのだろうか。僕の疑問はすぐに講義に向いてそのまま忘れてしまった。知りたくてもその答えを知っている彼女は僕の横にいなかった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
その日、彼女はとてもご機嫌だった。そのご機嫌は僕や周りにも伝染して講義中周りは皆にこにこ笑顔であった。彼女は中々その理由を教えてくれなかった。だが迎えに来た車に押し込まれ彼女は喜々として話をしだした。尾張は車外にいるように言われ、大人しくそれに従っていた。
「頼まれ事をしたの。」
そう言って見せてきたのは、一枚の紙だった。それはこの大学祭のチラシだった。カラフルなそのチラシは大学中に配られている。しかしそれが彼女と一体なんの関係があるのだろうか。
「ラストセレモニーでのスピーチを頼まれたの。」
どうやら大学祭の実行委員に依頼されたようだ。大学にやってきた「最後の子」の彼女に最後を飾って貰って盛り上がろうというつもりらしい。この大学は典型的な文系の大学のために特化して目立つものは何もない。そんな中、彼女に目を付けたのだろう。
彼女は陽気だった。純粋に喜んでいた。それは僕に伝わってくる。大学では僕以外のミックスは彼女に近づかない。そんな彼女に勇気を出して頼み事をした奴がいたのだ。それに驚くと同時に僕はどうにも心がざわついた。
「駄目だよ。」
口から出たのは否定の言葉だった。
「牛くん…?」
「そんなの断るべきだ。」
彼女の陽気は僕には伝わらなかった。僕はチラシを乱暴に振って彼女に言い聞かせる。
「こんなの君を客寄せにしているだけじゃないか。それに尾張さんには話したの?まさか内緒でしようとしてないよね。僕は君の突拍子のない行動には何時も振り回されていたけどこれにはちょっと呆れちゃうよ。」
彼女が何も反論しないことをいい事に僕は、自分の意見を切々と述べた。しかし僕の心のざわつきは言葉を彼女にぶつければぶつける程に逆に大きくなってしまっていた。どうして彼女は何も言わないのだろう。僕は自分が言っていることが正しいからだと思った。彼女は僕が正しいから何も言えないのだ。きっとこの言葉を聞いて分かってくれると思った。
「君が僕らにとってどんな存在か分かっているの。」
ハッと気づいたときには手遅れだった。僕は何をしていた。チラシを落として自分の口に思わず手をやった。下を向いてしまっていた彼女がそっと顔を上げた。
「うん。」
何も無かった。彼女の表情にも感情にも何も僕は影響されなかった。
「あっ…。」
「考えてみる。ありがとう。」
僕は気がつくと車から降りていた。車は走り去ってしまう。そのまま暫く走り去った車の方を間抜けな表情で見つめていた。そして自分が今置かれている状況を全て理解するのに時間がかかってしまった。
僕は行き場のない気持ちを抑えきれないまま自宅に向かっていた。電車の中でも考え今も頭をぐるぐるしている。僕の言った言葉は彼女を傷つけたのだろう。だが、僕は間違ったことは言ってないはずだ。そうだと強気になる一方で、ざわつく心の理由を僕は彼女に影響されたのだと決めつけて無視をすることにした。
▲▽▲▽▲▽▲▽
心が寂しかった。ミックスの友人と話していても、まるで人形と話している気分だった。何も伝わらないし伝えられていない。相手の言葉が脳まで響いてこない。こんなに僕らは孤独な生き物だったのかと嘆いた。彼女の心が恋しかった。だが彼女はあれから大学に全く姿を見せていないのだ。尾張に連絡しても、全く出てくれない。元々緊急連絡用の番号なので、僕の用事など相手をしていられないのだろう。彼女の心を失ったこの数日間、僕の中のミックスは孤独に震え苦しみの中で許しを請いた。
その一方、僕の中の人間は意気地になっていた。大学には必ず行き講義を受けた。彼女が居なくても僕は一人で大丈夫というのを示した。誰にと言われれば大変困った。それは周りの友人や、勿論彼女や尾張に対してだった。彼女に呼び起こされたこの二つの僕は互いに協力をして勉学に励むことによって彼女への罪悪感を忘れようとした。
そんなことをしているうちに、大学祭になってしまった。そうは言っても矢張り何処か盛り上がりに欠けているように見えた。カフェテリアの方が美味しいのに、出された露天や軽食屋。殆どがカラオケ状態の軽音バンド。人の足らない演劇部や何を表現したいのかイマイチ分からない現代アート作品。唯一、少し流行が去ったお笑い芸人の来訪だけが小さな盛り上がりを見せていた。そもそも大学になってまで高校の文化祭のような真似事をする意味が全く理解できなかった。だが僕には関係ない。そうは思いながらも、足は大学へと進んでいた。
「なぁ、何か知らないか。」
大学祭の実行委員長である、蟹のミックスの青年がその硬い体を僕の方に寄せて縋るように言った。僕は、その体から逃げるようにして距離をとる。
「何度きても知らないですよ。」
慌てて彼は僕を追いかける。蟹だろうが、彼もミックス。横移動などしないで僕の後ろにぴったりと付いてきていた。
「連絡先とか知らないのか。困ったなぁ、まだ日にちはあるけどやらないなら別のことを考えなきゃいけないし。どうしよう。」
先程から彼は困ったかどうしようしか僕に言っていない。そんな彼の言葉にも彼女のことにも苛立って僕は足を早める。だが蟹の先輩は余裕で追いついてくる。無駄に足が早い。
「なぁなぁ、どうしよう。」
「知りませんよ。」
「彼女何か言ってなかったのか。」
先輩には可哀想だとは思うが、そもそも彼女を客寄せに使おうとしたのがいけないのだ。その話がなければ彼女ともこんなことにならなかった。
「僕は、関係ありませんから。」
冷たく言い放つ。それは自分にも言い聞かせているようで言ってちくりと心が傷んだ。だがすぐにその気持ちを捨てようとした。自分が言ったことは正しいはずだ。彼女が自分という立場を軽く見て安請け合いをしたからいけないのだ。
「何を言っているんだ!」
流石に僕の態度に苛立った先輩が、強気な態度で僕に言い放つ。
「彼女は君に相談するっていっていた。関係ないわけがないだろ。」
請けてない。僕は気が付いた。彼女は「頼まれ事をした」と言っていた。だが、引き受けたとは一言も言っていなかった。僕は頭を抱えそうになった。
彼女はどうして車内で話した。尾張を車から遠ざけ、僕にだけその話をした。答えは簡単だった。彼女は僕にこのことを相談したかったのだ。そしてこの話を聞いた僕の反応がどうであれ感情が揺さぶられると分かっていたのだ。そのせいで周りに影響の被害が出ないように、ずっとそのことを秘密にしていたのだ。僕が思った以上に彼女は自分のことを分かっていた。そして、僕を頼りに思ってくれていたのだ。
それなのに、僕の態度はどうだった。彼女の話を聞かなかった。自分以外のミックスが彼女と関わることに、子供のように嫉妬をして彼女に当たり散らしてしまった。彼女は僕に深く影響されただろう。僕がどんな気持ちであの酷い言葉を言ったのか、隠せるはずがないだがどんなに嘆いて後悔しても、もう遅い。彼女は心を閉ざしてしまった。
静かになってしまった僕を先輩は困ったように見ていた。しかし、その目線は突然なった携帯電話の方へと向けられた。慌てて彼は電話に出る。
「もしもし、あ、え、はい。はい。」
先程の暗い声色から一転、先輩の声が喜びで跳ねた。僕はまさかと彼の電話が終わるまで大人しく牛の銅像のように待った。そして、電話が終わり彼は僕にも笑顔を向けて言ったのだ。
「よかった、彼女は来るよ!」
この数日間で唯一、ミックス相手に心が通じ合ったような気分だった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
夜のステージ前に沢山のミックスが集まっていた。皆、「最後の子」がスピーチをすると聞いて集まったのだ。その人混みの中に僕もいた。僕は、その日は朝からステージの前に並んでいたので、殆ど最前列に並ぶことが出来た。
僕が並んでいるのを見て沢山の友人が声をかけ笑ってきた。だが僕は気にしない。僕は笑われて当然なのだ。興味のない軽音バンドや演劇も見た。そこまで酷くはなかったが僕が求めているのはそれではなかった。先輩がメールでこっそり教えてくれたが、もう彼女は大学に来たようだ。そっちに行ってもいいのだが、尾張が彼女に会わせてくれるとは思えなかった。いや、本当は会いに行って追い返されるのが怖かったのだ。
そんなことを悶々と考えている間に、実行委員長が僕を追いかけてきたあの泣きそうな顔とは打って変わってやりきったと晴々した姿で壇上へ上がった。時刻は午後六時を指していた。
「皆さんのお陰で今年も楽しい時間を過ごすことが出来ました。」
あれだけ走り回って苦労していた彼を知っていると、今の笑顔の彼がとても嘘のように見えてしまう。彼は立派に自分の勤めを果たしたのだ。僕は彼を蔑ろにしていたことを恥じた。自分以外の人たちがとてもまぶしく見えてきてしまう。そう思うと怖気づいた。こんな自分が彼女に会うことが出来るのだろうか。僕の姿を見つけて帰ってしまったらどうしようか。ここに来ている人たちは皆、彼女の登場を心待ちにしている。それなのに僕のせいでこの最後のセレモニーを壊してしまったら。
「では、最後の挨拶に相応しい方に来て頂きました。この大学に通われている学友である「最後の子」にお話を頂きましょう。」
盛大な拍手や歓声と共にまず尾張が壇上に上がった。そして次にその後を追うようにして彼女が来た。彼女は何時ものようにロングスカートにブラウス姿だった。あの日以来だというのに彼女のその姿や変わらない表情をみるとまるで僕が悩んでいる出来事など無かったのではないかと思えてしまった。
「皆さん、有り難うございます。」
まず彼女は礼をした。そして手に持っていたメモ用紙を開いていた。尾張はその姿をじっと静かに見ている。僕だけじゃなく周りの人たちも分かっただろう、彼女は話す言葉を制限されていると。決められた言葉だけを話す彼女が、そうまでしてこの学園祭に出たかったのかと少し複雑な気持ちになった。
「この度は、大学祭に来て頂き来賓の方たちにも大変感謝しております。この大学で学ぶことの大切さを「最後の国」の人間たちにも伝え…。」
彼女の言葉なのに、何も伝わってこない。何も影響されない言葉と感情に僕はとても不快な気分になった。きっとこれを聞いてそんな気持ちになっているのは僕だけなのだろう。
「このような日を迎えられたことに…。」
その時、彼女と目が合ったのだ。彼女は少し驚いたような表情を見せると挨拶の途中で話すのをやめてしまい周りがざわついた。僕は逃げなかった。彼女をじっと見つめ返していた。そうしているうちに周りのことなどどうでも良くなってしまった。
僕の願いはただ一つ。僕を許して欲しい。僕の気持ちは君に伝わるだろうか。どうか伝わって欲しい。人間とミックスなのだから、君も僕に影響されてほしい。僕と君はそれが出来るのだから。ステージの上の彼女は僕を見て、僕もまた彼女を見た。複眼でも猫目でもない彼女の瞳が真っ直ぐに僕の心を透かすように見つめる。
「私は、こうしたお祭りに来るのが始めてです。」
彼女は話しだしたが、その目線は僕を見ていた。手の中のメモは下ろされてしまいもうその役目を果たしていなかった。尾張の尻尾がピンと伸びているのがここからでも分かる。
「…私達「最後の子」の国にはお祭りがありません。なのでこんな楽しげな雰囲気は知りません。」
彼女は僕から目線を離してここに集まった皆を見回した。沢山のミックスが好奇の目で彼女を見ている。それを彼女は嫌がりもせずに受け止めていた。
「こうした行事には参加はせずに何時も遠くから眺めていました。でも、おかしいですよね。私も皆と同じここの学生なのに。」
先程までの畏まった話し方ではなくその声には親しみがあった。
「皆が楽しんでいる姿を見て私も楽しい。今日は本当に有難う。」
そう言って、実行委員達のテントに向かって礼をした。感極まって先輩が泣いているのがここからでも見ることが出来た。僕も少し気を抜けば彼のように泣いていたのかもしれない。
その後に、すぐに彼女に呼び出された。実行員の建てたテントの下で彼女はお茶を飲んでいた。そこからは、大学祭の最後のイベントであるナイトダンスが行われていて音楽と騒がしい様子を一望出来ていた。彼女の周りには沢山の人が居たが、僕が来ると尾張は皆を離させた。
「…ごめん!」
僕は頭を下げるとすぐに彼女はすぐには言葉を発さなかった。それが怒っているのではないかと僕が緊張していると彼女もまた僕のようにバツの悪そうな顔をしていた。
「…私も、ごめんなさい。私、貴方に甘えすぎていたのね…。」
どうやら彼女もとても悩み悲しんでいたそうだ。僕と距離を取ることで、僕の負担が少しでも減ればと考えたようだったと聞いて僕は胸を撫で下ろした。
「悲しかったし少し怒っていたけど、貴方のあんな顔を見たら消えちゃった。」
僕はどんな情けない顔をしていたのか恥ずかしくなってしまった。それを見て彼女はくすくすと何時ものように笑う。
「それに貴方が、私に影響されていない所でもずっと私のことを考えてくれて嬉しかった。」
僕は彼女のその言葉に何か言おうとしたがすぐ後ろで、大きな音が聞こえて振り返った。どうやら興奮した誰かがステージに上がって大騒ぎをしているようだ。皆がそれを見て囃し立てる。いくら最後の日だといっても皆、ハメを外し過ぎではないかと僕が呆れていたが寧ろ騒ぎは大きくなる一方だった。
何かがおかしい。まるで皆、酔っ払っている。目がとろんとして高揚感と衝動に身を任せているようだった。笑顔が絶えず奇妙な光景に見える。
「みんな、良かった。楽しそう。」
僕は彼女の言葉で気が付いた。あぁ皆、あの時の言葉に影響されてしまったのだ。
「私達も踊ろうか。」
そう言って彼女はこの狂った空間に僕の手を引いて歩きだした。彼女の姿を見ると皆の興奮は更に拍車がかかりそれは波紋のように伝染していった。ケラケラと何もないのに笑う者、一人で踊り狂う者、音楽になっていない楽器を奏でる者。もう滅茶苦茶である。その中で、彼女はとてもとても綺麗に笑っていた。
「牛くん、楽しいね。」
彼女はこの場所の支配者だ。彼女は言った、皆の楽しんでいる姿が好きだと。その感情はこのように影響されたのだ。誰か気が付かないだろうか。いや気がつかないほうが幸せなのだ。
「うん。」
皆、ゴメンよ。僕は心の中で謝った。僕らは彼女を喜ばせるために集められた具材だ。ここは大きな鍋の中、まるで僕らは煮えたぎる具材のように踊り笑った。
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